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SLUMDOG  作者: 朝日龍弥
三十九章 潰えぬ誇り
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憧れの研究室

 

 研究論文を持って生物科研究棟に来たナタリーは、総合科とは違う明るい雰囲気に胸がすく心地を覚える。しかし、研究員たちが休憩スペースで論文や自身の研究についてテーマを持ち寄って語らう姿は、ナタリーに大学の研究室を思い出させる。


 ――いいなぁ


 大学時代から一人で研究をしていたナタリーは、眩しい光景に目を眇める。多くの研究員を抱える生物科の研究室は、地上から上に伸びている。自然光を取り入れた研究室は輝いて見え、温もりも感じられる造りになっている。

 対して、総合科は外界と隔絶されたように地下に置かれており、普段は誰かが訪れる事すらまれである。人工的な光で照らされた研究室は、肌寒ささえ感じられる。そこまで考えて、ナタリーはなんとも言えない違和感を覚えた。


 ――どうして、科学者の頂点なんて言われている舎密(せいみ)博士が、あんな地下にいるんだろう……


 科学者の頂点と呼ばれ、全ての科学者から畏敬の念すら抱かれる天才科学者。様々な特権を与えられるほどに、宰相から特別視されている彼は、科学者から憧れと羨望の目を向けられる様な境遇のはずであるのに。そこまで考えたナタリーは、周囲から特異な目で見られていた学生時代の記憶がよみがえり、身体を強張らせた。


「あれ、ナタリーちゃん?」

「え?」


 唐突に声を掛けられ、顔を上げたナタリーは、眼前に立つロラン・アレクサンドロス・フェドルフ博士を見て、目を丸くした。


「あれ、ロランさん? こんにちは。何か御用ですか?」

「ああ、こんにちは。ええと、僕の研究室の前でぼうっとしていたから、どうしたのかなと思って……」

「え?」


 ロランの言葉から、慌てた様子でロランの顔と研究室を頻りに見やると、ナタリーは顔を赤くした。


「すみません。私、ぼうっとしていて。ロランさんにお届け物がありまして……」


 バツが悪そうな笑みを溢すナタリーに、ロランは変わらず人の好い笑みを浮かべる。


「ああ、舎密博士の論文の件で来たんでしょう? 中へどうぞ。お茶くらい出すよ」


 そう言って、ロランは自分の研究室に研究員証を読み取らせたのち、スマートにナタリーを招き入れる。ナタリーは一瞬迷うが、異形体(バリアント)研究の権威であるロランの研究室を見てみたいという研究者魂には嘘をつけなかった。


「失礼します」


 小さな身体を縮こませながら、恐る恐る研究室に足を踏み入れたナタリーは、清潔感のある整然とした空間に、感嘆の声を漏らす。本棚にはロランが書いた異形体専門書だけでなく、様々な動物種の専門書も並べられており、棚には異形体の頭蓋骨標本が数体並べられていた。


「……凄い」

「ふふ、そうかな?」

「あっ」


 声に出ていたと思わず口を覆ったナタリーは、好奇心から不躾に研究室をまじまじと見すぎてしまったと焦燥感を覚えた。感情を隠すことが下手なナタリーの所作に、ロランは思わず笑みを溢す。


「本物の標本は初めて?」

「あ、はい。資料ではよく見ていたんですが……本当に本物ですか? どうやって……」


 先ほどまで遠慮気味になっていたナタリーの目が、一瞬にして研究者の目になったのを見て、ロランは嬉しそうに頷いた。


「そう。現場で解剖した遺体の中で、興味深いものをいくつか研究資料として譲り受けたんだ」

「現場……」


 嬉々として語るロランの言葉になるほどと首肯しながら、ナタリーは戦争の被害者の遺骨だという事実に複雑な想いを抱く。


「見て、ここ。前頭骨や頭頂骨などは人のまま。でも鼻骨や上顎骨、下顎骨などの顔面頭蓋は食肉目ハイエナ科のもの。歯の形状を見てもハイエナのようだけど、歯式は人の物なんだ」

「本当だ……食肉目に見られる第四前臼歯が発達しているのかと思いましたが、これは……ヒトの第一大臼歯にあたりますね。第三大臼歯が生えている事から見て、この人は十七歳以上ではありますが、ここまで変形していると、人種も性別も正確なことはわかりませんね」


 ヒトともハイエナともいえる頭蓋の造りを、ナタリーはじっくり見回す。頭蓋骨の左側に銃撃による射入口を見て、標本になった異形体の死因を察したナタリーは、熱くなっていた頭を冷やした。


