#5 霊怪怪神、参道に至る
「行くのはやめた方がいい。易占によれば、その方位は良くないよ。必ず不幸な目に遭うだろう」
鳥居の陰から卜部巴が澄まし顔で現れた。まさか来てくれるとは思わなかったので、俺と美月さんは嬉しさで思わず声がうわずってしまった。
「巴くん来てくれたの?」
「サプライズで嬉しいぜ。でももしかして、俺らが家業を理由に学校を休んだのが羨ましかったとか?」
「ち、違う! 学校へは式神が登校してるから問題ない。僕は君達に忠告を……」
「さあさあ行きましょう」
美月さんが巴の腕を引っ張り、俺も弁当の入った風呂敷包みを巴に渡した。
「助かった。荷物半分持ってくれ」
「おい二人とも僕の話を聞けよ! 行かないって言ってるだろう。それから荷物預けるな! 僕は帰る」
巴がキレた。しかしその頑なな態度とは裏腹に、彼の背には使い勝手の良さそうなリュックサックがあった。花見する気満々なのだろう、よく見ると山歩きに適した丈夫そうな靴を履いている。
「巴くんなら一緒に来てくれると思ってたのに」
「友達甲斐のない奴だな。せっかく弁当も作ってきたのにさ」
きびすを返し、うつむき気味に石段を登り始める俺達に巴が猛ダッシュでついてくる。
「ああもう、世話が焼ける!」
「あれ。来ないんじゃなかったのか?」
「ふっ、君達だけじゃ危なっかしいから僕も行くよ」
「……ツンデレ?」
何やら面倒くさい性格をしているらしい巴だが、この一筋縄ではいかない感じが面白い。ポケットの中で、縁結びの鈴がちりちりと鳴った。
「ところで転校生」
呼ばれて振り返ると、強い視線に射すくめられる。巴の瞳の深淵が、紫水晶を宿したように妖しく輝いた。霊視されている、と俺は思った。
「君の存在感、人間にしてはどこかおかしいな。あやふやで現世に定着してない。それに、つづら様に護られているとはどういうことだ」
「俺は常世から来たんだ。帰れなくなって、美月さん家に世話になってる」
「村椿がみーちゃんの婿養子候補って言ってたけど?」
「いやいやいや!」
「違います違います!」
冷やかされた時の羞恥がよみがえり、すかさず否定する俺と美月さんを巴がいぶかしげに見た。
「二人揃って力いっぱい否定するなんて逆に怪しくないか? まあいいけど」
美月さんが先頭に立ち、黒髪にかかる桜の花びらを振り払いながら石段を登っていく。風が満開の桜花を吹き散らすたびに、彼女の緋袴がばたばたと鳴った。傾斜のきつい石段を登るのはハードだが、山頂に広がる景色を想像するだけで胸が躍る。
石段が尽き、いよいよ山道に入った。両脇にどんどん山桜が迫り、道が狭まっていく。疲労を感じつつ、俺たち四人は無言で歩き続ける。
突然、空が夜のように暗くなったかと思うと、参道の赤灯篭に一斉に明かりが灯り、妖しげにゆらめいた。
「卜部、今のって陰陽術?」
「僕じゃない。君はさっきから『後をつけられている』ことに気づかないのか? こうなりそうな予感がしたからついてきたんだ」
「見られてるって……何も感じないけど」
美月さんが巴と目を合わせると、真剣な表情で頷いた。
「夏輝くん。さっきまでは静かだったのに、今はこの世の者ならざる気配がする」
「二人揃って脅かすのはやめてよ」
そう言った瞬間、まとわりつく背後からの視線がはっきりと分かった、不意に背中を走る寒気に鳥肌が立った。
周囲の山桜が一斉に伸びて、階段を封鎖する。四方を向いてもどこも夜桜と赤い灯篭で、帰り道が分からなくなった。
「と、閉じ込められた……」
「山の気が濃くなってきたが大丈夫だ。結界を張って山の怪が去るまで身を隠そう。『三山神三魂を守り通して、山精参軍狗賓去る……』」
俺が動揺していると巴が印を結び、まじないの言葉を唱え始めた。薄い紫色を帯びた高貴な輝きが、俺達を護る光の御簾となって上から降りてくる。
「さすが陰陽師……」
俺が言った瞬間、巴の張った紫の結界が弾け飛んだ。巴がうずくまり、俺と美月さんが駆けよった。
「巴くん!」
巴の声色が、急にぞっとするような冷たい子どもの声に変わる。
「遅い……くく。くくく……」
巴が急に笑い出した。
「あはははははははは!」
顔を上げたその表情は先ほどとは別人で、切れ長の瞳には狂気の輝きが宿っていた。巴が腕を水平に伸ばすと、服が鮮やかな赤い水干に変わった。平安時代の童子のような巴が、扇を広げてくるくると回る。
「この少年、私がもらっていくぞ」
「どうしよう。巴くんが憑かれちゃった。巴くんを返して!」
「お……お前は誰だ! いったい何が目的なんだ?」
「さてな」
俺は右手につづらの神力を集中させた。
「おっと。そんなことをすればこの少年の中に、私が体感してきた千年の記憶を流し込んでやるぞ」
巴の全身ががくがくと痙攣し始めた。
「うう、うう。ああ」
白目を剥き、苦痛に顔をゆがめ、よだれを垂らし始める巴の姿は痛々しく、とても直視できない。憑きものが高らかに笑う。
「ほら。ほんの二百年分流しただけでこの通りだ。千年という長い時間の記憶、普通の人間の脳では耐えられない。気が触れるだろう」




