30 好きなところ
騎士団エリアの資料庫で作業をしていると、バンッと背後のドアが開いた。
「あっ、ディートリンデ様、失礼しまっす!」
「どうぞ。何か捜し物?」
「そうなんですよ。隊長が宿題を出したんです」
備品のチェックをしていた私が尋ねると、一気に五人入ってきた見習いたちは真っ直ぐ本棚に向かった。
最初の頃は私があれこれ指示を出すのを鬱陶しがっていた彼らだけど、私の指示通りにした方が自分たちが過ごしやすくて時間の無駄もないと分かったからか、今では大人しく従ってくれていた。
「そうなのね。何について調べたいの?」
「俺たち、さっき薬草園で実習をしたときに隊長から補習を食らったんですよ」
「おまえが手当たり次第に薬草を千切るからだろー」
「いや、おまえだって疑いもせずに口に入れたじゃねーか!」
「あんなクソマズイだけの葉っぱを食っちまったし、隊長には薬草園の掃除だけじゃなくて補習まで命じられるし」
「ふふ、それは大変だったわね」
ぶうぶう文句を言う見習いたちだけど、勝手なことをした自分たちが悪いと分かっているからか手はちゃんと動き、本棚の「植物」の仕切りのところに目星を付けて本を探している。
「ディートリンデ様ー。どれなら分かりやすいですかー?」
「国内に生える薬草なら、この辺りで十分よ」
普段から蔵書目録を書いたり授業で使う資料を探したりしているから、各資料のだいたいの内容は頭に入っている。
なるべくイラストが多くて読みやすいものを見繕って渡すと、見習いたちがきらきらした目で見てきた。
「ありがとうございます!」
「これで補習に臨めます!」
「よかったわ。……あ、待って。これ、書いていって」
すぐに部屋を出ようとした見習いたちを呼び止め、後ろのテーブルに置いていた紐綴じの冊子を差し出した。
これは私が日々の空き時間に作ってきた、資料庫の物資の貸出簿だ。
消耗品はともかく、資料庫から持ち出して使った後はここに返す、というものは紛失を防ぐため、この貸出簿に名前などを書いてもらおうと考えていた。
バルトには既に提案して許可をもらっているから、ここにいる彼らが一番乗りだ。
「本や備品がなくなるのを防ぐために、資料庫から持ち出す場合は日時と名前、持ち出す物を書いてもらうわ」
「ええ……面倒ですよ」
「いいじゃないですか、ちょっとですし」
「……十日ほど前だったかしら。ちょっと使うからといって持ち出された資料がなくなり、その数日後、雨水をたっぷり吸った状態で発見されたわよね?」
私が言うと、見習いたちはぎくっとした顔になった。
水を吸ってぶくぶくになった本は修復不可能で廃棄するしかなく、しかも絶版になっていたものなのでバルトがため息をついていた。
ちなみにこの資料について犯人の候補は三人いたけれど、バルトにシメられた三人は皆「誰が最後に持っていたか分からない」と泣きながら言ったため、真犯人は分からずじまいになってしまった。
「そういう事故を防ぐためにも、この貸出簿を使うことになったの。バルタザールも許可しているわ」
「……分かりました。書きます」
「素直でよろしい」
……これで、備品の紛失が減るといいな。
その後資料庫の整理を終えて部屋を出ると、ちょうど教室からエトヴィンが出てきたところだった。
「あっ、ディートリンデ様。聞きましたよ、貸出簿の話。あいつら今教室で、必死に資料を読んでいました」
「そうそう。このままだと紛失物の再購入だけで予算をかなり圧迫しそうだから、面倒だとは思うけれど新制度を設けることにしたの」
「いいと思いますよ。備品紛失のことはもちろん、皆も『公のものを借りる』ことの意味を考えるきっかけにもなりそうですからね」
……あ、ああ、なるほど。確かに、そういう気持ちを養うこともできそうね。
私はそこまで深く考えていたわけではないから、エトヴィンの柔軟性には白旗を揚げてしまう。
その後、まとめた資料を持っていこうと執務室に向かう。
「お邪魔するわ」
「……あっ、ディートリンデ様」
どうやら先客がいたようだ。
デスク越しにバルトと向かい合っていたのは、見習いたちの中ではエトヴィンの次に年長の子だった。
彼は振り返ったけれど、すぐにまた私に後頭部を向けた。ぐすっと洟を啜る音が聞こえたので……これはよくなかったと、一旦部屋を出た。
その後、背中を丸めた見習いが出て行ったのを見送ってから、私はもう一度執務室に入った。
バルトは、心なしか疲れた顔をしている。
「お疲れ様。……さっきの彼、どうしたの? 大失敗でもしちゃった?」
「……いや、人生相談みたいなものだ」
そう言うバルトは、声も疲れている。
ちょうど棚に冷めた紅茶入りのポットがあったのでカップに注いで渡すと、「ありがとう」とバルトは受け取った。
「大変ね。隊長だと、部下の相談にも乗らないといけないのね」
「……まあな。といってもどうやら交際していた恋人にフられたようで、泣き言を言ってきたくらいだ」
「そ、そう……」
