#7 あの月は雲の彼方に
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「夏輝くんの部屋はここだよ。箪笥の中の服も良かったら使ってね。お兄ちゃんはもう着ないから」
美月さんが案内してくれたのは、今は県外の大学に行っているというお兄さんの部屋だった。文机と和箪笥以外は何もないシンプルな和室だ。
「何から何までありがとう」
礼を言いつつも、普段の自分の家と月姫神社とのギャップ感が、家に帰りたい気持ちをいっそう募らせた。家族は今頃どうしているのだろうか。心配した家族が捜索願を出して大事になっているのではないだろうか。そして、ゆりあはどうしただろう。きっと俺を酷い奴だと軽蔑しているに違いない。それに進級早々学校に行けなくなって、単位の心配をしなければならないとは。
「不幸……もう何もかも終わった」
悪い想像だけが頭を駆けめぐり、思わず大きなため息が漏れた。二年に進級したのをきっかけに、嫌なことは忘れて、新しい気持ちで頑張るつもりだったのに、ゆりあには誤解され家にも帰れなくなり留年の危機に陥ってしまった。
「夏輝くん」
美月さんが突然ずいと距離を詰めてきた。後ずさりした俺の背中に和室の砂壁が当たる。
「な、何……?」
目の前に迫る黒目勝ちな大きな瞳に、心臓がどきんと高鳴った。
「運が悪い事を気にしない方が!」
「え?」
「参拝者の方にもお伝えすることがあるの。大事なのは心の持ちようで、おみくじで凶が出たとしても、また引き直せばいいんですよって」
「俺、神社でおみくじを引いても凶しか出たことがないんだよ。どうせ引き直したところで何も変わらないよ」
「それでも諦めずに引き続けていたら、いつかは大吉が出る時がくる。……私も、そう思ってこれまでやってきたから」
しかし、今の俺には彼女の優しい励ましを受け入れる余裕がなかった。
白い小袖に緋袴の巫女装束に身を包み、大和撫子らしい上品な所作──神社の娘として大切に育てられ、生き神として崇められるこの子に俺の何が分かると言うんだ。やるせない怒りと悲しみで、喉の奥からようやく出た声は、誰にも理解してもらえない悲痛な叫びでもあった。
「これまで人生でいいことなんて何ひとつなかった。今日会ったばかりの君には分からないと思う」
いつも押しつけられた『誰かの仕事』を、俺は黙って引きうけてきた。良いことをしても、褒められるどころか誤解されることの方が多かったような気がする。昔から同じ学校だったゆりあが、せっかく好意を持ってくれたのもつかの間のことで、あっという間に誤解されて嫌われて、そのうえ魑魅魍魎の跋扈する世界から戻れなくなったなんて。
一体いつになったら、この不幸は終わるんだ。これまでの人生で蓄積した不条理な感情が、喉元までこみ上がってきて声が震えた。溢れてくる涙をこぼれさせまいとどうにかこらえる。
美月さんがびくりと身を震わせた。
「ごめんなさい。つい分かったようなことを言ってしまって」
申し訳なさそうに目を伏せ、美月さんが静かに襖を閉めた。
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「ひどい事を言ってしまった」
俺とつづらは布団に転がり、開け放った障子窓から覗く満月を眺めていた。
「ミヅキは小さい頃に、祓いの事故で両親を亡くしたんだ。でも、スクネの仕事を手伝いながら健気に頑張ってる」
「俺、自分だけが不幸だと思ってた。明日、あの子に謝らなきゃ」
自身のつらさや寂しさを抱えつつも、他人の俺を気遣ってくれる美月さんの優しさが胸に沁みた。
「忌津闇神のこと、神力のこと……正直まだ心のどこかで夢じゃないかって思ってるんだ。でも、いつまでも目が醒めなくて、宿禰さんの言うとおり帰れなくなった事実が本当なんだとしたら、ここに居候させてもらうしかない。だったらせめて美月さんに少しでも恩返ししたい。初めて会ったはずなのに、他人のような気がしなかったし」
「他人のような気がしないのは、キミとこの神社の間に小さい頃からの強い縁があるからだろうね。でもナツキ、眷属神のボクが言うのも何だけど神力使いの使命は過酷だ。キミが一日も早く元の世界に帰れるようにボクも手伝う。とにかく今日は疲れただろうから、まずは早く寝ることだね」
さっき神力を放った右手を広げ、天井にかざす。厄や穢れを祓う神力に、常世と現世。巫女神信仰、あやかしが集まる月姫神社。まだ情報が頭の中に追いついていかないけど、とにかく長い一日だった。
「おやすみ、ナツキ」
「おやすみ、つづら」
色々なことがありすぎてまだ頭の中が混乱していたが、それよりも疲労の方が勝り、俺はあっという間に眠りに落ちていった。




