27 ディートリンデのお手伝い
仕度を終えたら、馬車に乗って出勤。
バルトと結婚して騎士団で働くようになって三ヶ月ほど経ったから、既に私は城門前の兵士にも顔を覚えられていた。
「あっ、おはようございます、ディートリンデ様!」
今日の担当は、若い兵士二人組だった。
一応規則なので彼らに身分証明書を差し出すと、片方が「おや?」と首を捻った。
「ディートリンデ様、今日は何か特別なご用事でもあるのですか?」
「いいえ、特にはありませんよ。何か気になることでもおありですか?」
「いえ、御髪に初めて見る髪飾りがございますので。とてもよく――いでぇっ!?」
「おまえはもう喋るな」
ペラペラ喋っていた兵士は後ろから同僚に殴られて、頭を抱えてうずくまってしまった。
もう一人の兵士はさっと私の証明書を見るとすぐに返し、「中へどうぞ」と通してくれたけれど……言い合いをする声が聞こえてくる。大丈夫かな?
さて、騎士団エリアに向かった私は、バルトの活動区に向かった。
今日は確か、バルトも見習いたちも城下町の早朝巡回をしてから朝食を食べて、休憩の後に授業と訓練があると言っていた。
予想通り、執務室に行くとバルトはこの後の授業の準備をしていたようで、何かの紙を手に難しい顔をしていた。
でも彼は私がドアを開けて中に入ると顔を上げ、ふわりと優しく微笑んでくれた。
「おはよう、リンデ」
「おはよう、バルト。……今日は日が昇る前に出たそうだけど、眠くない?」
「大丈夫だ。まあ、見習いたちは眠そうにしていたが……この後は体を動かすから、嫌でも目が覚めるだろう」
「そうなのね。……今日は何をすればいい? 難しそうな顔をしていたけれど……困ったことでもあったの?」
特に何もなければ、資料庫にある蔵書のリストを作る作業をしたいと思っている。
本棚はかなり整理されたけれど、「あの資料はどこ?」というのがまだ頻発するので、備品目録を作って紛失をなくすようにしているところだ。
バルトは少し考えた後、私に手招きした。
「少し、リンデに頼みたいことがある。授業の補助みたいなものだ」
「ええ、構わないけれど……私が見習いの子たちに教えられることはないわよ?」
一応教養として読み書き計算歴史などは身に付けているけれど、誰かに教えられるほどのものではない。
「分かっている。……リンデに頼みたいのは、見習いたちの礼法指導の補助だ」
バルト曰く。
教官騎士が教えるのは座学と剣術武術が基本だけど、見習いたちが受験する従騎士昇格試験では礼儀作法やマナーなども受験科目に入っているそうだ。
もちろん、平民出身の彼らに生粋の貴族と同じ礼法を求めるわけではない。
でも、いざ従騎士になって誰かのお付きになったりした場合、お辞儀や貴人のエスコートのし方などを知らなかったら恥を掻くどころか、無礼者になってしまう。
そういうことで、教官騎士たちは従騎士昇格試験で必要な程度の礼法も教えることになっている。
「……そういえば、薬草学とかも授業の科目よね。そういうのは外部の専門講師を呼ぶそうだけど、礼法では呼ばないの?」
いくら多才な教官騎士でも、得意不得意はある。そういう場合は専門家や学者に講義を依頼するそうだ。
バルトも、ものによっては外部の人に依頼するそうだけど。
私が尋ねると、バルトは少し困った顔になった。
「……できなくもない。だが、俺を含め五人存在する教官騎士の中で……簡単に言うと、俺のクラスの見習いたちはやんちゃなやつがかなり多くて、講師を困らせてしまうことが多い。前、外部の講師を怒らせたことがあって……」
「そ、そうなのね」
「もちろん、昔に比べるとやつらも分別が付くようになったが、できる限り俺で指導している。……そこで、君さえよければ力を借りたい」
「了解。どんな形で協力すればいい?」
尋ねると、バルトは持っていた紙をデスクに置いて見せてくれた。
そこには、礼服姿の男性とドレス姿の女性の絵が描かれていた。
「従騎士昇格試験合格のために確実に身に付けるべきなのは、歩き方と立ち方、そしてエスコート方法だ。歩くのと立つのはいいとして、エスコートとなると相手が必要だ」
「あ、分かった。私が、見習いたちのエスコート相手の貴婦人役になればいいのね」
「そういうことだ。必然的にやつらと身体接触を行うことになるが、君は手袋を着けたままでいいし、触れるのは手のひらだけだ。そういうことが気にならないのなら、練習に力を貸してほしい」
「ええ、もちろんよ!」
私はしっかり頷いた。
女性が夫でも恋人でもない男性に触れるなんて、はしたない――なんてことを言われていた時代は、とうの昔に過ぎている。
