呪病Age25・1
2025年2月5日。
その日、世界はある呪いを受けた。
全ての人たちは、残酷なほど平等にひとつの運命を背負う事になった。
本人の意思と関係なく、その肉体が25歳当時に戻ってしまう奇病。
いつ発症するか分からないその病は「呪病Age25」と命名された。
呪いの病は、世界を覆い尽くした。
そして時は流れ。
人は呪病と向き合い、生きている。
誰がこんな世界を望んだのか。
誰も望まなかったなら、神か何かがこんなふざけた事をやったのか。
何が呪病だ。
何がAge25だ。
年寄りが体だけ若返るなんてのは、どう考えても悪夢じゃねえかよ。
自分より若い親の存在なんて、頭がどうかなっちまうんじゃねえか。
俺には到底、受け入れられない。
だけど、お笑い草だな。
そんな呪病の発症を、誰より切実に待ち焦がれているのは、今の俺だ。
早く来い。心の準備は出来てる。
25歳に戻れば
俺はもう一度、自分を生きられる。
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時間なら、有り余るほどあった。
引きこもりってのはそんなもんだ。俺ほど究めた奴は少ないだろうが。
買物は郊外のスーパーで済ませる。人目を避けての、週に1回だけだ。
自動レジってのはありがたい。まあ監視カメラにも注意はしているが、
窃盗をするワケじゃないからいい。
本を買い漁った。とにかく有り余る時間を潰すため、読書に耽った。
法律関連の専門書もかなり読んだ。が、それは最初の2年半で飽きた。
後は小説だのノンフィクションだの手当たり次第に読んだ。中でも、
呪病の研究本はけっこう読破した。
と言っても、この病気が発見されてまだ6年ってタイミングだったから
さほど深い研究はされてなかった。さすがに統計は取られていたが。
最初に確認された事例は、カナダに住んでいた85歳の爺さんだった。
ほとんど歯も無くなっていたのに、ある朝目覚めたら25歳の若い姿に
戻っていた。記憶などはそのまま、ただ肉体だけが若返っていた。
奇跡だと大騒ぎになったが、それが奇跡じゃない現実はすぐ判明した。
間もなく世界中で、全く同じ事例が次から次へと確認されていった。
これが人類全体に蔓延したものだと断定されたのは、事例が32万人を
超えたあたりだったらしい。
冗談みたいな現実だった。
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何で25歳なのか、具体的な理由は誰にも判らない。そういうものだと
受け入れるしかないあたり、まさに呪いとしか言いようがなかった。
実際の年齢が25歳になった時に、人間は等しく発症のリスクを負う。
その後、いつ発症するのかは誰にも分からない。推測すらもできない。
今の時点では、発症率が何%なのか断定する事は出来ない。なぜなら、
呪病の存在が確認されてから現在に至るまでに、寿命を迎えていない
高齢者たちがまだまだいるからだ。天寿を全うする人が確認できれば、
100%発症ではないという推論が成立する…って事らしい。
現在は2039年。まだ14年しか経っていない以上、そこがはっきり
断定されるのはまだまだ先だろう。高齢化社会ってのはそんなもんだ。
だが。
ごく個人的に、発症率は100%であってほしいと切望している。
俺は戻りたいんだよ。
一刻も早く、25歳の肉体に!
