#5 俺達流の雨乞い 前編
「そんな。一体どこへ?」
「わしらの命を救うために悪王子神の妻になりに行ったのかも知れん」
「……俺が弱音を吐いたせいだ」
昨夜、俺を巻き込んだことを悔いている美月さんの前で泣き言を言ってしまったことを後悔した。
つづらと宿禰さんと三人で月姫神社の境内の悪王子社へ向かうと、扉が開いたままになっていた。そこには、昨日とは別の風景が広がっていた。朝もやに包まれた林が広がり、鳥居が見えた。どうやらこの社は、五霜山の悪王子社と繋がっているらしい。扉をくぐると、黒雲に覆われた空と吹き抜ける生暖かい風の中で、悪王子と巫女装束姿の美月さんが対峙していた。彼女の瞳には覚悟を決めたかのような強い光が宿っていた。
「自ら来たとは物わかりが良いな。来い、我が妻よ」
切れ長の瞳を妖しく輝かせた悪王子の腕の中に美月さんが滑り込んでいく。
「美月さん待って!」
俺の胸は、張り裂けそうになっていた。お願いだ、悪王子のものにならないでくれ。
「私のこの体は日彦様のもの。どうか悪王子社にお鎮まりください!」
その言葉に、俺は彼女が日彦命の妻であることを容赦なく思い知らされた。それは、忘れようとしていたはずの残酷な事実だった。
「ぐっ……! 放せ!」
美月さんが悪王子の両腕を細い腕でつかむ。彼女の全身がまばゆい桜色に光り輝いて悪王子神の全身を纏う青き神力を抑え込んでいく。俺達は月姫命の神力の強さに圧倒され、動けずにいた。
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その時だった。悪王子社の裏側から、どす黒い色の霧が飛び出した。悪王子を封じかけていた月姫命の神力が消滅する。
「いかん! 忌津闇神じゃ」
忌津闇神──それは信仰を失った神のなれの果ての姿だ。宿禰さんが祭具の中から紙のたくさん下がった大幣を構えて大きく振った。黒い霧が液状に形を変え、宿禰
さんの大幣を回避して俺の目の前へ飛び出る。
「祓い給え!」
左の手のひらに意識を集中し、球状にまとめたつづらの神力をぶつけると、忌津闇神が黒いタール状の穢れを飛び散らせて消滅した。
「時間の経過とともに神域の結界が脆くなり、忌津闇神が入り込んだ。それがオレの不調の原因か」
ぞくりとする殺気が俺たちを刺す。
「悪王子社に障りをなしていた忌津闇神は祓いました。後は祈りの力で貴方様の神力を回復いたします」
宿禰さんが笏を持ちひざまずき祈りの姿勢を取ると、雨乞いの祝詞を奏上し始めた。
「常も仕え奉る悪王子の大神の御殿に掛けまくも畏き天水分神、国水分神、高意賀美、闇意賀美の神霊を招ぎ奉りませ奉りて──速やかに神験有らしめ給えと畏み畏み申す」
だが、悪王子の神力が回復している気配がない。焦りで手のひらが湿り、額を冷たい汗が流れていく。
まだか。まだなのか。俺は、悪王子と灰色の曇り空を交互に見ることをただ繰り返していた。宿禰さんが笏を持って一礼すると、悪王子が温度のない声で言い放った。
「宮司よ。まだ力が戻らんぞ」
「そんなはずは」
「約束通り巫女神を差し出せ」
悪王子が美月さんの周囲に青い神雷の走る結界を張った。
「あっ……!」
苦しそうに美月さんがうずくまった。
「これでしばらくはそなたも動けまい」
浅沓を鳴らし狩衣を揺らして、悪王子が美月さんの前に歩いてくる。
「……やめろ!」
気づくと、ひとりでに足が前に踏み出ていた。俺が恐怖に怯えている間にたった一人で悪王子神の元へ向かっていった美月さんを思うと、いてもたってもいられなかった。
「どういうつもりだ?」
悪王子の視線に険が帯び、全身に青い稲妻が走る。なんという殺気。
「夏輝くん。私の事はいいから逃げて!」
金切り声で叫ぶ美月さんに向かって俺は叫んだ。
「弱音ばかり吐いてごめん。俺はもう大丈夫だ!」




