#4 忘れられた神様
「神力使いよ。人は自分の都合の良い時だけ誰かを利用し、不要になれば捨てる。そういう勝手な存在なのだ」
子どもの頃、縁日によく出かけていた神社が廃社された記憶がよみがえった。社に人々が集まらなくなれば、信仰が失われる。それは、その神自身が悪いわけではない。俺と同じ、不運なだけなのだ。
「……分かるよ」
「お前などに何が分かる!」
俺は忌津闇神に向けて手を差し伸べ、瞳を閉じた。神力で忌津闇神の記憶を受け取れたのなら、俺の数々の不条理にまみれた半生の記憶を送ることもできるはずだ。
文化祭の実行委員会の助っ人を頼まれて、その期間だけ大事にされて、文化祭が終わるとみんなが俺の周囲から去ったこと。毎朝、学校の花壇の手入れをしていたのは俺なのに、たまたま花壇にしゃがんで花を見ていた学級委員長が先生に礼を言われて、委員長もそれを訂正しなかったこと。体育教師に頼まれて女子更衣室の近くにバレーボールを戻しに行っただけで覗きだと勘違いされてしばらくのあいだ濡れ衣が晴れなかったこと。数々の忌まわしい不幸が浮かび上がってくる。
「神力使いよ。これがお前の半生だと言うのか?」
「ああ。何をやろうにもいつもタイミングが悪くてうまくいかないんだよね。誰かに利用されたり、手柄を横取りされたりすることなんてしょっちゅうだ」
隣の美月さんがおそるおそる、俺に問いかけた。
「女子更衣室を覗いたんですか?」
「覗いてないです!」
記憶の中で、落ち込んでいる俺の膝の上に神様の金色のミカンがひとつ落ちてくる。神社に迎えに来た母親が、泣いている俺の隣に座った。
──そう。夏輝はえらかったわね。親切は見返りを求めてするものじゃないわ。誤
解だけはちゃんと訂正して、胸を張りなさい。あなたの優しさは、知られなくてもどこかでちゃんと誰かの役に立ってる。誇りに思っていいのよ。
母親の温かな声を思い出しながら、俺は言った。
「でも、誰か一人でも気持ちを分かってくれる存在がいればそれでいいって俺は思ってる。この神社の神様みたいに大勢の人に拝んでもらえなくても、たった一人でも拝んでくれる存在がいるなら」
「黙れ。我にはもう拝んでくれる者など一人もいない!」
悲痛な叫びが俺の耳をつんざいた。共感だけでは、忌津闇神は納得しない。境内の玉垣の後ろに避難した参拝者たちが遠巻きに俺たちを見ているのが見える。このままでは忌津闇神が再生して、あの人たちの魂が喰い散らかされる。
「──では、私があなたを拝みます」
美月さんが鈴の鳴るような声で言うと、忌津闇神に向かって二礼し、柏手を二度打って深く一礼した。少女の横顔が、神楽を舞っていた時の厳かで気品をたたえた大人びた顔に変わる。
「俺も拝むよ」
美月さんに続いて忌津闇神を拝した。そのすさんだ心が癒えますようにと祈る。
水たまりになってびちびちと跳ね回っていた忌津闇神がだんだんと静かになる。
「……ああ。誰かに拝まれるとは百年ぶりか」
美月さんが、鈴の響くような声で語りかける。
「あなたのもたらした豊かな水のおかげで、土地の人々は命を繋ぐことができました」
美月さんが忌津闇神をじっと見つめる。
「……視えた。あなたのいた村の名前は『蜷』。巻貝の神のあなたに感謝した人々がつけた名前。ほら、あちらを見てください」
美月さんの声に顔を上げると、避難していた参拝者たち──老人から小さな子どもまでが忌津闇神に向かって深く頭を下げていた。
「この近くには、何代か前に山から降りてきた人がたくさんいるの。蜷の村の子孫たちも。みんなが今も生きているのは、あなたのおかげです。みんなあなたに感謝していますよ」
「忘れられたと思っていた」
美月さんが扇をかざし神楽鈴を振ると、忌津闇神を包むヘドロのような穢れが桜色に光り輝いて消滅してゆく。黒い水たまりの後に残ったのは、小さな巻貝だった。
「タニシ?」
驚く俺の隣で、美月さんが言った。
「忌津闇神の正体です。今の祈りが祓いになって、穢れが落ちました。神としての役目が終わったの。川に返してあげましょう」
⛩⛩⛩
「私のせいで本当にすみませんでした!」
「そ、そんなに大袈裟にしなくても大丈夫なんで! どうせ夢だし」
境内の手水舎で、美月さんが火傷した俺の手首に冷やした布を巻いてくれた。一生懸命な様子ではあるが包帯の巻き方が恐ろしく雑で、俺の右手首はミイラ男さながらに膨れ上がっていた。どうやら壊滅的に不器用らしい。
凛とした巫女かと思いきや情に厚くて、表情が豊かに変わるのが意外だった。
「火傷が残ったらどうしよう」
「俺は大丈夫だから。わりとこういうトラブルには慣れてる方だし。それよりも君にケガがなくてよかった」
目を丸くして顔を上げた美月さんと目が合った。
「夏輝くん。優しい」
俺を見つめて微笑む澄んだ瞳に、思わず心臓が飛び出しそうになった。上品な所作に長く綺麗な黒髪と雪のような白い肌は、絵巻物に出てくるお姫様そのものだ。
「お、俺……もう行くから!」
思わず顔が熱くなり、見つめてくる大きな瞳から目をそらすと、俺は慌てて彼女の白い手を離した。
「お元気で」
鳥居まで見送りにきてくれた美月さんに頭を下げる。忌津闇神と戦うのは怖かったけれど、いざ終わってみると、達成感と爽快感が俺の胸を満たしていた。可愛い美月さんに頼られるのも、気分が良かった。
この夢もそろそろ終わる。鳥居をくぐれば、目が覚めていつもと同じ景色が待っていることだろう。しかし、できることならこの世界にもう少しだけいたかった気もする。
感傷に浸りつつ、つづらに付きそわれて鳥居から一歩足を踏み出したところで、思わず目を疑った。ひしめくように建っていた住宅が一つ残らず消え、代わりに田んぼとあぜ道が広がっていた。
鳥居の右側には、迷路のように細い路地がくねる古びた町並みが続いている。遠くには濃い深緑色に連なる山々、夕焼けと星空のグラデーションが広がっていた。
「俺、もしかして過去にタイムスリップした? それとも都会から田舎にテレポート?」
慌ててポケットから取り出したスマホはインターネットが遮断されて、ただ『圏外』の文字が光っていた。
「まずいね。鳥居が閉じてしまった。忌津闇神に邪魔されたせいで間に合わなかったみたい」とつづらが言った。
「鳥居が閉じたって? 俺、家に帰れるよね?」
「分からない。あのタイミングで忌津闇神が現れるとはキミも運が悪い。一度神社に戻ろう」
これは夢ではなく現実だ。つづらの言葉に胸騒ぎを感じながら、神社へと引き返す。まだ春祭りの最中らしく大鳥居の向こう側は明るく華やいでいたが、嫌な予感は止まらなかった。




