不在の間に
エスペル鉄道襲撃事件の数日前。アスラ率いる野良異形体は、大規模な軍基地襲撃を行ったこともあり、ハミルトン領の廃地下水道の拠点に身を潜めていた。
「あれ? ドクターとティスは?」
共同生活スペースを見回したアスラは、いつもは奥のデスクに噛り付いている鳥型マスクの男と、無口な少年の姿が見えない事に首を傾げる。その様子に、腕立てをするロベルトの背に座っていたジェシカが口を開く。
「ドクター・ストレンジなら、パップを連れて研究室に籠っているよ」
ランベール・トウェインの事を奇妙と称し、その愛らしさからティスを子ネズミと呼ぶ彼女の独特な語彙に理解を示しながら、アスラは眉根を寄せる。
「何しに?」
「さあね。高名な研究者がしている事なんて、私らにはわからないさ」
肩をすくめるジェシカに対し、ロベルトは汗を流しながら休み休み言葉を継ぐ。
「ずっと研究していたものが何とか。声を上げながらティスの手を取って、くるくる回っていた。詳しいことは俺にもわからないが、嬉々としてティスを連れて行ったのは確かだ」
「ふーん?」
小休憩に入ったロベルトは、ジェシカに軽く礼を言ってから言葉を続ける。
「小麗は弟とのおしゃべりに夢中だ。暇を持て余しているのか?」
「んー、まぁそんなところかな?」
アスラは溜息をつきながら、どっかりと草臥れたソファーに腰を落とす。
ゾルタン・ムーアの来訪により、彼の行動を観測する目的で外出しているオズや、中央へ情報収集のために出かけたヴォルグとリオもいない。この場所にはしばらく続いていた賑やかさはなく、ほのかな静寂が佇んでいる。基本的に作戦立案もするが、肉弾戦を得意とするアスラは、情報が集まるまでは特段することはない。手持ち無沙汰になれば、物思いに耽る時間が増える。そういった時間は、彼にとって苦痛の時間でもあった。
「暇ならば、話をしないか?」
「話?」
溜息をついたところで声をかけてきたロベルトに、アスラは首を傾げる。
「まだ俺たち二人は、君らの仲間に加わってから日が浅い。互いを知ることも、仲間として行動する上では大事な要素だ。少なくとも、俺たちはそうしてきたが、どうだ?」
「私も賛成だけど、無理強いはしないよ。知らなくていいことも多いしね」
地べたに座るロベルトの肩に腰かけながら話に加わるジェシカの言葉に、アスラは小さく笑みを浮かべる。
「二人と話していると、おじさんを思い出すよ」
「おじさん?」
「マカーフ・ローボフ大尉だよ。俺はずっとおじさんって呼んでいたけど」
「そういえば、私らの解放もローボフに頼まれたって言っていたっけねぇ」
顎に手を添えるジェシカの言葉に頷きながら、アスラは続ける。
「じゃあ、話し始めで聞きにくいことを聞いてもいい?」
「なんだ?」
「二人は、その……付き合ってるの?」
アスラの言葉に顔を見合わせた二人は、声を上げて笑った。
「そんなんじゃないさ! 距離が近いのは認めるけどさ!」
ケラケラと笑うジェシカに、アスラは未だ信じられないと怪訝そうに眉根を寄せる。
「本当に?」
「本当だ。そもそも俺には妻子がいる」
「でも、領によっては、貴族以外でも第二、第三夫人を娶ることもある。ハミルトンとクルードがいい例だよ?」
「そうか。アスラは元々貴族側か。だが、俺たちは中央区出身の軍家系だから、そういった文化はない」
穏やかに語るロベルトに続き、ジェシカが口を開く。
「ロベルトの奥さんと私らは幼馴染でね。ロベルトは奥さん一筋の硬派な男さ。元々距離が近かったけど、士官学校内部では女をそういう目で見て来るお盛んな奴も多いから、ロベルトの女で見てもらえるようには動いていた時もあったねぇ」
「妻からも頼まれてはいた事だが、ジェシカより他の男連中のためにはなったと思う。ジェシカを組み敷くのはそう簡単ではない。おかげで被害者は一人で済んだ」
「羽虫でも、肉壁にはなるからねぇ」
共に戦闘を経てから、よりジェシカの戦闘力の高さへの理解が深まったアスラは、二人の語り口に納得しながら、興味深そうに話を掘り下げる。
「それでも、ロベルトとの関係を勘違いさせておいた方がいい場面もあったんだ」
「私以外にも女はいたし、女という武器を上手く使っている奴もいたからねぇ」
「互いに都合が良かったんだ」
士官学校の内情を知らずとも、社会の縮図は変わらないと理解したアスラは、彼らの言い分に首肯した。
「確かに、それは面倒そうだね」
「あんまりキティに聞かせる話でもなかったわね」
成人以下を幼獣に例えるジェシカの言葉に、アスラは微妙な顔をした。
「あー……俺ってそんなに子供に見える?」
「見える」「少し」
「ありがとう。おかげで気がまぎれたよ」
はっきりと言うジェシカと、濁すロベルトの言葉を同時に受け止めながら、アスラは大きく溜息をついた。
* * *
ショウ達がクルード領へ向かった当日。異形体研究の人員として、ショウの部隊に臨時協力をしているナタリー・カーティスは、censer待機を言い渡されていた。その為、ナタリーは通常業務である舎密倞の助手として総合科オフィスへ赴いていた。
「おはようございます」
研究員証をかざして総合科の研究室に入ったナタリーは、返事のないオフィスを見回す。奥にある実験室へと目を向けるも、明かりはついておらず、人気もない。ナタリーはまたかと思いながらも、電灯がともったオフィスを練り歩く。
