38 急変
バルタザール視点です。
バルタザールは、王城内騎士団エリアにある執務室にいた。
難しい顔で腕を組む彼の正面には、しょぼんと項垂れる見習いが三人。
彼らはバルタザールの教え子の中でも年少で、いつも変なことをしてはバルタザールに叱られている。
「……おまえたち、俺に呼び出された理由は分かっているな?」
「はい……」
「すみません……」
「反省しています……」
「……今になって後悔するくらいなら、なぜおまえたちはあんな馬鹿なことをしたんだ?」
責めるとか咎めるとか以前に、バルタザールは質問した。
「おまえたちは悪ふざけをしていて、花瓶を倒した。服が濡れたので、誤魔化すために早く乾かそうと脱いだシャツを振り回していたら相手に当たり、喧嘩になった。……各自、反省点を言え」
「はい……相手の話も聞かずに殴ったのが、悪かったです」
「そうだな」
「喧嘩を煽るようなことを言ったのが、よくなかったです」
「確かに」
「花瓶を倒したのがいけなかったです」
「それもそうだが、おまえは素直にシャツを洗濯に出すという選択肢を入れておけ」
「はい……」
バルタザールは、ため息をついた。
見習いたちについての始末書を書くのは、バルタザールのクラスが一番多い。それはもう、ぶっちぎりで多い。
幸か不幸か、彼らについての始末書の内容は「喧嘩をした」「備品を壊した」といったものがほとんどで、他のクラスの見習いのような「迷惑だと言われているのに女性を口説いて回った」「未成年なのにいかがわしい店に行こうとした」といったものが皆無だ。
見習いの精神年齢が低いと言えばそれまでだが、異性関係でとんでもないことをしでかす輩はいないというのは、バルタザールにとっては嬉しいことだった。
「……各自今回のことをよく反省し、二度と同じことをしないように気を付けろ。では、三人で廊下の片づけをしてこい」
しょぼくれた三人を送り出してから、バルタザールはため息をついて始末書用の紙を出した。
「失礼します、隊長」
ペン先にインクを浸していると、見習いたちの良心――もといエトヴィンが入ってきた。
最年長で落ち着きがあるエトヴィンについては当然、一枚も始末書を書いたことがない。本当に、自分の隊にいるのが不思議なくらい優秀な見習いだとバルタザールは思う。
エトヴィンは一礼すると、懐から薄い木片を出した。あれは、城下町の商人が領収書として使っている札だ。
「先ほど、備品が到着しました。どうやらディートリンデ様が購入してくださったようです」
「ディートリンデが? ……ああ、そういえば出掛ける帰りに注文すると言っていたな」
バルタザールは別に後日でもいいと言ったのだが、『ついでだし、木の模擬剣は早めに買っておかないと困るでしょう』と言われたので、頼むことにしたのだった。
「領収書は俺にくれ。届いた品物も、悪いが運び上げて資料庫に入れておいてくれ。数の確認はディートリンデがやってくれた方が確実だ」
「分かりました」
エトヴィンがお辞儀をして、バルタザールに木片を渡した――直後、凄まじい勢いでドアがノックされた。
「旦那様、失礼します! ヘルベルトです!」
「ヘルベルト? おい、なぜおまえがここに来ている」
バルタザールは席を立ち、エトヴィンがすぐに動いてドアを開けてくれた。
ヘルベルトはバルタザールの屋敷の執事であり、彼が騎士団エリアに来ることはこれまで一度もなかった。もし用事があったとしても、下級使用人を寄越せばいい話。
エトヴィンに通されたヘルベルトは、いつもはきっちりと整えている制服を乱しており、息も絶え絶えといった様子だ。彼の背中越しに、様子が気になったらしい見習いたちの顔が見える。
……ただならぬ気配を察し、バルタザールはエトヴィンを見やった。
聡い彼は頷くとヘルベルトの隣を通り抜け、「おまえたちは部屋に入っていろ!」と見習いたちを散らしてくれた。
「こちらへ来てくれ、ヘルベルト。……何かあったのか」
「申し訳ありません、旦那様。お仕事中に……」
ヘルベルトは後ろ手にドアを閉めてから、バルタザールが差し出したタオルを受け取った。
いつも穏やかに――バルタザールからすると少々不気味に――笑っていることの多いヘルベルトが、明らかに狼狽えている。
「奥様のことです」
「っ……リンデが、どうかしたのか!?」
「はい。……御者とメイドから、知らせがありました。王都内にて、奥様が行方不明になられたとのことです……!」
は、とバルタザールの唇から吐息が漏れる。
妻が、ディートリンデが、行方不明になった。
「っ……どういうことだ。リンデは、騎士団の備品を注文している。それがさっき届いたんだぞ!?」
「はい。メイドと御者の話では、奥様が備品を購入した後、二人で配送手続きを行っている間に奥様が馬車から姿を消してしまったそうなのです」
