#7 花の宴
「おい山桜。どうしてこんなことをしたんだ?」
「口の利き方には気をつけろ。私はこの山の守り神──神名を、冠桜皇子と言う。そして、そこな少年には、歌部真葛の血が流れている」
「巴が歌詠み国守の末裔だって?」
「都を恋しがりため息ばかりついていたあの男が、この山に来て満開に花開く私達を見た時、初めて笑顔を見せたのだ。それからここによく来ては、たくさんの歌を詠むようになった」
冠桜皇子の記憶が、俺の中に流れてくる。そこに見えるのは、奈良時代の朝服に身を包んだ、一人の風雅な男の姿だ。山桜に優しげに語り掛け、鳥のさえずりに耳を澄まし、作歌に励む姿が見えた。
「だがある日、真葛は突然来なくなった。私はたった一柱で、真葛をずっと待っていた。そのうちに私は忘れられたことを知った。だから決めたのだ。真葛の血を引くこの少年をもらうと」
「事情があったかも知れないじゃないか」
「違う。真葛はここに来た時に言っていたよ。早く都へ帰るために出世したいと。この鳳凰の地に来てから、真葛の国政と歌の評判は日に日に高くなるばかり。最初は一人だった真葛の周りに、いつしか大勢の部下や友人たちが集まるようになった。花が散れば、桜など誰も見向きもしなくなる」
「違う。学校で習ったんだ。先生が言ってた。歌部真葛は重い病気を患っていたって。急に都に呼び戻されて、間もなく亡くなったんだよ」
「バカな。真葛が病気だったと? そんな風にはとても見えなかったぞ。あの男はいつも笑顔で私と」
「悪病におかされ苦しむ歌が残っている。俺の想像だけど、歌部真葛はあんたの前で精いっぱい元気なふりをしていたんじゃないか。大事な友達を心配させないように」
俺は続けた。
「ああ。最後に都で詠んだ辞世の歌がある。山桜死ぬることをば許さなむ 君に一目会はまほしかりき──山桜よ。どうか私が死ぬことを許してほしい。ただ最後にあなたに一目会いたかった」
「……山桜死ぬることをば許さなむ……」
「最初は都を恋しがっていた真葛が最後に遺したこの歌は、都ではなく鳳凰国の山桜──あんたの事を詠んだものだった」
「……まくず……真葛……なぜ人の命はこんなに儚いのだ……そなたが病におかされているとも知らず、私は……!」
むせび泣く冠桜皇子にかける言葉もなく、ただ俺たちはその場に立ち尽くしていた。
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「心配して来てみたら大変なことになっていましたねぇ。申し訳ありません」
年上の男性の声に振り返ると、桜色の狩衣に浅黄色の袴姿で、眼鏡をかけた優しげな顔立ちの若い神職が立っていた。美月さんが神職を俺達に紹介してくれた。
「こちらが、この小桜山神社を管理する桜町神社の若宮司、桜町裕司さんだよ」
「お待ちしていましたよ。今日は賑やかなおまつりになりそうだ」
桜色に染まる小桜山の簡素な社で、献花祭が始まった。
山の神である冠桜皇子と、歌部真葛を称えて春の花を奉納する神事だという。
「それでは只今より、冠桜の舞を奉納致します」
裕司さんが述べると、桜の花かんざしをつけた美月さんが、神前に向かって深く一礼した。
裕司さんが取り出したのは、一管の笙だった。細長い竹が組み合わされた笙を両手で包み込むように持ち、息を吹き込む。
まるで雲間から光が射し込むかのような心洗われる和音、草木が芽吹くような瑞々しさを感じる旋律の中で、美月さんが優雅に舞う。まるで春の女神が神懸ったかのようなその姿に思わず見とれてしまう。
──千年以上前に、この小桜山で山桜の精と歌詠みの国守が出会い、多くの和歌が生まれた。
友人となった二人は、どんな楽しい話をしたのだろう。それは美しく雅やかなやり取りではなく、案外と素朴なものだったかも知れない。
花吹雪の中で時が止まるような感覚に浸りながら、俺は頭の中で描かれる物語にめくるめく想いを馳せた。
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「神事の後は、直会ですね」
裕司さんと美月さんが社の前でブルーシートを広げ、上から茣蓙を重ねた。
「なおらい?」
「おまつりの後に、神様にお供えしたお神酒や供物をいただくの」
裕司さんから受け取った直会用の弁当を、美月さんがにこやかにみんなに配る。
「では皆様のご健康を祝して乾杯!」
裕司さんの音頭で、俺達もジュースで乾杯する。隣ではつづらが冠桜皇子とお神酒を酌み交わしていた。
「冠桜皇子様、お神酒をどうぞ」
酌をしようとにじり寄る美月さんを回避し、冠桜皇子が青ざめた顔で裕司さんの背後に隠れた。
「どうされたんですか山神様?」
「そこな巫女は、先程この私を伐採しようとしておったのじゃ。何と恐ろしい!」
「すみません……あの時は巴くんを取り戻すのに必死でして……」
苦笑する美月さんの隣で、俺も重箱の蓋を開いた。
「俺も弁当を作ってきたので良かったらどうぞ」
レンコンと桜色のでんぶを混ぜ込んだいなり寿司、蕗の青煮、デザートの苺を散りばめた渾身の弁当に一同からおおっ、と感嘆の声が漏れた。
「あれ? 三段作ったはずなんだけど」
重箱の三段目が空になっていた。俺は美月さんを見た。
「ご……ごめんね? 味見を頼まれた時、つい美味しすぎて!」
先ほど見た桜吹雪の中で優雅に舞っていた春の女神とは思えぬ驚異の食欲だ。
「さすがは食欲の神」
俺の言葉に全員が笑い出す。
「みーちゃん、ホント小さい頃から変わっていないな。夏輝、食われないように気をつけろよ」
巴から初めて名前で呼ばれたのを嬉しく感じつつ、俺は言葉を返す。
「そう言えば二人は幼馴染なんだっけ?」
「小さい頃は兄や近所の子達といつも一緒に遊んでいて。その頃の巴くんは今とは違い素直で可愛い男の子だったのです!」
「ちょ……ちょっとみーちゃん! ここで色々と暴露するのはやめてね」
動揺した巴が釘を刺し、また皆で笑った。ウグイスがさえずり、花びらがひらひらと舞う春爛漫ののどかな景色の中で、ひとしきり話し、笑い合う。綺麗な景色を見ながら誰かと食べる弁当の美味しさを俺は知った。歌部真葛もこんな風にして、この地に馴染んでいったのだろうか。




