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 春になり、タイちゃんは、宣言通りに近くの高校に進学して、寿司たなべを継ぐ修行を始め、放課後は、沙織さんと一緒に厨房に立っていた。タイちゃんはどんどん料理を覚え、順調に修行は進んでいるようだった。私はタイちゃんの力になりたくて、放課後に母と一緒にお店の手伝いをするようになった。

 月日は流れ、タイちゃんは高校2年生、私は中学3年生になった。いつものようにお店の手伝いを終えて家に帰ると、今年受験生のお姉ちゃんが勉強していた。お姉ちゃんは看護師になるために、S市の看護学校に進学を希望していた。その学校は特待生になると授業料と寮費が免除になるので、勉強を頑張っていた。

「ただいま。」

私が言うと、お姉ちゃんは勉強を続けたまま、

「おかえりー。」と答えた。

「お母さん、今日用事があってもうすぐ帰ってくるらしいから、これ、夜ご飯。」

沙織さんからもらった賄いが入った袋をテーブルの上に置いた。

「お腹空いたー。今日は何?」

お姉ちゃんはテーブルの近くまでやってきた。

「天ぷら各種。タイちゃんが揚げたやつ。」私がそう言うと、

「ついに天ぷらも作れるようになったんだ。味をチェックしてあげよう。」

お姉ちゃんは袋の中をのぞき込んでニヤニヤした。

「いただきます。」2人で天ぷらを食べ始めた。

「悪くないじゃん。美味しい。」

お姉ちゃんはタイちゃんの作った天ぷらが気に入ったようだった。

「個人的には唐揚げの方が好きだけどねー。やっぱり肉だよ肉。」

「お姉ちゃん肉料理ばっかりリクエストしすぎだよ。」

2人で話してると、お母さんが帰ってきた。心なしか、いつもより暗い表情だった。

「おかえり。お母さんの分はこっちのお皿に分けておいたよ。今日は天ぷら。」

私が話しかけても、お母さんは心ここにあらずだった。

「どうかした?お母さん?」

いつもと違うお母さんの様子が気になったお姉ちゃんが話しかけた。少し黙ったあと、お母さんは覚悟を決めたように私たちを見た。

「真由、由梨、ただいま。ご飯を食べたら、大事な話があるから。お母さん先にお風呂入っちゃうね。」

お母さんの話し方で、何か大変なことが起こったのかもしれないと感じた。そこから私とお姉ちゃんは無言で天ぷらを食べ続けた。食べ終わった皿を片付け、お風呂上がりのお母さんを待った。お風呂から上がり、パジャマに着替えたお母さんは、テーブルの前に座る私たちを愛おしそうに見た後、向かいに座った。そして深呼吸をしてから、口を開いた。

「先月、健康診断があったでしょ。お母さんそれで精査してくださいって言われて、大学病院に行ったの。今日結果が出たんだけど….胃癌だった。」

 私とお姉ちゃんは息を呑んだ。しばらく無言になった後、お姉ちゃんが口を開いた。

「手術するの?それとも抗がん剤?」

お姉ちゃんは、いつもと違う真剣な口調だった。

「…もう、全身に広がってるから、緩和ケアになるみたい。打つ手無いんだって。」

目の前にお母さんが居るのに遠くから声が聞こえるようだった。お母さんが居なくなる。いつも私たちを見守ってくれた、大切なお母さんが…死んでしまう。私は何も言えなかった。

「セカンドオピニオンしようよ。お母さん。諦めちゃダメ。」

お姉ちゃんの目には涙が溜まっていた。

「真由、ありがとう。でもね、癌がどれくらい広がってるか、MRIとかCTの画像見たの。…もう、癌の転移がない臓器がないくらい、色々なとこに広がってた。脳にもたくさん転移してた。ものすごく進行が早い癌みたいで、別の病院で調べているうちに、死んじゃうかもしれないなって思ったの。だったら、うちの近くにある病院で緩和ケアしながら、最後の時間を迎えたいって思ったの。真由と、由梨と。…ごめんね。成人する2人を見守るってお父さんと約束してたのに…。守れなさそう。」

 そう言われて私は声を上げて泣いてしまった。一番辛いのはお母さんなのに、私は涙を止めることができなかった。神様はあまりにも残酷だ。そんな私をお母さんは強く抱きしめてくれた。

「由梨、ごめんね。お母さんね、由梨の優しさにたくさん救われた。仕事が忙しくて一緒に居られない時間が多かったから、中学生になって、一緒に、たなべで働けて、本当はすごく嬉しかったの。ありがとうね。」

お母さんは私の隣で涙を堪えるお姉ちゃんも一緒に抱きしめた。

「真由。いつも頑張ってくれてありがとう。きっと…お父さんがいなくなって、寂しくて、辛いこともたくさんあったのに、自分から「私はお姉ちゃんだから」って言って、たくさん我慢して、まだ17歳なのに、こんなにしっかり者になってくれてありがとう。学校のこともお金のことでお母さんを困らせないようにって選んでくれたんだよね?本当にありがとう。…たくさん背負わせてごめんね。」

 お母さんの言葉を聞いたお姉ちゃんも声を上げて泣き始めた。お姉ちゃんがこんなに泣く姿は生まれて初めて見た。私たち3人は声がかれるまで抱き合いながら泣いた。そして、子供の頃のように川の字になって眠った。

