#9 水はめぐり、命潤す 後編
「オレの完敗というわけか」
降りしきる一面の雨の中、立ち尽くしている悪王子神。
「……しかし、解せぬ」
その言葉に、全員が身を固くした。
「神力使いよ。吹けば飛ぶほど脆弱な貴様ら人間が、なぜ命を賭してまで神に抵抗する? わずか数十年の短い命、足掻いた所でどうせすぐ死ぬ。無駄な労力ではないか」
俺は少し考えてから答えた。
「短い一生だからこそ、今生きているこの一瞬を後悔したくないからです」
俺の言葉に、悪王子の瞳に差した光が大きくゆらめいた。そしてそのまま、くっくっと笑った。
「そこまでして生にこだわるか。その脆い体の中には、一体何が流れているというのだろうな」
悪王子の抽象的な質問に俺が答えられないでいると、宿禰さんが俺の前に進み出た。
「我々の体に流れるもの──それは、『水』でございます」
「水だと?」
「山に降る雨は地中を流れ、やがて集まり川となり海に入り、ふたたび雲となる。水はめぐり、多くの命を潤します。水は命そのもの。私どもの体をめぐるのは、悪王子さまの降らせてくださる『雨』でございます」
宿禰さんの言葉を黙って聞いていた悪王子が呟いた。
「明光があの時あれだけ必死だったのは、人の短い命を水で繋ぐためだったという訳か」
考え込む様子の悪王子に、ヒルメ様が諭す。
「悪王子。貴方がどれだけ頑張っても月姫の巫女神の気持ちは変わりませんよ。それよりも、たまには妻たちの所へ顔を見せてあげなさい。みな寂しがっていますよ」
ヒルメ様の言葉に、悪王子が懐かしそうな顔になる。
「姉上のおっしゃる通り、久しぶりに妻たちの元へ帰ることといたします」
「ええっ! 奥さんいたんですか?」
「……三柱いるが。それがどうしたと言うのだ?」
「奥さんが複数いるのに美月さんと結婚しようとしてたなんて!」
巴が苦笑しながら俺を肘でつつく。
「夏輝。羨ましい事に八百万神様達の結婚はおおらかなのさ」
「いいなぁ、俺も神様になりたい」
「ミヅキ聞こえた? モテない男たちの会話」
「男の子ってやだ! 信じらんない!」
つづらと美月さんの呆れたような視線を背後から感じ、慌てて話題を変更する。
「それにしてもお二柱は姉弟なのに、あまり似ておられないんですね」
悪王子神と並んだヒルメ様がふふっと微笑んだ。
「私達にかたちはありません。あなた方が望む姿が、私達の像を結んでいるのに過ぎないのですから」
やがて、雲間から射す金色の光を浴びた悪王子が、俺に向かって振り返る。
「神力使いよ。そう言えばまだ貴様の名を聞いていなかったな」
「瀬戸夏輝です」
「……いい勝負であった。覚えておこう」
悪王子が口の端に美しい笑みを浮かべ、思わず見とれた。それは嘘偽りのない、心からの素直な賛辞だった。死力を尽くして技をぶつけ合った悪王子と、初めて心が通い合ったような気がした。
「来年の雨乞い、楽しみにしているぞ」
「えっ? ちょっと待ってください。また悪王子さまと戦うって事ですか?」
巴が片手を挙げた。
「あのー。死にかけたから僕は来年はパスで」
「おい巴! お前がいないと乗り切れないだろ!」
「ははは」
悪王子が高らかに笑う。
ずっと不機嫌だった悪王子神が笑っているところを、初めて見た気がする。
「さあ悪王子、参りましょう」
「ええ。姉上」
ヒルメ様が悪王子を優しく促すと二人は光の輝きの中へと消えていき、辺りは一面
の天気雨となった。




