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37 優しい時間

 もうすぐ、バルトの誕生日だ。

 そして、彼へのプレゼントとして注文しているタイピンが完成したという知らせが入った。

 事前にデザインを考えたとおりの仕上がりにはなっているはずだけど、実際に見てからもう少し微調整を入れてもらえるそうだ。


 そういうことで私は休みの日、リューガー伯爵領で過ごしている母に会いに行くついでに店に寄って商品を受け取ることにした。


 外出用のドレスを着て、プレゼント作戦のことも知っているメイドをお供にまずは、城下町にある工房に行く。


 熱した金属のような匂いがする工房に入ると、前に屋敷に来てくれた職人が出迎えてくれた。


「ようこそいらっしゃいました、奥様。ご注文の品は、こちらです」

「ありがとう。楽しみだわ」


 職人が勧める椅子に座り、彼が差し出した箱を受け取る。そしておそるおそる蓋を開いたその中には、銀色のタイピンが鎮座していた。


 クリップ部分には飾緒を思わせる銀鎖が二本繋がり、私とバルト、それぞれの目の色をイメージした小さな宝石が一つずつ付いている。寄り添うように並んだ二つの宝石はとてもきれいだ。


「とっても素敵です! ありがとうございます」

「鎖の長さや宝石の位置なども、こちらでよろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫です」


 微調整も必要のないくらいの出来だったので、そのままラッピングしてもらうことになった。


 お茶を飲んでしばらく待っていると、さっきの職人とは違うエプロン姿の若い女の子が来て、小さな箱を渡してくれた。


「こちらに入っております。……旦那様用ですよね? きっと喜んでもらえますよ」

「ふふ、ありがとうございます」


 リボン包みが可愛らしい箱を受け取り、ポシェットに入れた。メイドは遠慮がちに「私が持ちますよ」と提案してくれたけれど、丁重に断った。

 今日は他にも母への土産とかも買っていくけれど、これだけは私が自分で持って歩きたかった。


 料金は既に払っているので、品物を受け取ったら工房を出る。

 そして城下町の有名菓子店でケーキを買ってから、馬車に乗って王都の門をくぐった。


 母は最初、伯爵領の隅にある療養地で暮らしていた。

 でも最近はめっきり調子がいいということで、しばしば郊外にあるリューガー伯爵邸にお邪魔しているそうだ。今日も、私が行くということで予定を合わせ、伯爵邸で会うことになっている。


 結婚の時に一度だけお邪魔したリューガー伯爵邸では、バルトのお母様と私の母が待っていた。


「よく来てくれたわね、ディートリンデさん。お母様もお待ちですよ」

「ご無沙汰しております、お義母(かあ)様。本当に、母の体調を気遣ってくださりありがとうございます」


 とても若々しくてきれいなバルトのお母様に言われたので、私はお辞儀をして応えた。


 バルトのご両親は私の母のことを本当に大切にしてくださって、母も男爵領にいた頃とは比べものにならないくらい元気になっている。

 あの叔父から離れられたのはもちろん、実際にとても腕のいいお医者様の治療を受けたり栄養満点の食事を作ってもらったりしているというのが大きいみたいだ。


 私が低姿勢で言うと、バルトのお母様は朗らかに笑った。


「あらあら、いいのですよ。バルトの可愛いお嫁さんのお母様なのだから、わたくしたちの身内も同然です。それにコルネリアさんとは最近よくお茶もしますの。わたくしも、コルネリアさんにはとても仲よくしていただいているから、こちらこそ感謝したいくらいですのよ」

「滅相もございません。ご配慮に感謝します、お義母様」


 バルトのお母様に案内されて向かった応接間では、肘掛け椅子に座った母が待っていた。

 前に療養地に会いに行ったときはベッドに寝ている状態だったから、椅子に座っていられるくらい元気になったのだと思うと……本当に嬉しいし、バルトのご両親には感謝しかない。


「ああ、リンデ。よかった、元気そうね」

「お母様も、お元気そうで何よりよ」


 母が嬉しそうに手を伸ばしたので、腰を屈めてその手が頬に当たるようにした。


 母は昔から、こうやって私の頬に触れて目をじっと見てきた。

 だから昔と同じようにしてくれると、心だけ少女の頃に戻ったような気がしてくる。


 母は顔色もいいし、以前は白髪だらけだった髪もだんだん濃い灰色――私と同じ色だ――に戻ってきていた。


「体調はどう? だいぶ歩けるようになったって、手紙にはあったけれど」

「ええ、そうなのよ。エルヴィーラ様がとても素敵なお医者様を呼んでくださったのだけど、その方に指導されながら歩く練習もしているの。今なら、杖を使えば平地ならかなり歩けるのよ」


