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#3 不幸な高校生、神力使いになる

 全体が腐っているのか、黒い液体がびちゃびちゃとその身体から滴り落ち、吐き気のするような臭いが漂った。

 その禍々しい巨大な目が、ぱちりとまたたいた。


「ようやく見つけたぞ巫女神みこがみめ」

「どうして私のことを知っているの?」


「天から舞い降りた神の噂が、あちこちで流れておる。他の八百万神とは違う、心を読みあやかしすら惑わす不思議な力を持つとな。目立ちおってまことに気に食わぬ。その力、この我がもらい受ける」


「何を言っているの? 月姫さまが絶大な神力を誇っていたのは昔の話よ。巫女神信仰なんて今はもう形だけのもので、私自身には何の力も……」


 困惑している様子の巫女に、つづらが声をかけた。


美月ミヅキ、ただいま」

「つづら様! その人は?」


 美月と呼ばれた巫女が鈴の音のような声でそう言うと、つづらが俺を向いて振り返った。


「ナツキ、来るなって言ったのに! ボクはどうなっても知らないからね?」

「ごめんつづら。どうしても気になって。あの化け物は?」


「──忌津闇神。信仰を失って落ちぶれた神の『なれの果て』の姿だよ。けがれと厄災をまき散らし、人に憑いてはその魂を傷つける」


 信仰、神、穢れ──喧騒の中で飛び交う聞きなれない言葉に現実感を奪われた俺は、どうやら嫌われたショックで悪夢を見ているらしいと結論付けた。


「ミヅキ。こっちは『神力使い』の瀬戸夏輝だよ」

「月姫様が神力使いを選んでくれたのね! 良かった! じゃあ早速、祓いをお願いします」

「いや俺そんなのやったことありませんし……」


 それにあんな化け物と戦うなんて無理ですと言おうとした時、美月さんの黒目勝ちの大きな瞳が、まっすぐに俺を見つめた。先ほど神楽を舞っていた時の凛とした表情とは違うあどけなさの残る顔に、俺への一抹の期待が浮かんでいるのが見える。


 俺は喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。


「……や、やってみます。どうせ夢だし」


 今の俺には失うものなど何もなかった。夢の中の可愛い女の子の前で多少カッコつけようが、いっそ手ひどく失敗して恥をかこうがいいじゃないかと逆に開き直った。


「何が春祭りじゃ。楽しそうにしおってからに」


 黒い液状の穢れをまき散らしながら、黒い巨大な一つ目の神──忌津闇神が天から降りてくる。どよめく参拝客に見守られる中、俺は後ろに飛びすさり、忌津闇神の放つ黒い穢れの雨をひらりとよけた。夢の中だからか驚くほど身体が軽い。


 突然、右の拳が強く輝きはじめた。どうなっているのか原理は分からないが、心の中にみなぎる光が、その「方法」を教えてくれた気がした。


「今だ。キミの右手の神力をイメージの力でぶつけるんだ!」


 つづらの声を聞いて、右の拳に神力を集束させて一気に解き放つ。拳から放たれた青白いまばゆい光が命中したかと思うと忌津闇神が砕け散った。


「わっ本当に出た!」


 神力の威力に驚く間もなく、黒い飛沫が俺の手首にかかった。


「熱っ!」


 皮膚を焼く痛みに思わず手首を押さえると、美月さんが「大丈夫ですか!」と走ってきた。

 まさか、この痛みは夢じゃなくて現実なのか?

 額を伝う汗、神力を放った後の息切れと疲労感もなんだか短距離走を走った後の感覚に似ていてやけにリアルだ。


「あれを一発撃っただけでこんなに疲れるなんて。まさかこの力……俺の寿命と引きかえなんて事はないよね」

「大丈夫だよナツキ。キミがまだ神力の扱いに慣れていないだけだ。それにこの神力は月姫様とボクの命の一部だってさっき言ったでしょ。ナツキに影響はないよ」


 俺の肩の上でつづらが言った。


「じゃあ、撃ちまくったらつづらの命が危なくなるということ? ごめん! 俺、とっさにでかいの出しちゃった」

「安心して。ボクらの寿命は数百年を超える。大きな湖の水量と同じでちょっとやそっとじゃなくならない。神力は他の神やあやかしを祓うことで鍛えられて強くなるし、奪われれば弱まる。氏子が増えて信仰の力が大きくなれば強くなるし、氏子がいなくなれば弱まり、神力量がマイナスになれば忌津闇神に堕ちる。キミ自身や困っている人を助けるために使ってくれた方がいい」


「氏子がいなくなれば力が弱まる……じゃあ、俺にミカンをくれた神様は」


 俺の胸の奥でその言葉が引っかかった、その時だった。


「おのれ巫女神めぇ!」


 石畳の上に飛散した忌津闇神が再び黒い穢れの渦を纏って再生し、美月さんに襲い掛かかろうとするのが見えた。


「きゃあ!」


 美月さんが頭を抱えて目をつむった。


「危ない!」


 やけども痛いし、神力とやらを使ったせいで体のあちこちが疲労で痛むけれど、完全に再生する前にもう一度撃つんだ。ただ、いつもタイミングの悪い俺のことだ、何の工夫もしなければ次もまた再生されてより手ひどい目に遭うだろう。俺は素早く周囲を一瞥してから、狙いを定めてイメージし、再び右拳から神力を放った。その光は忌津闇神にぶつかる前に砕け散り、体の力が抜けた俺は前のめりになった。


「夏輝くん!」


 駆け寄ってきた美月さんがふらつく俺の体を支えてくれた。


「神力の制御もできない人間に神力を渡すなど愚か極まりない」


 忌津闇神が高らかに笑った瞬間、四方八方に散った神力があちこちで跳ね返って増幅し、忌津闇神にぶつかった。


「なに……」


 再び忌津闇神がばらばらに砕け散り、石畳の上の黒い水たまりとなり、ひるのようにびちびちとうごめいた。


「……神力使いよ。今、何をした?」

「さっきよりも大きい神力が放てないなら、わざと四方に神力を分散させて放ち、光るものに反射させたんだ。本殿の御神鏡、手水舎の水鏡、神楽殿の金屏風、巫女の鈴と冠。これなら、初手よりも勢いが劣っても光の増幅効果でカバーできる」

「口惜しや。こちらはやしろ氏子うじこも失い、ただ消えてゆくのみぞ。穢れよわが身に集まれ……人間たちの魂を喰らいつくしてやる」


 怨嗟にまみれたその言葉に、思わず背筋が粟立った。水たまりと化した忌津闇神の周囲に禍々しい黒い気が渦巻いた。


「あんたは神様なんだろ? なんでわざわざ人を苦しめるようなことをするんだ」


 急に脳内に映像が流れ込んできた。それは、目の前の忌津闇神の記憶と思われた。茜さす秋の日の夕暮れの中、収穫した稲穂を祠に捧げ、有難そうに拝んでゆく村人たちの姿が見える。しかし、彼らは町へと移り住み次第にその足も遠のいて、いつしか神は忘れ去られた。


 秋の豊穣と村人の幸せを願う神の優しい気持ちが、長い孤独の中で寂しさと憎しみに変わっていく。俺は「忌津闇神は人々の信仰を失った神のなれの果ての姿」だと言うつづらの言葉を思い出していた。

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