#4 明日には消えてしまうかも知れぬ幻 前編
「それなら、悪王子をわざと怒らせて雨を降らせてもらうのはどうですか? 月姫命に袖にされた時、怒りの長雨が降ったってつづらも言ってましたし……」
「しかし夏輝くん。あの神雷をまともに受ければ命はない」
「いや、今の弱り切った状態なら意外と勝てるかも知れないよ?」
巴の言葉に、ちょうど同じことを考えていた俺はうなずいた。巴が指を折りながら数を数える。
「さっき数えてたんだ。最初に大きな雷が一回、その後に連続して小さな雷が三回、最後の『本気でいくぞ』が一回。悪王子さまが力尽きて倒れたのがその直後。だから、五回を耐えさえすれば、こっちの勝ちだよ。ただ、夏輝とつづら様の力だけじゃ不足があるから、じーちゃんと僕でバックアップする必要がある」
「さっきは身がすくんでしまったけど、ナツキにたくさん神力を流せるようにボクも頑張るよ」
美月さんの膝の上でつづらが言った。
「うむ。障りを取り除き、神力を戻すための祈祷を行なった上で効果がなければ、最後の手段としてわざと怒らせるのもありかもしれんよ。とにかく、できる限りの手を打たねばならん。天満宮へ詣でておくとしよう」
「天満宮って、学問の神様である菅原道真を祀る神社ですよね。悪王子神と何の関係があるって言うんですか?」
「それはじゃな……」
立ち上がり社務所を出ていく宿禰さんを、俺たちは慌てて追いかけた。
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「神をも恐れぬ不届き者が!」
身を震わせるほどの怒号が響き渡り、網膜を焼ききるほどの強い光とともに、青い強烈な稲妻が悪王子神の全身から放たれ、俺とつづらの放つ青白く輝く神力を一瞬で吹き飛ばした。
強い電流が全身を駆けめぐった後、細胞の一つ一つを焼き焦がす地獄のような苦痛に見舞われる。
「ぐあああっ!」
吹き飛ばされた俺とつづらは地面に倒れ、のたうち回って痛がった。圧倒的な力に屈したくはないがその実力差はあまりにも明白で、護るべき人の姿が今はとても遠く見える。悪王子神がすすり泣く美月さんをその腕にかき抱いた。なすすべもないまま、俺の喉の奥から出てくるのは情けない懇願の声だった。
「やめてくれ……お願いだ……」
気づけば、涙を流していた。墨を流したような夜の闇の中で布団の重力が楔のように俺の身を縛っていた。ようやくのことで布団をおしのけ、額にじっとりと滲んだ汗をぬぐい身を起こした。
「夢か……」
胸騒ぎがおさまらない。不吉な予感はとても夢の中だけではおさまらず、状況は八方塞がりで、嫌な想像しか浮かばない。
水でも飲もうと、家人が寝静まった後の廊下を歩いて台所へと向かう。階段から誰かが降りてくる気配に、思わず足を止めた。宵闇に青く染まる階段の中、窓から落ちてくる月光を浴びて、浴衣姿の美月さんが立っていた。
冷水を入れたコップを一つ美月さんに渡し、もう一つは自分で飲み干してひと息ついた。
「明日、本当に大丈夫かな。俺、悪い想像しか浮かばなくて」
「大丈夫だよ。天満宮に行った後、みんなで神事の打ち合わせもした。やるべき事は全部やったもの」
美月さんを奪われたくはない。だが一方で、死ぬのも怖い。俺は怯え、美月さんの励ましをどこかうわの空で聞いていた。
「夏輝くん、震えてる。ごめんなさい。また巻き込むことになってしまって」
美月さんが鈴の音が響くような声で言うと、突然俺の首に両腕を回した。あまりの距離の近さに、心臓が止まりそうになり動けない。視界の端に映る伏せた長いまつ毛、長い黒髪から漂う清らかな香りにくらくらと眩暈がする。
「な、何……?」
「月姫神社の御守り。夏輝くんが無事で帰れますように」
胸元を見ると、月の神紋が入った御守り袋が揺れていた。異性として意識しないよう精一杯努力している男の前で、一体どういうつもりなのだろうか。でも、彼女とこうして二人でいられるのも、今夜が最後かも知れない。どうせ死ぬのなら、悪王子よりも先に彼女の華奢な体をこの腕に抱きしめたい。