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その日は、唐突に訪れた。
ハッキリ言って、実感もなかった。
目覚めてすぐ鏡を見る。それはもう完全な朝のローテーションだった。
変わっていない自分にガッカリする気持ちも、かなり薄れていた。
だからこそ、我が目を疑った。
俺自身の記憶の中にしか存在しない姿が、鏡にはっきりと映っていた。
つまらない就職浪人だった頃の己の姿を、今さら明確に思い出した。
痛みとか苦しみとか、違和感とか。本当にそういうの何も無いんだな。
寝ている間に、全て終わっていた。間違いなく俺は、25歳の頃の姿を
取り戻していた。確信を得た俺は、しばらく呆けたように座っていた。
8年だ。
こんな生活を続けながら8年。俺はひたすらにこの日を待っていた。
やり直せる日を、待っていたんだ。
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用意していたパーカーに着替える。25歳だからこそ着られる服だな。
無精ヒゲまでなくなってるのは実にありがたい。髪も短くなっている。
本当に25歳当時に「戻っている」らしい。何とも不思議なもんだな。
煩わしい腰痛も無くなってやがる。
いい天気だ。
俺は今日、新しい一歩を踏み出す。今度こそ本当に、過去を捨てて。
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8年に渡る引きこもりで、手持ちの金は心許ない。預金は使えないから
全ておろし、ちびちび使っていた。もう2割くらいしか残っていない。
でもまあ、とにかくどこかで食事をしよう。まともな、明るい店で。
後の事はそれから考えればいい。
おお、
あのファミレス、まだあったのか。こっちには足を向けてなかったから
ちっとも知らなかった。だったら、祝い飯にはちょうどいいかもな。
…あいつと行った事もあったっけ。まあ、それももう全部過去だけど。
感傷に浸るのは後だ。とにかく今、ちゃんとした飯が食いたいんだよ。
『いらっしゃいませ!』
変わらない接客の挨拶が懐かしい。こういうの、マジで8年振りだよ。
望んでやった引きこもりじゃない。だからこそ、悔いたくはないんだ。
今は、前向きに食事を楽しもう。
それが、俺の新たな第一歩だから。
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煮込みハンバーグセット。
いい響きだな。
子供っぽいのかも知れないが、今の俺は25歳だ。別にいいだろうよ。
胃腸もその年齢に戻ってるのなら、また心置きなく酒も飲めるってな。
若いってのは、本当に素晴らしい。さて、もうそろそろか…
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ん?
「ちょっと失礼するよ」
「は?」
思わず声を上げてしまった。
目の前の席に、見知らぬ男が遠慮もなしに座ったからだ。居酒屋ならば
ともかく、ファミレスで相席なんかするもんじゃない。いや、そもそも
そこまで混んでもいない。何なんだこの男は?…見た感じ、30代か。
まあ今のご時世、見た目の年齢などあてにならないが。かく言う俺も…
「久し振りだな、梶」
男が放ったその言葉に、俺の思考は一瞬、停止した。全ての音が遠く、
そして小さくなるような感覚。
…なぜ俺の名を知っている?
いや。
なぜ今の姿で、俺だと判ったんだ?
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「かれこれ8年振りだな」
「……」
俺は何も言えなかった。
承知の上だとでもいうように、男は親しげな口調で俺に語る。
どうしようもない、事実を。
「あの頃はおっさんだと思ったが、若い頃はイケてたんだな意外と」
言い返せない。
言い返す言葉が思いつかない。
あの頃ってのは何だ。
8年前の事を言ってるのか。
だとしても、どうして25歳の姿を俺だと断定してるんだ、この男は?
写真も何も残ってないはずなのに。
と、そこで男は少し身を乗り出し、俺の顔を凝視した。…何だコイツ。
誰なんだ。いや、確かどこかで…
「今ではお前が、俺より年下かよ。つくづく分からないよなコレって」
「…何の事です?」
「俺は5年前に発症したんだ。ま、判らないのも無理ないかもな」
そう言って、男はニッと笑った。
「捜査一課の谷岡だよ。お前の事を追ってた刑事だ。思い出したか?」
ガタッ!!
俺は駆け出そうとした。
目の前の男―谷岡を突き飛ばして、出口ドアに向かおうと力を込めた。
しかし、その瞬間。
バチッ!!
「うぐっ!?」
テーブル下に隠れた膝から、電撃のようなものが全身に走った。
立ち上がる事さえもできずに、俺は痙攣しながら椅子に沈み込む。
「13時2分。梶元三、逮捕する」
その声は、どこか遠くから聞こえるような響きだった。
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取調室というのは、いつの時代でも無機質なものなんだな。
そんな事を考える俺の心は、歳相応に乾き切っているようだった。
俺の目の前の椅子に座っている男。こいつが谷岡刑事だという事実は、
いまだにあまり現実味を帯びない。…いや、俺が信じたくないだけか。
昔、チラッと見た姿を憶えている。若いと思ったのも思い出した。が、
あの時ですら38歳だったらしい。そして、41歳の時に発症したと。
俺よりも5年も早かったのか。別に望んでいたわけでもないだろうに。
呪病ってのは、空気を読まないな。
「今の姿のお前をこれだけ速く捕捉できたのは、防犯カメラに登録した
認証用の顔写真データのおかげだ」
「…顔写真?」
「若い頃の写真が残ってないのは、とっくに分かってた。だからお前は
この8年間、ずっと自分が発症するのを待ってたんだろ?そうすりゃ、
堂々と外を歩けるからな」
「…………」
返す言葉に窮した。
全て谷岡の言っている通りだ。
誰の記憶にもない25歳の姿なら、コソコソしなくていいと思ってた。
だからこそ人目を避け、発症の時をずっと待っていたんだ俺は。
なのにどうして。
昼飯も食えないまま捕まったんだ。
どうして…
「ま、そういう事を考える犯罪者はここ数年、どんどん増えてきてる。
ある意味、お前は先駆者だよ」
言いながら、谷岡は腕を組んだ。
「その時勢に合わせて法も少しずつ変わってる。…それはいいとして、
お前は発症すると同時に姿を現すと俺は睨んでいた。だから最初から、
そこに狙いを定めてたんだよ。昔のおっさんの姿じゃなく、その姿に」
「どうしてだよ」
俺はとにかく答えを知りたかった。
どうして今のこの姿を知っている。その理由が判らないと、今の状況は
違う意味で受け入れられない。
どうして俺の若い姿を知ってる?
