#5 不幸な高校生、月姫神社の居候になる
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「──それで、帰れなくなったと」
月姫神社の社務所で、俺は正座してうつむいていた。隣には美月さんが座り、その膝の上ではつづらがとぐろを巻いて休んでいる。
俺の正面には、鮮やかな緑の狩衣に、紫の袴姿の老齢の宮司が難しい顔で座っている。鶴のように痩せた体に白眉にあごひげを伸ばした、人のよさそうな感じの人だ。老宮司が文机の上から住宅地図を持ってきて見せてくれた。
「ここが、君が今おる月姫神社じゃ」
老宮司が地図の上の鳥居の記号を指さした。その横には鳳凰市青桐町、とある。地名や地形は俺の住んでいる地域と同じだが、高校の周辺が一面の田んぼと畑に置き換わっていた。
「ちょっと待ってください。今って西暦何年ですか?」
「二〇××年じゃ」
「俺の生きてる時代と同じ? 明治とか昭和とかじゃなくて?」
ますます意味が分からない。美月さんと顔を見合わせた後、老宮司が言葉を選びつつ、と言った感じで説明する。
「君、落ち着いて聞いてくれるかね。はるか昔……この社には月姫命と日彦命という男女二柱の神がおられ、恋人同士であった。しかし四百年前に日彦命がこの現世と瓜二つの常世という別の世界を作り、出ていってしまわれた。以来、ここ『現世』には、ごく稀に『常世』から迷い込んでくる『常世人』と呼ばれる者がいると言う。恐らく君がそうなのじゃろう」
「俺が別の世界から来た人間?」
「さよう。君のいた世界をわしらは『理想郷』の意味を込めて、『常世』と呼んでいる」
目の前が真っ暗になった。眩暈とともに胃の中からせり上がってくる胃液と吐き気、脳内に渦巻く得体の知れない不安と焦りで、居ても立っても居られなくなる。
そろそろ両親も帰ってきて、家族みんなで夕食を食べ始める時間だ。それにまだ新しいクラスメートとも連絡先の交換をしていないし、ゆりあの誤解も早く解かなければならない。
「俺はどうしたら元の世界に帰れるんですか?」
思わず身を乗り出すと、老宮司が静かに告げた。
「誰かの助けになるような善行を積めば、『常世』がだんだんと近づいてくると聞く」
老宮司が障子を開くと、明りに照らされた境内の巨木が見えた。
「月姫神社の桜梅桃李──桜、梅、桃、スモモの四種の木が一本に繋がった樹齢千年の珍しいご神木じゃ。ほら、見てみなさい」
桜梅桃李の木がまばゆく光り輝いたかと思うと、みるみるうちに見事な枝垂れ桜が咲いた。
「桜が咲いた……?」
「仲睦まじかった月姫日彦の二柱の神は、かつては縁結びの神であった。月姫命の神力で災厄を祓い、誰かの縁を結ぶたびに、徳の力でこの花が少しずつ咲いて鳥居の結界を押し開けると文献に記されている」
「おじいちゃん。桜梅桃李を満開にすれば夏輝くんは常世に帰れるの?」
美月さんが問うと、老宮司が頷いた。
「さよう。通常は『十年に一度のペースで満開となる』と言われておる」
「じゅ……十年?」
その言葉に、膝の上で握りしめた手が震えた。あの花を満開にするのに、そんなに時間がかかるのか。つづらが俺を鳥居の向こう側に来させまいとしていた意味がようやく分かった。それなのに愚かな俺は禁忌を破り、自らの意志で鳥居の先へ足を踏み入れてしまった。これまでの十六年の人生で一番最悪の不幸に、ショックのあまり涙さえも出てこない。
「十年も家族に会えないなんて。学校だってあるのに」
「鳥居の結界は数時間は開いているが、運の悪いことに忌津闇神が現れたせいで君は帰れなかった」
「なんで俺はいつもタイミングが悪いんだろう。あんな大きな木の花を満開にするなんて無理だ。不可能に決まってる」
「確かに常世と現世の行き来は、そう簡単にできるものではない。それを、大きな徳を積むことで早めることができるという話じゃ」
「大きな徳を積んで早める……」
「絶望しなさるな。君は先程、忌津闇神を祓ったろう。だからあの桜が半分咲いた。人に仇なす神やあやかしの被害を防ぐことも立派な善行じゃ。あの量を一度に咲かせるとは大したものじゃ。なに、後は桜の残りと、梅、桃、スモモの三種を咲かせるだけじゃよ。そう考えれば、帰れる気がしてきたじゃろう?」
「三種の花を咲かせれば帰れる……」
そう言われれば、不可能ではないかも知れない気がしてきた。顔を上げると、老宮司の誠実そうな瞳がそこにあった。
「わしは蓬莱宿禰と申す者。この子は孫の美月じゃ。今日は遅いし、泊まっていきなさい。夜になると、外はあやかしの往来が増えて危ない。何なら常世に戻れるまでの間、しばらくここに住んでもいい」
見ず知らずのご一家に甘えるのも気が引けるが、他に行く当てもなく外では何が起こるかも分からない。当面はこの月姫神社にお世話になるのが最良の選択だろう。俺は宿禰さんと美月さんに向き直り、畳に手をついた。
「瀬戸夏輝です。高校二年生です。しばらくの間、お世話になります」
「私も高二なんです」
美月さんの顔が明るく輝いた。年は近い気はしたが、同学年と聞いて親近感がわいた。




