#3 権現様、うれたし
それにしても現世は、俺のいた常世よりも人間関係の密度が濃いようだ。
スマホがないからどうやって面白い話題や情報を拾ってきたらいいのか不安だったが、みんな近場にあるスポットや噂話、テレビやラジオ、ローカルなネタなんかをじっくりと味わって楽しんでいる感じだ。
情報の流れが遅いせいか、ここは時間の流れがゆっくりしていると俺は思った。
俺の学校初日はあっという間に過ぎ、放課後になった。
部活動に励む生徒たちを横目に、俺と美月さんは帰途についた。
大きく伸びをする。
「ああ、気疲れしたぁ」
「最近クラス替えがあったばかりだから、実は私もまだクラスにあまり馴染めていなくて」
「でも美月さん、今日は般若さん達と少し仲良くなれて良かったよね」
迷路のように入り組んだ路地を歩く。リュックからつづらが顔を出した。
「ふわあ。よく寝たよ」
「つづら、起きたか。退屈させてごめん」
「いいよ。ボク、昼寝が好きだからどれだけでも寝ていられるし。ところで、学校は楽しかったかい」
「うん。概ね順調だったよ。それにしても、式神に授業に出てもらえる卜部が羨ましい……」
「でも、巴くんの場合は色々と事情がありまして」
美月さんが言葉を濁す。
式神が代理登校しなければならない事情とは一体何だろうか。
角を曲がった時、噂の張本人が目の前を歩いて行くのが見えた。今話しかければ、少しは仲良くなれるかも知れない。
「卜部。今日はうるさくしてごめん」
声をかけると、眉間に皺を寄せて嫌そうに振り返る卜部。
しまった、声をかけたまでは良かったものの、話題がないのに気づいた。
「あのさ。卜部って、陰陽師なんだっけ?」
「拝み屋だよ。確かに僕の先祖は平安時代に都で活躍した陰陽師だったらしいけど、そもそも今は廃業してるし」
「そうなのか。俺、陰陽師の出てくる小説を読んでかっこいいなと思っててさ。俺も式神とやらを一回使ってみたいんだけど……やり方教えてくれない?」
自分でも思っていなかった言葉が出た。
「は?」
卜部が露骨に嫌そうな顔をした。
「今日会ったばかりの転校生に教える義理はない。大体、何に使うんだよ」
足早に歩いて行こうとする卜部を追いかける。
「テーマパークの行列待ちしてもらったり、ちょっと買い物に行ってきてもらったり」
「式神は誰にでも使役できる代物じゃない。それにもっと高尚なものだ。それを行列待ちに使おうなんて」
「いや、卜部だって式神を代理出席に使ってるよね?」
卜部が苦虫を嚙み潰したような顔になり、しばし無言の時が流れた。
⛩⛩⛩
民家の竹垣の下に小学生が三人集まって野良猫を撫でている。
つややかな毛並みの野良猫が一匹、日向ぼっこしているのが見えた。毛ふわふわー、やわらかーいと声が聞こえてくる。
すばやく近づいて、小学生達と一緒に猫を撫で始める美月さん。
喉をごろごろされて、気持ちよさそうな野良猫。
「夏輝くんも撫でてみますか? あ、ここの毛ふわふわですよ」
「じゃあ少しだけ」
俺もおそるおそる撫でてみる。つややかな背中の毛の奥から体温が伝わってくる。
毛の生えている動物に触ると、こんなに癒されるのは何故だろうか。
「巴くんも撫でてみませんか?」
美月さんが言うと、そっちのお兄ちゃんは撫でないのー、と黒いランドセルの男の子が卜部巴に聞いた。
「あいにく、僕は何も感じられないんだよ」
「体が式神だからだろ? 間接的にでもいいから撫でてみたらどうだ?」
促すと、卜部がそっと手を伸ばし、猫の背中に触れたかと思うと、すぐにまた手を引っ込めた。
案外、繊細な奴なのかも知れない。
どこか淋しそうな横顔に、常世にいた時の自分が重なるような気がするというか。
ふと見ると、猫の尻尾が二本に増えている。
見間違いかと思い目を凝らすが、やはり二本。
「こ、この猫、尻尾が二本になってる! 突然変異か? いや。まさか物の怪……」
小学生と話していた美月さんと卜部が振り返る間に、猫の尻尾が元に戻った。
「何言ってるんだ馬鹿。そんなわけないだろ」
卜部が言った。
「いや。だって今見えたし!」
「ナツキ、転校初日でちょっと疲れてるんだよ。ねえミヅキ」
「はい。普通の猫ちゃんだと思います」
どうして皆、そんなことを言うのだろう。ひょっとすると俺がおかしいのだろうか?
猫がニャーと鳴いて、俺の横を通り過ぎる瞬間、声がした。
――富士権現様、うれたし……
伝わってきたのは、激しい敵意と殺気。
そして、背筋がぞくっと凍るような、怨嗟の念。
あまりの戦慄に、俺はその場から動けずにいた。
曲がり角を曲がって消えてゆく猫、また尻尾が二本に増えた。
「ほらほらほら! 二本ある! 二本!」
必死に卜部の肩を叩く俺。卜部が呆れた顔をする。
「何言ってるんだ馬鹿。そんなの誰でも知ってるよ」
「いやでも卜部、さっき『そんなわけない』って」
「あれは猫又でしたね。強い恨みの念を感じました。……子ども達が無事で良かったです」
美月さんがそう言うと、卜部とつづらが頷いた。
「猫又は、元は富士の権現様に仕える猫だったそうです。ところが、人を殺して権現様に追放され、今度は越中国の黒部峡谷に移り住み、そこを去るまでの間にたくさんの村人を殺して回ったそうです」
「みんな見えてたんなら、どうして」
「下手に手を出したら子ども達に危害が及ぶかも知れないから、ミヅキもトモエもあえて無視したんだよ」
つづらの言葉に、思わずはっとする。
物の怪と真正直に向き合って、全てを正面突破する必要はない、と宿禰さんが言っていたのを思い出した。
やり過ごすことも大事なのか。
「どういう意味なんだろう。『富士権現様うれたし』、って」
「富士権現様の事が忌々(いまいま)しい、憎たらしいってさ。古文のひとつも分からないのか?」
「いや全く分かりません。皆目見当もつきません……」
卜部が「はぁ、全然ダメ。こいつ顔だけで全っ然使えないわ」とあきれ顔で首を横に振った。
「もう。巴くん、そんなことを言っちゃだめですよ」
「いやだってさ、神社に住んでるのに最低レベルの知識教養も身に着けてないんだよ? こいつ神職目指してるんでしょ? 古文漢文分からなかったら祝詞読めないよ?」
「いえ、夏輝くんは事情があって」
「事情も何もないよ。宿禰のじーちゃんの目は節穴なのか?」
卜部に散々(さんざん)ディスられ、しばらく立ち直れそうにない俺だった。