教えてくれよ!!
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「どうして、か…」
そこで谷岡は腕組みを解き、天井を仰いでため息をついた。何となく、
寂しそうにも見える表情だった。
「確かに、若い頃の写真はほとんど残ってなかった。ほとんど、な」
「見つけ出したのか」
「まあな」
「どこにあったんだ!」
「お前、いくつで結婚した?」
「は?」
なんだその質問は?
「…27だったが」
「だよな」
谷岡は、俺に視線を戻して告げる。
「27歳の時点で撮った写真なら、今のその姿とほとんど変わらない。
顔認証にも支障はない。53歳とはワケが違うんだよ。新婚旅行の時に
撮った写真を高次解析して…」
「全部処分したはずだ!!」
俺は、思わず声を荒げてしまった。叫ばずにはいられなかった。
そんなはずはない。1枚も残さず…
「残ってたんだよ、3枚だけな」
谷岡は、淡々と俺に言った。
「奥さんが、いや友子さんが大事に持ってたんだ」
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「そういう事か…」
俺は、力が抜けるのを感じていた。
あいつが持ってたのかよ。
つまりこれは、死者からの呪いってワケか。この世は呪いだらけだな。
「遺品から探り当てたってか?」
「遺品、ね」
ヤケになった俺の言葉にも、谷岡は怒りの色を見せようとしなかった。
どこか寂しそうにみえるその顔は、相変わらずだった。
しばしの沈黙ののち。
「…長いよなぁ、8年ってのはよ」
谷岡の発する言葉に、言い知れない実感がこもるのを感じた。
「そして俺たちにとって、けっこうヒヤヒヤする歳月でもあった」
「…何の話だ」
「時効だよ」
「は?」
時効だと?
「公訴時効だよ。それを過ぎると、もう見つけても裁けなくなるだろ?
もしもう2年発症が遅かったら…」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
思わず俺は身を乗り出していた。
何を言ってるんだこの男は。
「殺人の時効は撤廃されてるだろ、もうずっと昔に。それが何で…」
「その辺は詳しいらしいな。じゃあ傷害の公訴時効は何年だ?」
「確か…原則10年だったはず…」
いや、ちょっと待て。って事は…
俺は、背中に変な汗を感じていた。
「やっと気づいたか?」
ウンザリといった表情を浮かべて、谷岡が俺に言った。
「お前が刺殺したと思い込んでいる友子さんは、今も生きてるんだよ。
写真を提供したのも彼女の意思だ。つまり…」
まさか。
「お前には殺人罪は適用されない。裁判次第では傷害罪になるんだよ。
殺人未遂なら公訴時効は25年って事になるが、保証はないからな」
「……そんな馬鹿な……」
それは俺にとって、どういう意味を持つ言葉なんだ。
福音なのか、それとも死刑宣告か。
今の頭で、分かるはずがなかった。
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ほとんど働かない頭は、谷岡からの言葉を機械的に受け入れていた。
8年前の2月5日。
俺は妻の友子を刺した。何度も。
あれで生きていたとは信じがたい。実際、救急隊員が見た時の友子は、
手の施しようのない危篤寸前の状態だったらしい。誰もが諦めていた。
しかし。
まさに死ぬ寸前、あろう事か友子はAge25を発症した。その結果、
致命傷だったはずの傷が全て消え、どうにか一命を取り留めたらしい。
もちろんその失血は深刻だったが、治療に耐えられる体力もあった。
25歳に戻った体は、死の淵からの生還を見事に成し遂げたって事だ。
「あのタイミングでの発症は、まあ前例がなかったらしいぜ。彼女の
症例に関して、いくつも論文が発表されてるって話もあるくらいだ」
谷岡の話す口調は、どことなく愉快そうにさえ聞こえた。
実際、ある種の笑い話なんだろう。
そうして快復した友子は、新婚旅行で撮った写真を警察に提供した。
そんなものをまだ持っていたとは、本当に夢にも思っていなかった。
あの頃の俺たちには、もう憎しみか諦めしかなかったはずなのに。
それともそう思っていたのは、この俺だけだったかも…って事なのか。
俺は、友子を殺したと思っていた。言うまでもなく殺人に時効はない。
だからこそ、Age25を待った。25歳に戻れる日を待ちわびた。
俺が今日まで逮捕されなかった理由は、警察もそれを待っていたから。
潜伏が10年を超えていたら、また時効の壁が立ちはだかっていた。
何なんだよ、この状況は。
皮肉にしては出来過ぎてるだろう。
