#3 不幸な高校生、神力使いになる
「つづら様。ご無事だったんですね」
桜吹雪の中で巫女が呼びかけると、俺の肩の上のつづらが首をずいと伸ばした。
「ミヅキ、ただいま。ボクの力が満ちるまで時間稼ぎをしてくれるかい」
「分かりました」
ミヅキ、と呼ばれた巫女が忌津闇神の前に立ちはだかる。
上空からこちらめがけて伸びてくる黒い手に、巫女が五色の長い緒がついた鈴を振る。
玲瓏たるその音に、忌津闇神が変化した黒い手が怯んで後退する。
黒い手が、蛇のように鎌首をもたげ、ぼとりぼとりと黒い汁をしたたらせながらにじり寄ってくる。
「美月!」
鮮やかな緑の狩衣に、紫の袴姿の老齢の宮司が走ってきた。
鶴のように痩せた体躯、白眉にあごひげを伸ばした、人の好さそうな感じの人だ。
「おじいちゃん! 大幣をお願いします」
美月さんが叫ぶと、老宮司はお祓いの時に使う、紙のたくさん下がった棒を忌津闇神に向かって振った。
忌津闇神の一部が切り離されて蒸発した。
小さくなった忌津闇神が、後ろに下がり再び七体に分裂する。
動けないでいると、美月さんが振り返った。
「私が鈴祓いをして忌津闇神を遠ざけますから」
忌津闇神が、美月さんを警戒しながらも俺に向かって一直線に飛翔してくる。
吐き気を催す強い腐臭。
老宮司の横笛の音に合わせ、美月さんが手に持つ扇を頭上にかざし、鈴を振る。
飛び掛かってきた忌津闇神が清らかな鈴の音を受けて桜吹雪となって舞い散り、消えた。
まずは一体。
次々にスピードを上げて忌津闇神が来る。残りは六体。
美月さんが舞いながら扇を翻す。背中を追ってきた忌津闇神に、美月さんが振り向きざまに鈴の音をぶつける。忌津闇神が砕け散る。これで二体。
次に扇を閉じ、頭上に向かって広げて一閃。三体目が消えた。
「危ない、右側!」
思わず俺は叫んでいた。扇を持っていない方の手をめがけ、忌津闇神が襲いかかる。彼女が右手に持っていた鈴を鳴らした。その音で、忌津闇神が消える。
その舞は、魔を祓いながらも優美さを最後まで失わなかった。
四体、五体、六体。春霞となって消えてゆく。
美月さんが忌津闇神に視線を送ったまま、ゆるりと装束を翻し、小さく鈴を振った。
「次で修祓完了です」
その時だった。
最後の一体が黒い液体を美月さんの手首めがけて吹いた。
「──!」
美月さんが苦痛に顔を歪め、鈴と扇を取り落とした。
右手首の皮膚が、火傷のようにただれている。痛々しくて見ていられない。
「美月、大丈夫か」
老宮司が駆け寄って来たところに、忌津闇神が今度は老宮司の足に黒い液体を浴びせた。
足首を火傷して転倒する老宮司。痛みに歯を食いしばり、すぐには動けない様子だ。
「──だ、大丈夫ですか?」
何かしなければ、と思うのに、足が一歩も踏み出せない。
相手は化け物。神社関係者にさえもどうにもできないものを、一般人の俺が何とかするというのはどう考えても無理だ。
その時、つづらの体が淡く輝き、青白い光のベールに覆われた。
「準備ができた。ボクとナツキで、忌津闇神を祓う」
「しかしつづら様。その男の子を巻き込むわけには」
心配そうな老宮司に、つづらが首を横に振る。
「大丈夫だよ。ナツキの体には神力が入っている」
「何ですと。どうしてその子が神力を」
驚く老宮司に、「月姫さまのご意志だよ」とつづらが言った時、俺の右手もつづらと同じ輝く青白い光を帯びた。
「つづら、一体どうやってあいつを祓うんだ?」
「その手の光をあいつにぶつけるんだよ」
「ええ……」
怖い。腰が引けて、どうしようもない。
「大丈夫。ボクを信じて。『友達』でしょ」
忌津闇神が、びちゃびちゃと黒いヘドロのような液体を参道にまき散らしながら俺たちの方へ近づいてくる。
鼻の奥の粘膜を突き刺す、物凄い臭気。まともに嗅ぐと、脳まで腐ってしまいそうだ。
気持ち悪いから早く祓ってしまいたい。
それに、美月さんと宮司さんも心配だし。
「──分かった。つづらを信じるよ」
覚悟を決めて心を静めると、つづらの力を宿した右の拳が輝きを増した。