#8 花の宴
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桜色に染まる小桜山の簡素な社で、献花祭が始まった。
この山の神と、鳳凰国の国守で歌人だった歌部真葛を称えて春の花を奉納する神事だという。
若宮司の桜町裕司さんが、神事を進めていく。
神前にはタケノコや大根、山菜、いちご等、春を連想させるお供えが並んでいた。
その中に洋物のグレープフルーツがあったことには正直驚いたが、これも春の味覚なのだろう。
裕司さんの一連の動作は基本的に宿禰さんと同じだが、祝詞の読み方が宿禰さんと少し違っていて、このあたりは神職さんによって個性が出るところなのかなと面白く思う。
裕司さんに促され、俺と美月さん、卜部の三人は木桶に入れた春の花を神前に捧げる。
桜に桃、青いワスレナグサ、黄色の菜の花、ピンクの撫子にツツジ、白いすずらんと、色とりどりの賑やかな春の花。
――この小桜山が、いつまでも人から愛される美しい桜の山でありますように。
少しでも長く、この山の桜に咲いていてほしい。
冠桜皇子たちの幸せを、心から願う。
「それでは只今より、冠桜の舞を奉納致します」
裕司さんが述べると、桜の花簪をつけた美月さんが、神前に向かって深く一礼した。
裕司さんが取り出したのは、一管の笙だった。
宿禰さんが横笛と太鼓を扱うのを見たことはあるが、雅楽器の笙を目にするのは初めてだった。
正直どうやって音を出すのか分からない。細長い竹が組み合わされて出来ている笙を、裕司さんが両手で包み込むように持ち、息を吹き込む。
まるで雲間から光が射し込むかのような、心洗われる和音。
美月さんが持つのは扇でも神楽鈴でもなく、ただ一振りの満開の桜の枝。
草木が芽吹くような瑞々(みずみず)しさを感じる旋律の中で、美月さんがゆるやかに舞う。
――千年以上前。この小桜山で、少年の姿の桜の精と、歌人の国守はいったいどんな会話をしたのだろう。
それは美しく雅やかなやり取りではなく、案外と素朴なものだったかも知れない。
花吹雪の中で、俺は時が止まるような感覚に浸っていた。
頭の中で描かれる物語に、めくるめく想いを馳せた。
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「神事の後は、直会ですね」
裕司さんが社の前にブルーシートを広げ、上から茣蓙を重ねた。
「なおらい?」
「おまつりの後に、神様にお供えしたお神酒や供物をいただくんです。とはいえ、私達は未成年ですからお茶とジュースで乾杯ですね」
美月さんが風呂敷をほどき、千鶴子さん特製の花見弁当を取り出した。
「冠桜皇子さまも召し上がってくださいね。おばあちゃんのお花見弁当」
──ああ、何という僥倖。
重箱にはいなり寿司、蕗と高野豆腐の煮物、ホタルイカの酢味噌和え、花見団子、おはぎといった華やかな具材が散りばめられていた。
いなり寿司の酢飯にはデンブが混ぜ込まれ、見渡すかぎりの桜色だ。
裕司さんが弁当を眺めて、うっとりとため息をついた。
「これはすごい。いつも有難うございます」
花見弁当のあまりの豪華さに、卜部巴の目が釘付けになっている。
つづらが神前の台に供えられていたお神酒を背中に乗せて運び始めた。
「巴。紙皿と箸、みんなに配るぞ」
声をかける時に、つい呼び捨てにしてしまった。
「この僕を呼び捨てにするとは、ずいぶん馴れ馴れしいな」
巴はそう言ったが、その表情からはいつの間にかこわばりが取れていた。
「ああ、幸せです。つぶあんの絶妙な固さが、おはぎの風味を最大限に引き立たせていて!」
「みーちゃんって、相変わらずあんこ大好きなんだね。小さい頃から変わっていないな」
巴が美月さんに目をやると、美月さんが「恥ずかしいです」と顔を赤らめて俯いた。
「そうか。二人は幼馴染なんだっけ」
「小さい頃は兄や近所の子達とみんなで、よく一緒に遊んでいたんですよ。その頃の巴くんは今とはちょっと違っていまして」
「ここで色々と暴露するのはやめてね」
巴が釘を刺し、一同が笑った。
「では、皆様のご健康を祝して乾杯!」
裕司さんの音頭で、乾杯する。
冠桜皇子も満足そうだ。
ひとしきり話し、笑い合う。
春爛漫のこの景色の中で腹の底から笑いながら食べる弁当は最高に美味しい。
現世に来て色々あったけれど、この楽しい時間ができるだけ長く続けばいいのに、と俺は思った。