俺にとって8年は長かったんだよ。もう取り返しがつかないんだよ。
取り返せるはずだった若返りの呪病が、俺の未来を閉ざしたのかよ。
どこまでふざけた呪いだ、これは。
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「…面会?」
誰が来るんだ。
俺がマスコミに騒がれていたのは、ほんの短い間だけだった。裁判は
まだ終わっていないが、傷害罪なら3~5年くらいの実刑じゃないかと
言われている。8年と比べれば実にささやかな、塀の中暮らしだ。
「さっさと自首してれば、つまらん時間を過ごす事もなかったのにな」
谷岡の言葉には、何とも思い実感が込められていた。そりゃそうだな。
友子が生きてると知ってれば、俺も呪病なんかにすがらなかったのに。
まあいい。
殺人罪でないなら、やり直しの機会はある。そのための時間も得た。
数年でシャバに出る事が出来れば、今度こそ日の当たる生活ができる。
あと少しの辛抱だ。
とりあえず、面会とやらに行くか。
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「……?」
見覚えのある女だった。
しかし、すぐには分からなかった。
そして。
「久し振りね、元三さん」
声を聴いた瞬間、相手が誰なのかを察した。
友子だ。
8年前に俺が刺した直後に発症したとすれば、今は33歳って事か。
8年前が51歳だったから、かなり記憶の姿とは印象が変わっている。
今の俺より年上なのが、どうしてもしっくり来ない。
「…生きてたんだな」
「ええ、見ての通り」
身も蓋もない事を言ってしまったと思ったが、気にする風もなかった。
友子は俺に、怒りを向けなかった。
「あなたも若くなったわね」
「ああ、見ての通りだ」
「8年も身を潜めて、ずいぶん大変だったでしょうね」
「…まあ、それなりにな」
言葉を交わすうちに、俺は友子への形容し難い感情を覚えていた。
あれだけの事があったのに、友子はこの俺に普通に接してくれている。
8年の歳月が、いろんなものを変化させたのか。彼女の心さえも。
だとしたら。
「なあ、友子」
「はい?」
「待っててくれないか」
「え?」
「俺を待っててくれないか」
言葉は、勝手に口をついていた。
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やり直したいんだ。
自分だけではなく、君と一緒に。
虫のいい話なのは分かってる。でも今の気持ちに嘘は一切ない。
だから待っていて欲しい。
そんな願いを、言葉の勢いに任せてまくし立てた。友子はそんな俺を、
じっと見つめていた。あの頃と同じ眼差しで。
そして。
「ねえ、元三さん」
「ああ」
「あたしだってもう若くない。体は若返っても、心はそうはいかない。
何かを待つにも限度があるのよ」
「それは分かってる!」
俺は必死だった。
「だったら5年…いや3年だけでもいい。信じて待っててくれないか。
俺はきちんと罪を償って戻るから」
「3年?」
「ああ3年だ。それだけでいい!」
「……」
沈黙は長かった。
そして。
「だったら、ひとつお願いがある。聞いてくれる?」
「何だ?」
「待つ代わりに、今ここできっちり離婚に同意して欲しいのよ」
友子の口調は、淡々としていた。
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ダメかと思った。
しかし友子は、更に説明を重ねた。
自分は今日まで、梶元三の妻という肩書きに苦しめられて生きてきた。
どんな生き方を選ぶにせよ、そんな苦しみをもう引きずりたくはない。
やり直す形は色々あるはずだから、とにかくこの呪縛から逃れたいと。
呪縛か。
確かにそう言われればそうだろう。俺の妻という肩書きは、呪いだ。
だったら、俺の選択はひとつだ。
「離婚してくれるなら、3年待つ。それは約束する」
俺をまっすぐ見据える友子の目に、偽りの色は浮かんでいなかった。
信じていいと、俺には思えた。
「分かった」
「ありがとう」
ありがとう、か。
まさか今になって、友子がこの俺に「ありがとう」なんて言うとはな。
8年間いろんな事を考えていたが、さすがにこんなのは想定外だった。
だけど、悪くはない。
俺はきっと、やり直せるはずだ。
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11月22日 判決の日。
主文。
被告人・梶元三を、懲役3年の刑に処する。
3年か。
勝ち取ったと言ってもいい量刑だ。これで約束を果たせる。
俺は友子と、やり直せるんだ。
3年くらい、あの8年と比べれば…
なお。
ん?