 母は嬉しそうに教えてくれた。


 七年前に父が死んでから、母はすっかり弱ってしまった。しかも住み慣れた屋敷から追い出されて、治療もまともにしてもらえない療養地に行かざるを得なくなった。


 叔父は兄の妻である母に最低限の世話をさせていたようだけど、男爵家の家計が逼迫する――理由は主にエルナの浪費だ――と、母の生活費を削ろうとした。

 それだけは、と私が懇願して、私の衣装代や食費が代わりに削られたことも何度もあった。


 もちろんそのことはふらふらになっていた母には伝えなかったけれど、母もいろいろ思うことはあったようだし、男爵家で私がどのような扱いを受けているのかの察しも付いていたという。


「エルヴィーラ様から聞いていたけれど、あなたも旦那様とうまくやっていけているようね」

「え? あ、うん、まあね」


 母に問われると、なんだかすごく気恥ずかしくなってきた。


 母には当然、金貨百枚とかのことも教えていない。偶然私はバルトに見初められ、結婚することになった……とぼかしている。


「実はもうすぐバルトの誕生日だから、誕生日プレゼントを作ってもらっていたの。ここに来る途中に受け取ったのよ」

「まあ、そうなのね! 懐かしいわ……私もまだあなたのお父様の婚約者だった頃、誕生日に贈り物をしたのよ。それを渡すととっても喜んでくれて、毎日付けると言ってくれたわ」


 懐かしそうに母が語るのは、初耳の情報だ。


「そうなのね。お母様はお父様に、何を贈ったの?」

「金色のタイピンよ」

「えっ!? 私は銀色のタイピンなの!」


 まさか贈り物が一致しているとは思っていなくて声を上げると、母も一瞬驚いた様子だけどくすくす笑い始めた。


「あらら、そうなのね。どうやら私たちは、贈り物のセンスがよく似ているみたいね」

「そういえば私、最近になって字がお母様に似てきた気がするの。こういうのも親子の血の繋がりとか、関係しているのかしらね」

「そうかもしれないわ」


 母はゆったりと笑い、皺の浮いた手で私の手をそっと握ってくれた。


「リンデ。私が言うことではないかもしれないけれど……これから存分に、幸せにおなりなさい」

「お母様……」

「バルタザール様は、あなたのことをとても大切にしてくださっているのでしょう? 彼とずっと仲よく、幸せに暮らすのよ」


 ……それはきっと、最愛の夫と添い遂げることができなかった母の、切なる思いだろう。


 私は頷き、母の手を握り返した。


「分かったわ。でも、お母様も幸せになるのよ。私だけは嫌だもの」

「……ふふ、そうね。あなたは昔から、変なところで意地を張っていたわね」

「変なところって……」


 思わずむっとするけれど、楽しそうに笑う母を見ているとどうでもよくなってしまった。









 その後、バルトのお母様も交えて三人でお茶を飲んでから、お暇することにした。

 伯爵邸を出る頃にはもう夕方の時間になっていたけれど、夏だからまだ日は高い。


「……あ、そうだ。帰る途中、騎士団の備品を注文したいの」


 大通りに出たところで思い出したので、御者とメイドに言う。


 今日の私は仕事は休みだけど、ついでだから騎士団の消耗品を注文することにしていた。

 お金は持っていないけれど、いつも城下町で買うものを決めたら城の方に請求書を持っていくようにしてもらっている。また王都には王都内専用の荷運び馬車サービスもあるから、それに依頼して品物を城まで運ぶようお願いすればいい。


「了解です。何を買われますか?」


 今日買う品は、最初から決まっている。


「包帯セットと木製の模擬剣よ。いつも行っているお店だから、注文もすぐに終わるわ」

「かしこまりました」


 私が店の場所を告げると、御者は馬の向きを変えてくれた。

 夕方の色に染まりつつある王都の町並みを見ながら、私はポシェットをそっと手で押さえた。


 バルトの誕生日は、五日後。

 この日は屋敷でパーティーを開くことになっていて、私も一品作る予定だ。


 バルトは、以前私の作った鹿肉ソテーを食べ損ねたことをいまだに後悔しているようだ。

 せっかくバルトの誕生日なのだから、私も張り切って料理をする予定だ。


 そして、寝る前にプレゼントを渡す。

 お誕生日おめでとう、と言って……一緒に寝る。


 ……ああ、考えるだけで今から頬が緩んでしまいそう。


 両頬を手で押さえる私を、向かいの席に座るメイドが優しい目で見てくれていた。

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