#4 一難去ってまた物の怪
境内の隅に設けられたベンチに俺とつづらが座って休んでいると、美月さんが朱塗りの盆を運んできた。
淹れたてのほうじ茶と、もちもちとした柔らかそうな桜餅が三つ。
「先ほどの怪異ですが。夏輝くんの話を聞いて『高坊主』という物の怪と似ている、と思いました」
「高坊主?」
「ええ。見上げれば見上げるほど大きくなる物の怪です。昔、四つ辻を通る時に突如、天まで届きそうな背丈のお坊さんが現れて、人を驚かせたそうです。一説には、狸の仕業とも言われているようですが」
美月さんが膝の上に重ねた手を見つめた。
「高坊主かぁ。地方によっては『見越し入道』とか『のびあがり』とも呼ばれていなかったっけ」
つづらが言った。
「見越し入道は『見越した』と言えば消えますし、のびあがりや高坊主も見上げずに、ゆっくりと見下ろしていくと段々小さくなって消えてしまうそうですよ」
「確かに、神力を使って見下ろしたら、はじけて消えた」
「得体の知れないものは怖いですが、見下ろしてしまうと案外怖くないものなのかも知れません」
美月さんがふふっと微笑んだ。
──一寸先は闇。
俺はあの時、自分の悪運を嘆き、これから起こる更なる不幸に怯えていた。
だけど、いざ突き当たってみると、物事とは意外と何とかなるものなのかも知れない。
一人で納得していると、美月さんが桜餅をすすめてくれた。
「おばあちゃんの手作りの桜餅、美味しいですよ」
「いただきます」
桜餅を齧ると、艶やかなもち米の弾力と、あんこの甘さと桜の葉の香りが絶妙に混じり合う。
香ばしいほうじ茶を啜ると、何とも言えぬ至福の時が訪れる。
「ああ、幸せ……」
美月さんが桜餅を食べながら至福の笑顔を見せた。
「ミヅキってさ。あんこと、ゆるふわな物の怪に目がないんだよ」
「へえ、そうなんだ」
『可愛い物の怪』と、『あんこ』か。
いかにも女子が好みそうな『可愛いものと甘いもの』の組み合わせだが、物の怪とあんこは前代未聞すぎる。
思わずクスッと笑ってしまった。
「え? 何かおかしいですか?」
「美月さんらしいと思って。ちょっと面白くて」
「え、そうですか?」
「いや。ごめん、ありがとう。なんか俺、元気が出てきたよ」
「物事はさ、最初はうまくいかなくて当たり前だよ。でも地道にやっているうちに、いつの間にか味方が増えてくるもんだよ」
つづらが言った。
「つづら様の言う通りです。この調子で行きましょうっ!」
美月さんが片腕を振り上げた。
「よし。頑張るぞー!」
俺も空元気ではあったが、片腕を振り上げた。
でも、美月さんやつづらと話しているうちに、心が幾許か軽くなったような気がした。
⛩⛩⛩
休憩後、再開された春祭りの片づけ。
最後のひと踏ん張り、氏子さん達と二人一組で看板の重りの土嚢をずらし、看板を畳んで倉庫へ運ぶ。
身体も温まり、作業にも少し慣れて動けるようになってきた爽快感が、最初の憂鬱を追い越してしまっていた。
いつの間にか気持ちが吹っ切れ、総代さんからダメ出しを出される恐怖を忘れていることに気づく。
『高坊主』を祓ったせいだろうか。
「以上で作業終了です。お疲れ様でした」
総代さんの声に、その場の空気がふっと緩む。
ほっとしていると、総代さんがぎろりと目を光らせながら「瀬戸くん」と俺の方を向いた。
──またも、鋭いまなざしに射すくめられて動けない。また何か失敗でもしてしまったのだろうか。
「あんた、最初はちゃらちゃらしてるかと思ったが、真面目で丁寧な仕事ぶりだな」
意外にも、総代さんの口から出たのは褒め言葉だった。
「……あ、有難うございます。俺、頑張ります!」
「あんた、比田さんが手放しで褒めてくれるなんて早々無いぞ」
火爪さんの言葉に、氏子さん達がわっはっはと笑う。
宿禰さんも氏子さん達の隣でにこにこしていた。
力士体型の山根さんが、笑いながら俺の背中をばしんと叩いた。
「あいたっ!」
よろめいた俺が手をついた先には、注連縄の張られた石があった。
石は想像していたよりも軽く、俺の体重を受けてずれた。
「ああっ、ダメです! その石を動かしては」
美月さんが俺を制止しようとするや否や、石に何枚ものお神札が貼られているのが目に入った。
石をずらした下の穴から勢いよく、無数の物の怪達が空に向かって噴出し、空が黒雲に覆われる。
蜥蜴とも蛇ともつかない奇妙な長い者、巨大なおたふく顔に蛇の胴体がついた者、火の玉、毛むくじゃらの巨大な猿のような何か。
──ユニークな姿をした、数多の有象無象たち。
雷鳴が響き、途端に雨が降り出した。
たまらなく嫌な予感がした。美月さんの顔が青ざめている。
「あれは蓬莱家代々のご先祖様が、悪い物の怪を封じ込めていた石です」
──ああ、何という不幸。
もしかすると、さっき落ちていた蛇封じの呪符は、この封印の石から剥がれたものだったのか。
「ど、どうするんじゃこんなにたくさん……」
動揺する宿禰さんと、一目散に逃げ出す氏子さん達。
「あの中に数百年封印されていたヤツがいる。相当厄介だ。これはボクにも手が負えない」
つづらが困ったように言う。
これはとんでもない事になってしまった。