 翌日は土曜日で、私とお母さんは寿司たなべに出向き、沙織さんとタイちゃんに話をした。母が病気のことを話した瞬間、沙織さんは泣き出してしまった。

「沙織、そういうわけだから、仕事は辞めさせてもらうね。迷惑掛けてごめんね。」

母は沙織さんに謝っていた。

「涼子、謝らないで。お店のことは大丈夫だから…。涼子の悔いが無いように過ごして。私たちにできることがあったらなんでも言って。」

沙織さんは母の手を握って答えた。

「沙織、ありがとう。夫が死んだときに、沙織に助けてもらったことも、今日までも、本当に感謝してる。あのときからずーっと、たくさん。ありがとう。」

 母もそう言って泣き始めた。昨日あんなに泣いて、両目がぱんぱんに腫れていた私もまた泣いてしまった。そんな私をタイちゃんは心配そうに見つめていた。お母さんは、タイちゃんに話しかけた。

「タイちゃん、今までありがとう。由梨のことよろしくお願いします。」

お母さんが頭を下げると。

「俺が絶対由梨を守ります。約束します。」

目を赤くしながらタイちゃんは答えた。

お母さんと沙織さんは、手を握りながら話し続けていた。

「涼子さん、少し、由梨と話していいですか?」

タイちゃんはそう言うと、私の側まで来てくれた。

「うん、ゆっくり話して。私まだ沙織と話してるから。」

お母さんからそう言われたタイちゃんは、私の手を引いて、自分の部屋まで連れてきてくれた。

部屋の中に入ると、タイちゃんは私のことを抱きしめた。抱きしめられた瞬間、私は弾けたように泣き出してしまった。

「由梨、大丈夫だから、好きなだけ泣きな。」

タイちゃんはとても優しく声をかけてくれた。

「どうして、なんでお母さんなの、まだお母さんに何もしてあげられてないのに、こんなに大好きなのに、なんでもう一緒にいられないの、なんで神様は私の大好きな人ばっかり選ぶの...。」

タイちゃんはより強く抱きしめてくれた。

「俺がそばにいる。由梨が辛い時もずっと一緒にいるから。」

タイちゃんの温もりを感じながら私は泣き続けた。

 母はその日のうちに、近くのホスピスに入院した。学校には事情を説明して、私もお姉ちゃんも残された時間を出来る限りお母さんと一緒に過ごした。今までずっと働いてきたお母さんと、何にも邪魔されず、親子3人で過ごせる時間はとても幸せだった。でも、お母さんは徐々にできることが少なくなった。脳への転移が広がったのか、日中はほとんど眠って過ごすようになった。寝息を立てて眠るお母さんの手を、私とお姉ちゃんはずっと握っていた。

 そして、穏やかに、眠るように、お母さんは亡くなった。病気のことを言われてから、2ヶ月にも満たなかった。私は病室でタイちゃんに抱きしめられながら、ずっと泣いていた。


 お葬式でのお姉ちゃんは立派に喪主を務めていた。私は立っているのがやっとだったので、沙織さんと、タイちゃんに支えてもらって、なんとかお葬式を終えることができた。

 私もお姉ちゃんも未成年だったので、アパートは解約して、寿司たなべの2階に住ませてもらうことにした。貴史さんが昔使っていた部屋を、沙織さんが用意してくれた。初めてその部屋で過ごす夜、お姉ちゃんは私の手を握ってくれた。

「私、絶対看護学校受かるから。一緒に由梨も頑張ろう。」

 お姉ちゃんはすごい人だ。とてもカッコ良い。私もいつまでも泣いてばかりじゃいけないと思わされた。お姉ちゃんの手の温かさに安心して、私は久しぶりによく眠ることができた。


 お姉ちゃんは宣言通り一生懸命勉強して、希望していた看護学校に特待生としての入学を決めた。私も、タイちゃんと同じ高校に合格した。


 お姉ちゃんが引っ越す日、駅まで私とタイちゃんと沙織さんで見送りに行った。

「真由ちゃん。気をつけてね。困ったことがあったら、いつでも連絡してね。私は、真由ちゃんと由梨ちゃんを...娘だと思ってるから。」

沙織さんは私たちの親代わりとして、手続き含め、たくさん動いてくれていた。

「沙織さん、本当にありがとうございます。頑張ります。でも、無理はしないです。困ったらすぐ頼ります。」

お姉ちゃんは笑って言った。

「由梨、あんたも頑張ってね。何かあれば私に連絡してね。いい?それと太一郎、由梨のこと頼むからね。」

お姉ちゃんは私とタイちゃんを、交互に真っ直ぐ見つめた。

「うん、頑張る。」

「由梨のことは任せて。」

私たちは、改札の向こうに消えていくお姉ちゃんをずっと見つめていた。


 私は学校が終わると、まっすぐ帰り、寿司たなべで働いた。最初はホールだけだったけど、途中から、料理も教わった。沙織さん、タイちゃんが頑張って切り盛りする寿司たなべを、私も守りたかったのだ。


 高校卒業後の進路について考えた時、自然とそのまま、寿司たなべで働く未来しか考えられなかった。沙織さんはそんな私を心配して、

「由梨ちゃん。まだ若いし、色々な可能性があるんだら、行きたい学校があれば、遠慮せずに言ってね。涼子が残したお金もあるし...。うちで働くにしても、大学とか専門学校に行ってからでいいんだよ?」と言ってくれたが、

「ありがとう沙織さん。でも、私はこのままこのお店で働きたいんです。タイちゃんと沙織さんと。」

 こうして私は高校卒業と共に、たなべで働くことになった。


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