第二話 極悪役令嬢の作戦
それから数日。
私の誘惑作戦は、見事なまでに自爆を繰り返した。
「殿下、本日はお茶にお誘いして差し上げ……たく存じ……ますわ……」
「声が小さいな」
「だ、だからお茶に……っ」
「このハンカチは、わざと落としたのです。拾う名誉を差し上げますわ」
「そうか。では、ありがたく頂こう」
「返してくださいまし!」
「今日はずいぶんと背筋が伸びているな」
「き、気迫で圧倒しておりますの」
「なるほど。顔は真っ赤だが」
おかしい。
本来なら、私は相手を翻弄する側のはずだった。
それなのに実際は、毎回からかわれて逃げるのは私の方だ。
しかも腹立たしいことに、アラリック殿下はそんな私を面白がるだけではなく、きちんと時間まで作ってくれる。
忙しい公務の合間にも、私が訪ねれば会ってくれるのだ。
ある日、私は王宮の廊下で侍女が震えているのを見つけた。
私のために運ばれてきた茶器を落としてしまったらしい。
顔色は真っ青で、今にも泣き出しそうだった。
「申し訳ありません、ロザリンド様……!わ、私、取り返しのつかないことを……」
割れたカップの破片が床に散っている。
そこへ少し遅れてやってきたエレナが、わざとらしく口元を押さえた。
「あらまあ。ロザリンド様のお茶会だというのに、大変ですこと。侍女の教育もなっていませんのね」
その瞬間、私はすべてを理解した。
侍女が怯えているのは、失敗したからではない。
脅されて、無理をさせられたからだ。
私はしゃがみ込み、侍女の手を取った。
「怪我は?」
「え……」
「火傷はしていないのね。なら結構」
私は立ち上がり、エレナへ向き直った。
「教育がなっていないのは、どちらでしょう。立場の弱い者を使って小細工をする方は、見ていてあまり美しくありませんわね」
エレナの顔が引きつる。
「な、何のことかしら」
「別に。独り言ですわ」
私は侍女にハンカチを渡した。
「下がりなさい。今ここで責められるべきは、あなたではないわ」
そのとき、廊下の角にアラリック殿下が立っているのが見えた。
こちらを見ていたのに、何も言わず、ただ目を細めていた。
その夜、私は自室で悶えていた。
「なによ……っ。あんなふうに見られたら、余計に意識するじゃない……!」
私は『極悪役令嬢』のはずだ。
もっと冷酷で、もっと大胆で、もっと男を手玉に取る女のはずなのに。
現実の私はというと、彼に少し笑われただけで顔が熱くなり、少し褒められただけで心臓がうるさくなる始末だった。
けれど、日々を重ねるほど、私は彼のことを知っていった。
厳格で、隙がなく、王太子としての責務を誰より真剣に背負っている人。
同時に、弱い立場の者を見捨てず、理不尽を嫌い、静かな優しさを持っている人。
そして彼もまた、私を見ていた。
「ロザリンド。今日は薔薇の剪定を見たんだが、君に似た赤があった」
「な、何を急に……!」
「刺があるところも似ている」
「褒めておりませんわよね?」
「いや。私にとっては褒め言葉だ」
そんなことを言われるたび、胸が苦しくなる。
最初は利用するつもりだった。
本当に、そのはずだったのに。
「はは、また赤くなった。君は本当に飽きないな」
頭を撫でられる。
それだけで、私の頭の中は真っ白になり、当初の『復讐』や『野望』なんてどこかへ飛んでいってしまう。
(だめよ、私!私は稀代の『極悪役令嬢』なのよ!彼を惚れさせて、骨までしゃぶり尽くす予定だったのに、なんで私が毎日キュンキュンしてるのよ……!)
一方で、私とアラリック殿下の距離が近づくほど、面白くない者もいた。
もちろん、エレナである。
第二王子を射止めたあと、彼女が狙っていたのは次の地位、すなわち王太子妃の座だった。
だが、アラリック殿下は彼女に見向きもせず、婚約破棄されたはずの私とばかり親しくしている。
焦った彼女は、嫌がらせを露骨にしていった。
茶会での仲間外れ、偽の手紙、ドレスの裾への細工。
けれど、それらはどれも雑だった。
前世で修羅場の会社勤めを潜り抜け、ついでに悪役令嬢もののテンプレも知り尽くした私にとって、その程度の策はぬるすぎる。
「あら、エレナ様。私宛ての手紙なのに、なぜ貴女の香水の香りがするのでしょう」
「そ、それは……!」
「それとも最近は、筆跡だけでなく香りまで真似なさるの? 努力家ですこと」
「あ、あなた……!」
「ご安心くださいな。下手だと笑っているだけですもの」
私が涼しい顔で返すたび、彼女の評判は下がり、逆に私は凛として見えるらしかった。
納得がいかない。
中身は毎回、心の中で全力疾走しているのに。
そしてついに、その日が来た。
王宮で開かれた園遊会。
華やかな音楽、色とりどりのドレス、笑い声。
そのただ中で、エレナは最後の大勝負に出た。
王家の至宝、女神の涙と呼ばれるブローチが紛失し、それが私のバッグから見つかったのだ。
「ロザリンド様……!まさか王家の宝にまで手を出すなんて……!」
エレナが勝ち誇った声を上げる。
ジュリアンもすかさず声を張り上げた。
「やはり貴様は救いようのない悪女だ!この女を今すぐ捕らえろ!」
あまりにも古典的で、あまりにも雑で、逆に感心する。
私は小さく息をついた。
「ジュリアン殿下、証拠もないのに人を犯罪者扱いするのは軽率ではなくて?」
「証拠ならある!そのバッグの中に……!」
「これのことか?」