「……なんだそれ……!」
拳を固めたせいで、手袋がギュッと不快な音を立てた。
ディートリンデが、メイドや御者がいない間に馬車から勝手に出て行った。
妻がそんなことをする理由が、とんと思いつかない。
「誰かに連れ去られた、ではないのか?」
「それが、目撃者によると奥様はお一人で馬車を降りられ、そのままどこかに行かれたそうで……」
ヘルベルトの説明に、バルタザールは眉根を寄せた。
ディートリンデには普段から、「知らない男に付いていかない」「一人で行動しない」ということをよく言っている。それに、ディートリンデが人混みの多い場所でふらふら単独行動を取るような性格ではないと分かっている。
ディートリンデはどちらかというと慎重で、他人にすぐに心を許すのではなくて疑いを持って接する質だ。
「他に、証言などはないのか?」
「付近に奥様の傘が落ちていたくらいで、他の足取りは現在のところ判明していないそうです」
「傘? ……とにかく、捜索届を出そう。それから、リンデに付き添っていたメイドと御者のケアも頼む。自分を責めるな、と言ってやってくれ。俺もこっちに区切りがついたらすぐに屋敷に戻る」
「かしこまりました」
ヘルベルトを送り出し、バルタザールは腕を組んで俯いた。
まずは、ディートリンデの行く先と安全が判明しなければ。
だがやはり、あのディートリンデが勝手に馬車を降りてどこかに行くなんてことが、考えられない。
メイドと御者の隙を衝いて、ならず者がディートリンデを馬車から引きずり下ろした、というわけではないようだ。
では、知り合いを見つけたディートリンデが自ら馬車を降りたのか、と思われるが、馬車に乗っている貴婦人に声を掛ける輩がいれば、周りの者も気づくのではないか。目撃者ははっきりと、一人で馬車を降りたと証言している。
何ごともなければいい。
もし本当に一人でふらふらしていて、皆を心配させていたとしても……無事に帰ってきてくれるのなら、それでいい。
ディートリンデがメイドや御者たちに何も言わず、自ら馬車を降りるような条件。
そんなものがあるとすれば――
「失礼します、隊長」
ドアがノックされ、エトヴィンが顔を覗かせた。
「……ああ、悪いな、エトヴィン。皆を部屋に戻してくれたか」
「はい。そろそろ俺たちの退勤時間なので、お知らせに参りました」
そういえば、もうそんな時間だ。
バルタザールと違い、見習いたちの活動時間は決まっている。これから体が成長する時期の見習いも多いので、無理に働かせずに休ませた方がいい。
「……分かった。俺はもう少し残るから、悪いが皆の号令を取ってくれるか」
「かしこまりました。……ああちなみに俺たちはさっき相談して、この後城下町に出掛けることにしました」
エトヴィンが言うので、彼と喋りながらディートリンデのことを考えていたバルタザールはついっと片眉を上げた。
城下町に出掛ける……簡単に言うと、遊びに行くというのだろう。
こちらは妻の安否が不安で仕方ないというのに――と苛立ちそうになるが、エトヴィンたちには関係のない話だ。
「……分かった。門限までには帰れよ」
「はい。あ、そうそう。俺たちは城下町の各地に散らばりますので、何かあればすぐ知らせてください」
「……は?」
「……お一人で何もかも背負わないでください。俺たちでできることは限られていますが……それでも皆、隊長の力になりたいと思っているのですよ」
そう言うエトヴィンの背後の廊下にはいつの間にか、見習いたちが集まっていた。
皆、騎士団の制服姿に着替えており、きりっとした表情でバルタザールを見ている。どう考えても、これから城下町に遊びに繰り出す雰囲気ではない。
……そして、バルタザールも彼らの意図に気づいた。
エトヴィンたちは自由時間を使い、ディートリンデを探しに行ってくれるというのだ。
「……時間外勤務だ」
「いえいえ、ですから俺たちはこれから、城下町に出掛けるのです。門限まで、自由時間を過ごすだけですよ」
しれっとして言うエトヴィンの背後で、見習いたちがうんうんと頷いている。先ほど喧嘩をしてバルタザールに叱られた三人も、しゃきっと背筋を伸ばして立っていた。
バルタザールは俯いてしばし黙り、そして頷いた。
「……分かった。本当に……ありがとう。気をつけて行ってきてくれ」
「いいえ、これも敬愛する隊長の……そして、ディートリンデ様のためですからね」
エトヴィンは微笑むと振り返り、「それじゃあ今から、遊びに行くぞ!」と皆に号令を出した。
すぐに皆は去っていったが、最後に残っていた者が「あっ」と声を上げた。
「隊長! お客様です!」
「客?」
「はい」
彼が言い、一歩引いて「客」を通す。
……その「客」を見て、バルタザールは目を丸くした。




