#10 花の色はうつりにけりな 後編
彼女に支え起こされながら、俺は恐怖と悲しみで大量の汗と涙を流していた。
「……もう神力使いを降りたい。こんな悲しくて苦しい目に遭うのはもう嫌だ」
「少し精神支配しただけで戦意喪失したか。人間とはもろい存在だね」
俺を見下ろし悲しげに言う日彦命に、美月さんが訴える。
「日彦様。こんなひどいことはやめて」
「美しいね、若い君たちの魂は。無垢で純粋、打算がなくて、人を疑わず透明で。でもそれは、この現世で長く生きるうちに穢れていく。そして肉体は朽ち、魂は黄泉へと向かう。それはとても悲しい事だ。だが月姫よ。私と一つになれば、いつまでも永遠の時を生きられるよ」
「死にたくない……怖い……助けてくれ……」
俺の心は恐怖に怯え、逃避の願望でいっぱいになっていた。
「愛しい月姫よ。これ以上彼を苦しめたくないなら、彼に与えた神力を剥奪するのだよ」
震えている俺の背中を、美月さんが後ろからぎゅっと抱きしめた。
「夏輝くん。今までありがとう。いつも私のせいでつらい目に遭わせてしまって本当にごめんね」
背中から伝わってくる、温かいぬくもりと鈴の音のような声。
「もう頑張らなくても大丈夫だから」
その言葉とともに、俺の心の奥で輝いていた青白い光が失われた。
「これで彼はもう関係ありません。私が人柱になって……忌津闇神に堕ちた貴方を鎮めます」
気高さと気品をたたえた、凛としたその横顔。それが月姫命なのか、美月さんなのかは、もう俺には分からなかった。
「月姫、私と一つになろう。死から逃れ、ともに永遠の時間を生きよう」
俺から身を離した美月さんが、両腕を広げた日彦の腕の中へ滑り込んでゆく。
「さよなら……夏輝くん」
「やめろ……やめてくれ!」
黒炎に包まれた日彦命が美月さんを愛おしそうに抱きしめる。自分の想い人を、目の前で他の男に奪われる生き地獄。
──俺は馬鹿だ。日彦命は、月姫命の巫女神の夫だと最初から分かっていたのに。
こうなる前に、なぜ自分の想いを伝えなかった。全体の利益だとか、これから訪れる不幸にばかり気を取られ、一番大事な自分の気持ちを見殺しにした。他に何か解決策があったかも知れないのに。
「俺は君が……君のことが……!」
あふれ出るのはとめどない涙。心がこんなに拒絶しているのに、恐怖で体が動かない。日彦命と美月さんの唇が重なりかけた時、彼女の頬から、ひとすじの涙が流れ落ちた。
「夏輝くん」