オフィス内は相変わらず乱雑と物が置かれており、机の上には実験器具が置かれている。実験室の外に置かれている高額なこれらの装置は、舎密好みのコーヒーを淹れる為だけに用意されたものだと聞いた時、頭を抱えたのはナタリーの記憶に新しい。舎密に予算の無駄遣いではと指摘するも、自分の精神衛生上必要なものだと言ったら通ったと嘘みたいな言い訳に、ナタリーは異常なまでの特別扱いに驚愕したものだった。
「博士ー? いないんですかー?」
床に転がった専門書を避け、初出社のデジャブを感じながら、ナタリーはソファーにだらしなく横たわり、皺くちゃの白衣を毛布代わりに頭からかぶっている研究室の主を見つけた。
「博士、何しているんですか? もう朝ですよ?」
寝息を立てたまま反応しない舎密に、ナタリーは嘆息しながら白衣を取り払う。
「ほら、起きてください! 今日はラフーセ博士の所に蝶の論文について話しに行く日ですよ!」
耳元でクラップ音を叩き鳴らされた舎密は、心底不快そうな呻き声を上げながら、電灯の明かりから逃れる様に腕で目を覆う。
「勘弁してくれ、今何時だと思ってんだ」
「朝九時ですよ、博士。一般的な出社時間なんですけど? むしろ遅いくらいです」
寝ぐせのついた頭を粗暴に掻きながら、大きな欠伸をして身体を起こす舎密に、ナタリーは眉を顰める。
「もしかして徹夜したんですか? 食事は? 不規則的な睡眠と食事は短命につながりますよ?」
「統計学的にはそうだろうな。だが研究者にとって、寿命の前借をせずにはいられない時があるんだ。お前も研究者ならわかるはずだぞ。というか、お前は俺の母ちゃんかよ」
「誰が母ちゃんですか! お忘れかもしれませんが、私は博士より年下です!」
柳眉を吊り上げて抗議をするナタリーの姿は、駄々をこねる少女のそれに見え、迫力は皆無だった。
「わかった。ジョークはここまで。それで、ナタリー。なんで俺の予定を知ってるんだ? そもそもどうしてここに居る。あのクソ大佐の所じゃないのか?」
「博士のスケジュールに関しては、助手である私が把握しているのは当然です。私がここにいるのは、マクレイア大佐たちが異形体関連以外の任務に当たっている為です。今朝、メッセージを送ったはずですが?」
「え? マジで? ちょっと待て。ああ、そうだ。ほんとだ。朝一でメッセージが入ってる。丁度、俺がここで寝るころだ」
手持ちの小さな携帯デバイスを確認した舎密は、なるほどと肯きながらも欠伸を止められない。
「そんな状態で、蝶の論文に関する議論ができるんですか?」
「おい、さっきは聞き流したが、科学者なら正式に答えろ。鱗翅目ランドリオ科ランドリオの育成過程における研究論文だ」
「どうやら問題はなさそうですね。なら、シャワーを浴びて準備してください。その間、私はこの研究室を整理していますから」
そう言って動き出すナタリーを尻目に、舎密はまたソファーに横になる。
「何してるんですか?」
「一度見せたスケジュールを覚えているのは感心しているが、今日はいかない。俺は睡眠負債を返すのに忙しい」
「一応聞きますけど、負債ってどれくらいですか?」
「三日間実験室に缶詰だったからなぁ。俺は七十二時間起きていたことになる」
「本当に寝てなかったんですか? 一睡も? それは随分ため込みましたね?」
信じていない様子のナタリーに、舎密は拾い上げた白衣のポケットから細い棒状のものを取り出す。
「なんですか? それ」
「これは、俺が開発した吸入器だ。口腔粘膜から微量な量で高純度の栄養剤を摂取できる。眠くもならないから集中して研究をするのに最適なお供だ」
「うわぁ、不健康の塊……本当に死にますよ?」
「だから、死なないために寝るんだ」
再び白衣を被って寝に入ろうとする舎密に、ナタリーは大きく溜息をつく。
「博士? 今こそ寿命の前借をする時なんじゃないですか?」
「冗談よせ。今行ってもロロンくんしかいないんだ。だから、今回の予定は延期だ」
「ロロンじゃなくてロランさんです。というか、本当ですか? ラフーセ博士がいないなんて……」
「最近生物科の研究所が襲撃されたろ? その件で宰相殿に呼び出されたんだと。議論は後でもいい。だが、論文提出の約束をしていたのは確かだから、代わりにロルンくんに渡してくれると助かるよ」
生物科のトップのスケジュールを知らないのは意外だと小言を言いながら、舎密はローテーブルに置いていた研究論文を一瞥もせず、ナタリーに突き出した。
「私がですか?」
「提出くらいできるだろ? 宰相から与えられた特権で自由にしていいとはいえ、予算を考えろと言ったのはお前。そんで表に出してない論文を書き直して提出し、対外的に支給される研究予算に説得力を持たせようとしたのもお前。良かったな。俺の仕事を増やす以外で初めての、助手としての仕事だ。喜んで受け取ってくれると助かる」
「……わかりました」
ぐうの音もです、絶妙な罪悪感を覚えながら論文を受け取ったナタリーは、三秒以内に寝息を立てる舎密に溜息をつきながら踵を返す。
舎密の健康管理も助手としての仕事だと自分を納得させながら、ナタリーは生物科研究棟へ向かった。
どうも、朝日龍弥です。
今回から新章開幕! ということで、ショウがクルード家の依頼を受けている間、一方その頃なお話となります。ナタリーや舎密、censer周りの関係者にまつわるお話が主立っておりますので、お楽しみにです!
次回更新は、5/13(水)となります。