騎士として深刻な話かと思ったけれど、もっとフランクな話題だったみたい。
でも……見習いの皆も、上司に恋愛相談するものなのね……。
「教官騎士に恋愛相談って、しにくくないのかしら」
「既婚者が他にいないから経験豊富な隊長の話を聞きたい、と縋ってきたんだ。……まったく、リンデ以外の女性と交際経験のない俺にそのようなことを求められても――」
「えっ」
「えっ?」
「経験、ないの?」
「あるわけないだろっ!」
思わず尋ねると、バルトはむっとしたようだ。
「俺は……リンデのことがずっと好きだったし、そもそも忙しかったからそのようなことに現を抜かしたりはしていない!」
「そ、そうなのね。でも交際するとまでいかずとも……騎士団では、若いうちから女性と上手に遊べるのがいい男の条件だと言われているでしょう?」
「なんでそんなことを知っているんだ!?」
「この前、騎士団エリアの廊下を歩いていたら聞こえてきたの」
まあ騎士の皆様も健全な成人男子だし、そういうお喋りもするものよね。
できればそういう話は人気のない場所でしてほしかったけれど、私もいちいち赤面したりするほどではない。
バルトはがくっと肩を落とし、大きなため息をついた。
「……むしろ、リンデはそういう話を嫌うと思っていた」
「真正面から露骨に言われるのは嫌だけれど、聞き流すことくらいできるわ。これでも耳年増なので」
「……。……ああ、確か従妹の影響だったか」
ろくでもない親戚だ……とこぼしたバルトは、紅茶をぐいっと飲んだ。
「……まあとにかく。フられたのならネチネチ引きずったり、相手の女性の後を尾けたりだけはするなと言っておいた。ヨリを戻したいのならおまえがもっといい男になり、相手を再び惚れさせてみろ、と」
「あ、それいいわね。私も、それくらいすっきりしている方がいいと思うわ」
「リンデがそう言うのなら、大丈夫だろうな。……まったく、そういうのはもっと手慣れたやつに聞いてくれればいいのに。だいたい、フられた原因はあいつが多忙を理由に恋人を放置したからだという。それはフられても仕方ない」
そう言って紅茶を飲むバルトの頬は、ちょっとだけ赤い。
内心焦りながらも見習いの相談に乗ってやったのだと考えると、つい笑みがこぼれてしまった。
「……あなたのそういうところ、すごくいいと思うわ」
「ん? どれだ」
「見習いたちをきちんと指導して、励まして、見捨てたりせずに面倒を見てあげるところ」
私が言うと、バルトは怪訝そうな顔になった。
「……それは、仕事だからだ」
「でも、恋愛相談に乗るというのは従騎士昇格試験には関係ないわよね?」
「それはそうだが……」
「私、見習いたちの気持ちが分かる気がするの。バルトは厳しいかもしれないけれど……とても素敵な上司だと思うわ」
前に別の教官騎士から聞いたのだけれど、バルトの担当は「あらくれクラス」と呼ばれていて、見習いの中でもとりわけやんちゃな子たちが勢揃いしているという。
なぜ彼らがバルトのもとに集まっているかというと、彼らの方からバルトを選んだから。
そして実際バルトも彼らをうまくまとめ、指導しているので、彼らとの信頼関係を築くことができている。
「それに、あなたが社交界で人気者な理由もよく分かるわ。なんというか……カリスマ? 側で一緒にお喋りをしたい、話を聞いてほしい、って気持ちになるのよ」
「……それは、リンデもなのか?」
どこか緊張した様子のバルトに聞かれて、私は笑顔で頷いた。
「もちろんよ。……私、子どもの頃からずっと、バルトとのお喋りが好きだったの。思春期になったら素直なことが言えなくなったけれど……でも本当は、あなたと一緒にいたかった。あなたと一緒なら肩に力を入れなくてよくて、『リンデ』でいられたから」
「リンデ……」
「私、そういうふうにしてくれるあなたのことが、好きよ」
気が付けば、自然とそんな言葉が唇から零れていた。
私は。
ずっとずっと、バルトのことが好きだった。
子どもの頃はまだよく分かっていなくて、思春期になってからは意地っ張りになって、父を亡くしてからは裏切られた気持ちになって――気づくことができなかった。
でも、今なら分かる。
私はバルトが初恋で、ずっと特別な想いを寄せていたのだと。
「っ……!」
最初は戸惑いがちだったバルトが、瞬時に顔を赤らめてさっと口元を手で覆った。
『旦那様のことですから奥様がちょっと押せば、いつもの澄ました顔はどこへやら照れまくること間違いなしですよ』
ふと、ヘルベルトの言葉が頭の中に蘇ってきた。
バルトはしばらくの間、硬直していたけれど……やがておもむろに手を下ろし、大きな大きなため息をついた。
「……本当に、リンデには勝てない」
「迷惑だった?」
「まさか! すごく嬉し……あ、いや、何でもない」
「私、バルトの気持ちが聞きたいな」
「っ……こ、今夜屋敷に帰ってから続きをする!」
「あ、うん」
勢いよく言ったので、ついさくっと受け入れた。
けれど――
……「続き」って、何なんだろう?