何だ、まだ何かあるのか?
被告人・梶元三は、当該事件の後のAge25発症が確認されている。
よって彼には、呪病懲役特例が適用される。
「…は?」
特例って何だ?
俺が発症した事が、何だってんだ?
事件当時の被告人の年齢は53歳。3年の実刑期間は、現在の被告人が
もう一度この年齢に達した時点より有効となる。
ちょっと待ってくれよ。
どういう意味だ、それ?
ってかその特例ってのは、いつから施行されてるんだよ。知らないぞ?
53歳から有効って、つまり…
現在の被告人の肉体年齢は25歳。よって実刑の期間は、53歳に至る
28年が加算される。最終の量刑は合計、31年とする。
以上。
「待ってくれよおぉぉぉ!!!」
思わず放った俺の絶叫に、場の誰もまともに反応しなかった。
裁判官も弁護士も、傍聴人たちも。
ちょっと待ってくれよ。
懲役31年って何なんだよ。
あの8年は何だったんだよ。
俺は何のために待ってたんだよ。
なあ!
誰か教えてくれよオォォ!!!
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「終わったか。」
「ええ。」
陽光の差す、裁判所の正面玄関。
ゆっくりとした歩調で外に出てきた友子を待っていたのは、コート姿の
谷岡だった。
「取り乱してたか?」
「ええ。憶えのある大声でね。」
「そうか…」
ため息をつき、谷岡は空を仰いだ。
「…さっさと自首すりゃ、最大でも7年くらいで済んでたのになあ」
「25歳からやり直せるって選択があるなら、無理もなかった話よ」
「それがこの結果ってのは…」
「もういいじゃない」
そこで友子は、寂しげに笑った。
「最後の約束だから、3年は待つ。それは分かってくれますよね?」
「当たり前だ」
谷岡は、迷わず即答した。
「あんなひどい目に遭わされても、君は筋を通したんだ。だったらもう
俺だって待てるよ。あの男からの、最後の3年の呪縛くらいはな」
「ずっと支えてくれたあなただからこそ、けじめをつけてからね」
「そうだな」
顔を見合わせ、二人は笑った。
あの日。
死の縁から戻ってきた友子の姿に、谷岡は確かにひとつの希望を見た。
呪病Age25。
それは人間に対する、呪いの病だ。発症した者の運命は翻弄される。
でも、悪い事ばかりじゃない。
あんな形ではあっても、自分たちは出会う事が出来たんだ。
それぞれが発症した事で、もう一度新たな未来を描く機会も得られた。
8年をかけて、あの男は己の過去に蓋をしてしまう未来を選んだ。
時の流れに背を向けた結果、刑法の変遷を知る機会も得られなかった。
39年という歳月を、無駄にした。
これからの日々に未来などない。
自分たちは違う。
もう一度、失った時間を取り戻す。
呪病によって得た体で。
「とりあえず、食事にでも行くか」
「そうね」
約束は3年。
まあ、今まで通りの日々だ。
その後の事は、また一緒に考えればいいだけの事だろう。
希望を胸に抱いて。
並んで歩く二人の影が、イチョウの並木の向こうに小さくなっていく。
冬は、もうすぐだった。