むしろ今は、積極的に男性とコミュニケーションが取れる会話上手な女性が好まれている。
私は……残念ながら社交性があるわけではないけれど、異性との接触自体にはそれほど忌避感はない。
以前夜会で絡まれたときと違って今回の相手は年下の見習いでバルトの監視下でもあるのだから、怖くもない。
その後、教室に移動した。
いつもは見習いたちの数だけ机と椅子があるけれど、既にそれらは壁際にまとめられていた。
「よし。それじゃあ今日は、礼法の簡易試験を行う。きちんと練習をしてきただろうな?」
バルトが問うと、見習いたちは――「はい!」「もちろんです!」と笑顔で言う子もいるし、ちょっと気まずそうに視線を逸らしている子もいる。
バルトは名簿を捲り、エトヴィンを呼んだ。
「おまえは既に礼法において全く問題ないから、ディートリンデと一緒に手本をやってくれ」
「えっ……よろしいのですか?」
エトヴィンが驚いたように問うと、バルトは頷いた。
「ディートリンデも、手を貸してくれると言った。何か問題でも?」
「……いえ、何でもありません」
しばらくの間無表情だったエトヴィンはすぐに笑顔になり、バルトの隣に立つ私の前でお辞儀をした。
「よろしくお願いします、ディートリンデ様」
「ええ、よろしく」
バルトは、「『制止』の姿勢で十秒キープ後、ディートリンデの前まで歩く。ディートリンデをエスコートして教室を横切り、俺の前で立ち止まってディートリンデを送り出す」という簡易試験コースを設定した。
見習い一人一人がバルトのチェックのもとで演習をする傍ら、他の見習いたちは二人一組で練習をするように、ということだ。
まずは、エトヴィンがお手本を見せる。
彼は怪我が理由で昇格試験を受けられなかっただけなので、さすが立ち姿も歩く様もぱりっとしているし、私の手を取り歩調を合わせて歩く様も完璧だ。
バルトも、大きく頷いて名簿にチェックを入れていた。
「こんな感じで行くぞ。おまえたちの体力はどうでもいいとして……ディートリンデはまめに座って休んでいいし、疲れたならそこまでにするから言ってくれ」
「ありがとう。できる限り頑張るけれど、疲れたらそう言うからね」
ここで意地を張って「気にしなくていい」と言うとバルトを心配させるだけなので、バルトの提案をきちんと受け入れる旨を伝えた。
そういうことで、私をエスコート相手の貴婦人役とした簡易試験が始まった、のだけど……。
「……あ、ちょっと手が痛いわ」
「え、ええっ!? す、すみません!」
「ヨーゼフ。普段おまえたちが殴りあうときの感覚で女性に触れるな。減点」
「ひえぇ……」
ちょっと力みすぎて私の手をぎゅうぎゅう握っていたヨーゼフの次に来た見習いは、緊張の顔で私の前に来たけれど……。
「……あの、これ、触れていないわよね?」
「え、え、ええと……その、すみません。僕、女の人の手を取ったことがなくて……」
「そんなのではやっていけないと、いつも言っているだろう、マテーウス。きちんとディートリンデの手を取れ」
「で、でも、隊長の奥様ですし……」
「関係ない。減点」
「うえぇ……」
次に来た見習いは、手を取るまではよかったけれど……。
「え、あの、ちょっと、待って……」
「へ? ……あ、す、すみません!」
「貴婦人を置いて歩く馬鹿がいるか。ラファエル、減点」
「申し訳ないッス……」
さすがバルト、見習いたちをばっさばっさ切り捨てている。
二人きりのときは柔らかい表情を浮かべてくれるようになったバルトだけど、仕事中はきりっとしていて……格好いいな。
試験を受ける見習いたちがいなくなったところで、椅子に座って休憩していた私のもとにエトヴィンがやってきた。手には、水入りのコップが二つ。
「お疲れ様です。これ、どうぞ」
「あら、ありがとう」
「エトヴィーン! 俺にも水ちょうだーい!」
「知るか! おまえは自分で汲みに行け!」
年下の同期にはすげなく返したエトヴィンだけど、私を見て微笑んだ。
「……最近、ディートリンデ様は明るくなりましたね」
「えっ、そう?」
「ええ。……隊長と仲よくされているようで、俺もなんだか嬉しいです」
私は、隣を見た。
エトヴィンは腰に片手を当ててぐいっと水を飲んでいる。
……バルトの中で、エトヴィンは私の恋人にしてもいい男性だったという。
確かに、見習いの中では最年長で気の利くエトヴィンは、とてもいい人だと思う。でも、向こうも私のことを「隊長の奥様」として扱ってくるし、私も彼に恋愛感情を抱いたことは一度もない。
私は一人っ子だから、もし弟がいればエトヴィンみたいな子がほしかったな、というくらい。
ちなみに私のことを「お姉様」と呼ぶ存在がいたといえばいたけれど、考えないでおいた。




