#2 悪王子(あくおうじ) 前編
ちょうどその時、白い浄衣姿の宿禰さんが拝殿から歩いて来た。美月さんが緋袴をはためかせて、宿禰さんの元へと走って行く。
「おじいちゃん!」
「どうした美月? この一ヶ月雨が降らんから今から宮司仲間と雨乞い神事の打合せを……」
「実はねぇ、怒らないで聞いてくれる?」
「分かったから結論を言いなさい」
「ねぇねぇ本当に怒らない? おじいちゃんって犬派? 猫派? それとも狐派?」
「なんじゃ怪しいのぉ……」
突如、境内の赤い橋のたもとにある白い祠の扉が物凄い勢いで揺れ始めた。
「いかん。早く押さえるんじゃ!」
宿禰さんと美月さんが目にも止まらぬ速さで祠へと走り、がたがた揺れている木の扉を押さえる。俺とつづらも加勢したが、中から漂ってくるただならぬ気配に不吉な予感を抱いた。
「前から聞こうと思っていたんですけど、ここには一体何が祀ってあるんですか」
美月さんと宿禰さんが一瞬顔を見合わせた後、慌てて俺から目を逸らした。
「とってもご利益のある神様だよ!」
──怪しい。確か月姫神社の地下には数多の魑魅魍魎が封じられていたはずだ。もしかしてこの社も事故物件なのではないだろうか。宿禰さんがゴホンゴホンと咳払いしつつ新しいお神札を貼ろうとしたその時、青い稲妻が迸った。
「悪王子さまの封印が解けてしまったわい!」
扉が音を立てて開き、白足袋を履いた足がぬっと出てきた。
⛩⛩⛩
社から姿を現したのはすらりと背の高い、思わず見とれてしまうほどの涼やかな美男子だった。色白の細面、切れ長の瞳、鼻筋の通った完璧な顔立ち、その身には金糸の刺繍が入った、目の覚めるような青い狩衣を纏っている。
ただ、湖のような静謐さをたたえた瞳に宿す光には、ぞくりと凍りつくような冷たさがあった。美青年が俺たちを一瞥すると、つづらが俺の肩の上で身を固くし、美月さんが慌てて俺の後ろに隠れた。
「月姫よ。逢いたかったぞ」
宿禰さんが床に頭を擦り付けるようにして低頭した。
「悪王子さま。この子は蓬莱明光の末裔。いずれ代替わりする巫女神であって、月姫命ではございません。どうかご容赦を」
「月姫命を宿す巫女神か」
張りのある伸びやかな低音の男声は涼やかで、それでいて落ち着いている。
「宮司よ。この封印が解けたということは、おおかた世が水不足になっているということであろう?」
「それは……」
宿禰さんが言葉をつまらせる。
「水不足を解消する程度の雨など、いとも簡単に降らせられるぞ。ただし」
美青年があやしくも美しい笑みを唇の端に浮かべる。
「月姫の巫女神をこの悪王子の妻にすることが条件だ。明後日の『五霜山の祭礼』までにどうするかを決めておけ」
──日彦命の妻である美月さんがさらにこの悪王子と名乗る美青年に求婚されているのを見て、俺の頭がまるで雷で打たれたかのように真っ白になった。




