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私とタイちゃんの日々は穏やかに過ぎていった。タイちゃんは全国大会に向けて日々練習に励んでおり、私はそんな彼を応援していた。
でもそんな平穏な日々を打ち砕く出来事が起きた。タイちゃんのお父さんの貴史さんに病気が見つかったのだ。膵臓癌だった。見つかったときには全身に広がっていて、余命は3ヶ月と言われた。
「父さんに、絶対全国大会は行けって言われた。俺は、心配だし、こっちに残りたかったんだけど。」
タイちゃんは明らかに落ち込んでいた。ついこの前まで元気だった父親が余命宣告されたのだ。そうなるのも仕方ないと思った。
お店は沙織さんとお母さんの2人で、夜のみ営業して、沙織さんは日中ずっと貴史さんの病室にいた。どうしても用事がある時は、母に代わりに病室に居てもらっていた。タイちゃんの寡黙なところは貴史さん譲りで、病気になっても、決して弱音を吐かなかった。そして、体重が減り、明らかに弱っていく夫の姿を見守る沙織さんのことを思うと胸が痛くなった。2人はお互いを思い合う素敵な夫婦なのだ。
「父さんと約束したから、大会は全力で頑張る。コーチが保護者としてついてきてくれるみたいだから。由梨はこっちで母さん達の側にいて欲しい。」
そう話すタイちゃんの手を、私は力強く握った。
「分かった。任せて。タイちゃんは大会に集中して。遠くからでも応援してるから。」
タイちゃんは全国大会を順調に勝ち進み、準決勝に進出していた。準決勝と決勝の当日、沙織さんと母に外せない用事があり、私は1人で貴史さんの病室にいた。
「もう、由梨ちゃんも中学生だもんな。初めて会ったときはまだよちよち歩きの赤ちゃんだったのに…。本当にあっという間だ。」
いつも美味しいお寿司を握っていた貴史さんの無骨な指は、私と同じくらいの太さになっていた。弱っている貴史さんの姿をみて、私は涙が出そうになったが我慢した。
「…いつも、お母さんが言ってました。私とお姉ちゃんを育てられたのは、貴史さんと沙織さんとタイちゃんのおかげだって。…本当にありがとうございます。いつも感謝してます。」
私がそう言って頭を下げると、貴史さんはゆっくりと笑った。
「いいんだよ。…俺たちにはなかなか子供ができなくて、病院にも行って、やっとの思いで太一郎が生まれてきてくれたんだ。だから兄弟を作ってやりたい気持ちもあったけど、なかなか難しくて。一人っ子は可哀想っていう周りの声で、沙織も俺も傷つくことがあった。でも、そんなとき、涼子さんが、真由ちゃんと由梨ちゃんを連れてこの町にやってきてくれて。仕事は手伝ってくれるし、太一郎にも2人の可愛い姉妹ができたみたいで、本当に嬉しかったんだ。こちらこそ、涼子さんと真由ちゃんと由梨ちゃんには感謝しかないんだ。本当にありがとう。…こんなに優しい子と付き合えて、太一郎は幸せ者だな。」
貴史さんは私を見つめて優しく笑った。その笑顔はやっぱりタイちゃんに似ていた。そして初めて聞く思いに、私は目の奥が熱くなった。私が泣いちゃいけない。一番辛いのは貴史さんのはずだ。
「…タイちゃんは、本当に優しいです。すごく私のことを大切にしてくれます。そんなタイちゃんと一緒にいられて、私の方こそ幸せ者です。
それに…私、人間関係が上手く作れなくて、学校に行くのが辛い時期が長かったんですけど…お母さんと、お姉ちゃんだけじゃなく、貴史さんと、沙織さんとタイちゃんが私の居場所を作ってくれたから、ここまでやってこられました。本当に….本当にみんな大好きです…。」
どうしても堪えきれず、私は泣いてしまった。
「すみません。私が泣いちゃうなんて。」
そう言う私を見て、貴史さんはまた笑顔を見せてくれた。
「いいんだよ。本当にありがとう…。由梨ちゃん。これからも太一郎と、沙織をよろしく頼む。」
私は貴史さんをまっすぐに見つめて力強く頷いた。その日タイちゃんは全国大会で優勝を飾った。貴史さんはその3日後、皆に見守られながら亡くなった。
貴史さんのお葬式が終わった後、私はタイちゃんの部屋の前に立っていた。
「タイちゃん、入っても大丈夫?」
扉をノックして聞くと、
「大丈夫。いいよ。」
タイちゃんがそう答えてくれたので、部屋に入った。彼はベッドに座ってぼんやりと窓の外を眺めていた。
「タイちゃん、お疲れ様。」
私はそう言ってタイちゃんの隣に座って、手を握った。
「ありがとう。由梨も、真由ちゃんも、涼子さんもいたおかげで、なんとかなったよ。…母さんはまだけっこう落ち込んでるからさ。」
沙織さんは明らかに痩せていて、貴史さんの死から立ち直れていない様子だったが、私たちに心配を掛けまいと、無理して笑顔を見せてくれて、立派に喪主を務めていた。
「沙織さんも、タイちゃんもすごいよ…。タイちゃんは大会優勝して…貴史さん、本当に喜んでたから。」
「うん。約束を守れて良かった…。父さんに言われたんだ。「由梨ちゃんを大事にしろ。俺が母さんを大事にしたみたいに。」って…」
そう言うと、タイちゃんは静かに泣き始めた。私はタイちゃんの前に立って、彼を抱きしめた。
「タイちゃん。私、ずっとタイちゃんの側にいる。どんなにタイちゃんが辛いときも、私が支えてあげたい。」
私がそう言うとタイちゃんも私の背中に手を回して抱きしめ返してくれた。
「由梨、本当にありがとう。」
そう言って、しばらく2人で泣き続けた。
全国大会で優勝したタイちゃんには、全国各地の高校から熱心に特待生としての入学の誘いが来ていたが、タイちゃんはそれらを全て断った。近くの高校に進学して、卒業したら、寿司たなべを継ぐと宣言した。
「関わる人間ほぼ全員に、柔道を辞めるのは勿体ないって言われたよ。」
秋から冬に季節が変わる頃、いつもの学校の帰り道でタイちゃんは今までの経緯を話してくれた。
「まず、第一に俺はこの町を離れたくない。母さんのことも心配だし。誘わらたここから一番近い高校でも片道1時間以上掛かるし、寮生活になる。それに柔道の特待生として行くことになれば、柔道での成果を求められるから、学校で授業を受ける時間以外の全部を柔道に捧げないといけない。俺、柔道嫌いじゃないけど、そこまでの熱量が自分にあるかって考えたらそうじゃないって思った。そもそも好きな子を守りたいって気持ちで始めたものだし。それよりも、父さんと母さんが守ってくれたお店を、これからは俺が守りたい。母さんに料理を教わって、高校を卒業したら、俺が店を継ぐ。父さんはお前のやりたいようにやれって言ってたし、母さんも、責任感を感じなくていいって言ってたけど…俺、単純に、寿司たなべ好きなんだよね。だから決めた。」
迷いのないタイちゃんの言葉を聞いて、私も決心した。
「タイちゃんの人生だから、タイちゃんが決めたとおりにするのが一番だよ。私はタイちゃんの側でそれを応援して、支えたい。」
私の言葉を聞いて、タイちゃんは優しく笑って、手を握ってきた。
「ありがとう。でも、弱くなって由梨を守れなくなるのは嫌だから、柔道クラブにはこれからも時々行くよ。コーチみたいな感じで。」




