#6 遠い記憶の向こう側
「不幸……!」
「夏輝くん。このままだと巴くんが連れていかれちゃう」
その言葉に心が乱された。早く手を打たなければならないが、判断ミスを犯せば巴の精神に異常をきたすことになってしまう。怖い。でも俺は、歌部真葛のように現世で何とかやっていくと決意したんだ。俺は身構え、青白く輝く神力を右手から放った。
その時、憑きものが紙で作った人形──形代を二枚取り出した。頭の部分に「天」、心臓の部分に「心」、下腹部には「地」の文字が書かれている。
「禁厭の一念を通す神の御針──怨敵調伏!」
憑きものが針を形代に数回刺した。
「うっ!」
強い頭痛が走り、俺たちは地に膝をついた。俺と美月さん、そしてつづらの神気が消えた。
「あの紙人形は一体……」
「蔭針の法──藁人形の呪詛を簡略化したもの。神力を封じられちゃった」
「どっどうしたらいいんだ! このままだと巴が発狂して、次は俺たちも攫われ酷い目に!」
「お前らは要らん」
「……贅沢言いやがって……!」
「憑きものへの対処は交渉が基本だっておじいちゃんが言ってた。さっき、憑きものと桜の木の間に強い縁の糸が見えたの。憑きものの正体はたぶん山桜の精……!」
「……お喋りはそこまでだ」
「きゃあ!」
一面の桜吹雪が俺たちを襲う。美月さんが隣にあった作業小屋の扉を開け、中に飛び込んだかと思うと今度は境内の整備用の電動チェーンソーを持って現れた。スイッチを入れると刃が勢いよく回りだした。
「薪にされたくなかったら巴くんを返して!」
「そ、そこな巫女。一体何を言い出す……?」
美月さんの勇姿に憑きものが震え上がった。神力が使えないなら物理技で対処するもありかと俺は思わず唸った。
「この体、いただくぞ!」
再び山桜の花びらがざっと舞った。見渡す限り一面の花吹雪の中に、巴の姿が同化していく。
「巴―っ!」
とっさにポケットから縁結びの鈴を取り出して投げた。鈴のついた赤い紐が長く伸びて巴の手首に巻きつき、桜吹雪になりかけた巴がかろうじてその姿をとどめた。桜吹雪の中で俺達を結ぶのは、この一本の細い紐だけだ。憑きものがくっくっと笑った。
「縁の糸で繋ぎとめたところでもう手遅れだ。この少年は私に魅入られ、この状態を心地よいと感じている。『どうせ自分は独りぼっち。この世はつらくて、嫌な場所だからもう出てきたくない』そうだ」
「巴くんお願い。戻ってきて。このままだと山桜の木になっちゃうよ」
「出てきてくれよ! せっかくお前と友達になれると思ったのに」
美月さんと二人で何度も呼びかける。巴の返事の代わりに頭の中に流れ込んできたのは、彼の記憶の中の中学校の風景だった。
そこには委員長として慕われ、雑務をこなしクラスメートに勉強を教える巴の姿があった。ところがある日、会話の輪の中に入ろうとした巴を、クラスメート達が避けるようになる。
──卜部のおじいさん、拝み屋なんだって。金を積まれたら鬼神を使役して人を取り殺すらしい。
──こわーい。
──人を不幸にして稼いだ金で生きてて恥ずかしくないのかよ。
──もしかしてあいつがいつもテストで一番なのも、術を使ってるからじゃない?
──ズルだ。ズル!
──待ってくれ。祖父が術を使うのは、人を苦しめる悪い人間に対してだけだ。
今までは、クラス委員長の巴を頼り、いろんな面倒事をやってもらっていた奴らが、根も葉もない噂によっていっせいに手のひらを返す姿に、俺はショックを受けた。
人望の厚かった巴が妬みを買って無視や陰口に苦しめられる風景はとても痛々しくて、正直見たくはなかった。憑きものに体を乗っ取られた巴の悲痛な声が頭の中に響く。
──見るな。僕の心の中を見るな!
「ごめん、巴。俺、今日はお前が来てくれてすごく嬉しかったんだ。俺も美月さんも絶対にお前から離れていかない。だから、憑きものなんかさっさと追い出そう」
──余計なお世話だ。口では都合のいい事を言ったって、いずれ人は裏切るんだ。
「巴くん。憑きものにつけ込まれないで。このままだと桜の木になっちゃうよ」
「お前、さっき俺と美月さんが心配で来てくれたって言ってたよな」
──知るか。あれは一時の気の迷いだ。
この天邪鬼ツンデレ陰陽師の頑なな心を緩めるには、性格の逆手を取るしかないと俺は思った。
「あーあ。最初に式神使ってる時はカッコよく見えたのに、こんなにあっさり憑かれるなんて、修行不足もいい所だな。所詮はファッション陰陽師だったか」
──なに。もう一度言ってみろ。
「憑きものに身体に入ってもらえて楽だよな。この後は自分の人生を操縦してもらえるから考えなくてもいいし、生きていてつらいこともみんな引き受けてもらえるんだからな。案外望んで憑かれたんじゃないの?」
「す、好きなこと言いやがって! 君にいったい僕の何が分かると言うんだ!」
巴が顔を真っ赤にして叫ぶと、透き通った憑きものが巴の体から半分抜け出た。
それは、鮮やかな赤い水干姿の少年だった。
「美月さん頼む!」
「うん!」
美月さんが山桜の木の元に走り、木の幹に貼りついた紙の形代から針を抜き去った。体に神力が戻る。憑きものから巴を取り戻して、それで巴がもう二度とあんな悲しい思いをしなくて済むようにするんだ。
「捕縛!」
強くイメージすると、右手から放たれた青白く輝く神力が蛇のようにうねり、憑きものをぐるぐる巻きに縛った。美月さんが駆けてくると同時に巴が憔悴した表情でへたり込む。巴の手首に巻きついた縁結びの鈴がりんと鳴った。
「巴くん、無事で良かった」
「戻ってきたからには、これから一緒に楽しい事しようぜ」
「お節介め。勝手にしろ」
強い風が吹き、桜の枝が一斉に揺れた。
イラスト/ひら様




