28 夫婦でお手本
途中でバルトの「減点」の言葉が何度も飛びながらも、ひとまず礼法指導は終わった。
一発合格をもらえたのはエトヴィンとあと三人くらいで、何度もやり直しをさせられた見習いたちはぐったりしていた。あ、私は暇なときは座っていたし飲み物ももらったから、あまり疲れていない。
「では、今日の簡易試験で注意した点について、各自よく復習をしておくこと。……何か質問などはあるか?」
「はい、隊長」
バルトがそう尋ねると、挙手した見習いがいた。
彼を見て、他の見習いたちが意外そうに目を丸くしている。
「エトヴィン……珍しいな。何か気になることがあったか?」
「気になることといえばそうですが。……俺たちは一人一回ずつはディートリンデ様をエスコートする練習をしたのに、隊長はなさらないのが気になって」
エトヴィンの発言に、誰もが耳を疑った。
バルトは名簿を取り落としそうになっていたけれど、咳払いをした。
「……いや、俺は指導する立場なのだから、する意味がないだろう。手本なら、エトヴィンがしてくれたし」
「そうですが、やはり隊長の見事なエスコートを見たいじゃないですか。……なあ、皆も見てみたくないか?」
エトヴィンは笑顔で言い、振り返った。
見習いたちは最初こそきょとんとしていたけれど、根っからは楽しいもの好き、おもしろいもの好きの男の子だからか、わらわらと手を挙げていく。
「俺も見たいでーす!」
「隊長の格好いいところ、見せてくださーい!」
「ディートリンデ様とラブラブするところ、見まーす!」
「…………おまえたち」
バルトはぎりぎりと歯を噛みしめて、調子に乗り始めた見習いたちを睨む。
でも私がじっと見ていることに気づいたのかはっとして、申し訳なさそうに視線と落とした。
「……あー、ディートリンデ。まだ体力があれば、その……リクエストに応えてもいいか?」
「ぜんぜんだいじょうぶでーす!」
「おまえには聞いていない」
お調子者の見習いを叱ったバルトは、普段授業中には見せない焦ったような困ったような横顔で――つい笑みがこぼれ、私は見習いたちを真似て手を挙げた。
「はい。私、バルタザールとエスコートの練習をしたいです!」
「リンデ、君という人は……」
つい私の愛称を口にしてしまったバルトはため息をつくと、持っていた名簿を置いた。
「……分かった。さあ立って、ディートリンデ」
「はい」
私は椅子から立ち、持っていたグラスをエトヴィンに渡す。
バルトはスタート地点に向かう途中は足取りが重くて肩も落ちていたけれど、くるっと振り返ったときにはすっかり貴公子の顔つきになっていて、見習いたちが息を呑んでその姿に見入ったのが分かった。
バルトは最初、微動だにせずに騎士の直立の姿勢を保ち、そして私に向かって歩きだした。その足取りは軽やかでかつ優美で、コツコツとブーツの底が立てる音が私の胸を優しく刺激した。
私の前に立ったバルトはお辞儀をして、すっと左手を差し出した。私はそこに右手を載せて、二人歩調を合わせて歩く。
……これまでに見習いたちの練習も手伝って一緒に歩いたけれど、バルトの隣は心地いい。
ごく自然に私を気遣う態度や紳士的な振る舞いはもちろん素敵だけれど……顔は澄ましているのに、私の右手を取る手がほんの少しだけ震えていて、彼も緊張しているのだと思うと――ますます愛おしくなってくる。
ドアの前まで向かうと、皆が一斉に拍手をした。
「すげー! やっぱ隊長、格好いい!」
「他のやつらがやってるときより、ディートリンデ様が美人に見えた!」
「隊長かっちょえーッスよー!」
「……ありがとう」
バルトは疲れた顔で応じると、そっと私の手を離した。
横を見ると、優しい眼差しで私を見るバルトの顔が。
「付き合ってくれて、ありがとう。……今日の髪飾り、よく似合っている」
さりげなく囁かれた言葉に、ふわっと胸の奥が温かくなる。
「どういたしまして。……実は緊張しているバルトも、格好よかったわよ?」
「……ばれていたか」
最後の一言はこそっと言うと、バルトはばつの悪そうな顔をしつつも微笑んでいた。
授業を終え、見習いたちが着替えのために教室を出て行く。
先ほど練習の相手になってくれたからか、数名の見習いが先に部屋を出ようとしたディートリンデを追いかけて、一緒にお喋りをしていた。
バルタザールはそんな妻の後ろ姿を見ていた。
十代前半くらいの少年たちに囲まれるディートリンデの姿は、微笑ましい。
思春期真っ盛りな見習いはディートリンデに対して緊張しているが、まだ幼いところのある少年たちはディートリンデのことを姉のように慕っていることが分かる。
親元を離れて修業する彼らも、男所帯の中でたまには年上の女性に甘えたり話を聞いてほしくなったりするだろう。彼らだって節度は分かっていて、隊長の妻にむやみに触れたりはしない。
「お疲れ様です、隊長。これ、持っていきますね」
声がしたので振り返ると、複数人分の鞄を手にしたエトヴィンがいた。他の見習いたちは皆部屋を出ているが、数名が自分の鞄を忘れていったようだ。
バルタザールはため息をつき、頷いた。
「悪いな、そうしてくれると助かる」
「いえいえ。……ああ、そうだ。少しよろしいですか、隊長」
ふいに真剣な口調で問われ、バルタザールは目を細めた。
ぼろぼろの鞄を背負ったエトヴィンは、真意の読めない顔で微笑んでいる。
「ディートリンデ様のことです。……隊長、ディートリンデ様と仲直りできたのですね」
「っ……ディートリンデが、何か言っていたのか?」
「いえ、何も。ただの俺の勘です」
エトヴィンは笑顔を崩すことなく言い、難しい顔のバルタザールを見つめた。
「よかったな、って思っています。でも、もしあのままだったら……隊長に本格的に泣かされる前に、ディートリンデ様を攫ってしまおうかな、とは思っていました」
「……。……おまえにそのように思わせたのは、俺の落ち度が原因だ」
エトヴィンのきわどい発言に対して、バルタザールが見せた動揺は片眉を上げることだけだった。
エトヴィンは頷き、お辞儀をした。
他の者たちのお手本にしたくなるくらい、きれいな所作だった。
「出過ぎたことを申しましたことを、お詫びします。……これから俺は一人の騎士として、ディートリンデ様をお慕いします。そこに一切の疚しい感情を抱かないことを、誓います」
「……分かった。…………すまない、エトヴィン」
「お気になさらず」
人間の感情の機微に敏感なエトヴィンは、「なぜ謝るのか」とは聞かず、穏やかな表情のままで応えたのだった。




