#10 悪王子の正体 後編
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夕食時の蓬莱家は、久しぶりに和やかなムードに満ちていた。普段は神道の決まりに基づき食事中喋らないことになっているが、今日は例外だ。食卓に並ぶのは、俺が仕込んでおいたアサリの炊き込みご飯とキュウリとイカの酢の物、氏子さんから戴いた鮎の塩焼きにゼリー状の膜が美味しいジュンサイの吸い物だ。涼やかなガラスの小皿に、デザートの葡萄を盛りつけると、美月さんが歓声を上げた。
「きゃあ美味しそう! 早く食べたいな」
透き通ったガラスの盃になみなみと注がれた冷酒を、宿禰さんがぐいと傾けた。
「俺、よく分からなくなってきたんですけど、そもそも悪王子さまって何の神様なんですか?」
「強大な力を持つ素戔嗚尊の荒魂じゃよ」
──スサノオ。前に美月さんが言っていた、男神イザナギが黄泉の国から常世に逃げ帰った時に、水辺で体を清めて生まれた三柱の姉弟神が、アマテラスとスサノオ、ツクヨミだったはずだ。
「じゃあ悪王子の姉神のヒルメ様って……」
「大日孁──別名、天照大神の分霊じゃな」
「俺達、とんでもない神様と戦ってたのか……」
あまりに畏れ多すぎて言葉も出ない。
「だけど矛盾してるよね。僕らの知ってる『古事記』の中でスサノオはヤマタノオロチを退治しているのに、五霜山では大蛇になって人間に討伐されてしまうなんてさ」
巴が葡萄をつまんだ。
「素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した際に、その性質を獲得したのじゃろう」
宿禰さんの盃が空になったことに気づいて、俺は冷酒を注いだ。ありがとう、と述べた宿禰さんが嬉しそうに盃を傾ける。
「ところで美月に夏輝くんや。稲荷大神様の朧とか言う新しい眷属神……あれは野狐ではないのか?」
凍りつく俺たち。ドライなつづらとクールな巴だけが涼しい顔でポーカーフェイスを貫き通している状態だ。
「だって可愛かったんだもん。犬一匹飼うんだと思って許してよぉ!」
「俺がついていながらすいません。不可抗力だったんです……毛がモフモフで……」
俺は連座制説教一時間コースを覚悟した。
「今回は不問じゃ。今日は本当にみんなよく頑張ってくれた」
目を細めつつ盃を傾ける宿禰さんに、美月さんが後ろから抱きついた。
「おじいちゃん大好き! ところで夏輝くん、鮎の塩焼きってまだある?」
「まだ食べるの? もう十匹は出したよ?」
「安心したらお腹がすいちゃって!」
どっと笑いが湧きおこった。賑やかな時間はとにかく楽しくて、あっという間に過ぎ去っていった。
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皆の言葉に相槌を打ちながら微笑む美月さんを横目で見ながら、俺は彼女がここにいてくれる喜びを噛みしめた。
美月さんが自分の身を犠牲にして俺の命を救おうとしてくれた時、俺は彼女のいない世界で生きていくなんて無理だと思った。例え美月さんが俺なんかとは関わりのない世界の人で蓬莱山の高貴な天女の末裔で、日彦命の妻だとしてもだ。
俺の彼女に対する感情は、それが全てだと思う。決して成就することのない恋だとしても、今はただ彼女のそばにいられればそれだけで僥倖だと俺は心から思った。




