#9 姫巫女の苦悩
巫女神を始末すると言われ、優しい美月さんの笑顔が脳裏に浮かんだ。早く彼女に知らせなければならない。
「美月さ……」
どくん。再び強い金縛りが俺を襲う。
「かはっ……!」
今度は上半身が動かなくなった。黒い巨人から不気味な長い腕が伸び、俺は首をつかまれたまま、宙に掲げられた。
ぎちぎち、と首が絞められてゆく。頸部が圧迫され血流が止まるに従って、目の前が段々と暗くなっていく。化け物に俺は問うた。
「常世へ行ってどうするつもりだ……」
「長命と言われる常世人の魂を吸収し、力を得るのだ」
常世に残してきた家族や友人、そして白川ゆりあの姿が脳裏をよぎった。俺の大事な人たちの命を奪う。こいつは平然とそう言いやがった。怒りで逆上した俺は、その瞬間、恐怖を忘れた。
「ふざけるなぁぁぁっ!」
黒い巨人を見下ろすように睨むと、俺の瞳から放った青白く輝く神力が、黒い巨人の頭部を破裂させ、ようやく体が動いた。
「まさか。目から神力を放つとは」
「あいにく眼球だけは動くからな!」
俺は動くようになった右手をかざすと、自分の首を絞めている黒い巨人の腕を光り輝く神力で焼き切った。やはり、忌津闇神を祓ったあの力は本当だった。
絞められていた首を解放され、げほげほっ、と咳き込みつつ地上十メートルの高さから地面へと落下した。着地の衝撃を全身に受けてよろめきつつも、態勢を立て直した。しかし、安心する間もなく、黒い巨人の頭部が俺めがけて突っ込んでくる。
対抗するべく拳を突き出して、残る神力を放った。あやかしの黒いエネルギーと、青白く輝く俺の神力がぶつかり合いせめぎ合う。ダメだ。俺の神力の消耗の方が早い。このままじゃ押し負ける、と焦燥感に押しつぶされそうになる。黒い巨人が語りかける。
「汝は利用されていることに気づかないのか? 月姫命は汝を都合よく使役する目的で色香で惑わし、神力を与えた」
俺の手首に懸命に包帯を巻いてくれている美月さんの姿が心に浮かんだ。
「嘘だ……彼女が俺を利用してるなんて」
「あやかしの言う事に惑わされないで。厄を祓う神力は、つづらを助けてくれた貴方の『自分を変えたい』という願いに基づいてわたくしが授けたもの!」
鈴の鳴るような涼やかな声に我に返ると、神楽鈴を持った美月さんが隣に並んでいた。大人びたその姿は近づきがたい気高さに溢れていて、思わず鳥肌が立った。
彼女の全身から溢れ出した桜色に輝く神力と涼やかな鈴の音色が、黒い巨人を消し去る。
「今のあやかしは、見上げれば見上げるほど大きくなるあやかし『高坊主』。先程貴方がしたように、ゆっくりと見下ろしていけば小さくなって消滅します。恐怖にのまれてはいけません」
今話しているのは美月さんじゃない、と俺は気づいた。
「貴女はまさか……月姫命?」
「つづらが止めたにもかかわらず、貴方は禁忌を破って自分の意志で現世に来た。そして、美月に恩を返すと決めた。ならば、常世へ戻るまでは巫女神を護る神力使いとしての自分の役目を果たしてください」
「すみません」
俺は、一瞬でも美月さんと月姫命を疑ってしまったことを申し訳なく思った。月姫命がつづらから蛇封じの呪符を剥がすと、境内を埋め尽くしていた禍々しい毒葡萄が消えた。
月姫命の神力の力で、俺の心に誰かの心の中の映像が流れ込んでくる。
それは、美月さんの幼い頃の記憶だった。
──おじいちゃん。おとうさんとおかあさんはいつ帰ってくるの?
暗く静まった部屋の中で、小学生の兄と手をつないだ幼い美月さんが宿禰さんに尋ねる。
──美月たちのお父さんとお母さんは、神様になったんじゃよ。
肩を落とす宿禰さんと、泣きだした兄の背中を、死の意味を理解できない美月さんが心配そうにさする姿が見えた。あたりが暗くなり、宿禰さんの声が響いた。
──よいか美月。巫女神は月姫命のみたまを預かり、この土地と氏子たちを護る大切なお役目。しっかりとお勤めに励み、よい縁を結び、皆が幸せになるお手伝いをする。
──みづき、おつとめがんばる!
場面が変わって、小学生になった美月さんが暗くなるまで巫女舞の稽古に励む姿や、神社の社務や家事に追われる姿が映った。
──美月ちゃん、あーそぼ!
──ごめんね。わたし、家の仕事があるから。
つらい気持ちで誘いを断るうちに、次第に声がかからなくなっていく。
──美月ちゃん、このあいだは誘っちゃってごめんね。
──う、ううん! ごめんね。今度は一緒に遊ぶから。
──気を使わなくていいよ。家が神社だと忙しいでしょ。それに、美月ちゃんの家、おじいちゃんとお兄ちゃんだけだから大変そうだし。『月姫さん』のお仕事、頑張ってね。
──う、うん! ありがとう……。
一人で宮司と美月さんの両親の役割を果たす宿禰さんに本心を言えない美月さんが、鳥居の付近でウサギに似たあやかし達を撫でている。
──みんな、いつも遊んでくれてありがとう。もうじき五年生だから、思いきって自分から話しかけて友達を作ろうと思ってるの。でも、私が神社の子だって分かったら、またみんな私の周りからいなくなっちゃうかな。
美月さんが可愛いあやかしに目がないのは、一人ぼっちの寂しさを癒やすためだったと知って、思わず胸が痛くなった。あまりにも背負うものが多すぎる。
「──神力を消耗しました。また長く眠らねばなりません」
涼やかな声とともに月姫命の神気が消え、少女の顔に戻った美月さんが俺の手を取った。