「すみません。思った以上に没頭しすぎていたみたいです」

「構わないよ。同じ研究の道を志しているものとしては、好感が持てたしね。まぁ、座って」


 そう言って、ロランはナタリーを手招き、来客用の椅子を勧めると、淹れていたお茶を差し出した。


「すみません。博士の論文を届けに来ただけなのに、研究室の見学にお茶まで頂いてしまって……」

「いいんだよ。僕も今の所一人で研究しているし。異形体研究が始まった当初よりは、研究者も増えはしたけど、こういう深い話をできる人も多くはないからね。ほら、みんな自分の研究に夢中だから。僕も含めてね」


 そう言って、ロランは苦笑いを浮かべる。


「あー、そろそろ本題に入ろうか。論文は?」

「ああ、こちらです」


 そう言って、ナタリーは舎密の研究論文を手渡すと、ロランは小さく溜息をつきながらも、少し中身を改める。


「あの。思ったんですけど。舎密博士って、いつも手書きで論文を書いて提出していますけど、文章データじゃなくて大丈夫ですか?」

「え? ああ。ひと手間はあるけど、機械にスキャンするだけだから問題はないよ。舎密博士はいつもそうだしね」

「変なところ古風な人なんですね……」


 科学の最先端を行く人であるはずの人が、論文自体はかなりのアナログ人間であるという不整合さに、ナタリーは舎密の偏屈さを感じていた。


「前も思っていたんですが、ロランさんは博士との付き合いは長いんですか?」

「舎密博士と? いやぁ、僕はまぁ、知り合って五年くらいではあるけど、言葉を交わしたり、あれこれ関わった回数で言うとそうでもないんだ。どちらかというと、あの人と長い付き合いで良く知っているのは、ラフーセ博士だよ」

「そうなんですね……」


 肩を落とすナタリーの様子に、ロランは小首を傾げる。


「舎密博士の事を聞きたかったのかい?」

「ええ、その。大したことではないんですけど。ふと思ったんです。どうして博士の研究室は地下にあるんだろうって」

「何か問題?」

「いえ、問題って事は全然無いのですが……」


 ううんと唸るナタリーに、ロランは言葉を継ぐ。


「僕が知る限りでは、博士と知り合った五年前以前から、現在の研究室にいたらしいよ。今は偶に施設の中庭に顔を出すようになったけれど、この論文に書かれている蝶を中庭に放つ以前は、ずっと地下の総合科研究室に籠りっきりだったらしいよ。それも、実験室の中で」


 ナタリーは総合科研究室内のレイアウトを思い浮かべ、現在舎密が寝ている研究室内の更に奥に設置された、実験室を思い出す。


「一年中何かの研究をしていたって事ですか? ご飯も食べずに?」

「ほら、舎密博士の研究室には大量の完全食を搬入しているでしょ? ご飯はいつもそれとサプリだけらしいし。ラフーセ博士の話では、実験室の中にシャワールームやトイレが供えてあるから、実験室の中で事足りるって言っていたけれど」


 そう言って、茶を一口飲み下したロランは、言いにくそうに続ける。


「こんな感じで先輩面して色々教えているけど、舎密博士の事に関しては殆ど知らないんだ。面識があるってだけでも、稀有な方ではあるんだけどね。むしろ僕は、君のもう一人の上司の事の方が知っているくらいだし」

「マクレイア大佐のことですか?」

「うん。そうだよ。特別仲が良かったわけではないけれど、仲間として認められてからは、いい関係を築けていたと思うんだ。まぁ、彼が本当はどう思っているかは知らないけどね……」


 そう言って笑んだロランの表情は、少し憂いを孕んでいた。


「ロランさんは、censerに戻りたくなかったんですか?」


 ナタリーの率直な問いに、一瞬固まったロランは、困ったように笑った。


「どういえばいいのか。戻りたかったけど、戻りたくなかったって言うのが正しいのかな。僕がcenserに席を戻すという事は、戦争の終わりか、部隊崩壊を意味していたからね。実は結構あの環境が気に入っていたからね。戦争は終わって欲しいと切実に思っていたけれど、同時に少年兵部隊から科学顧問として離れたくない想いが強かったんだ」


 自身が少年兵部隊に必要とされるには、異形体戦争が終わらない状態でないといけない。だがそれは本意ではない。何とも言えないジレンマを抱えていたことを吐露しながら、ふとロランは研究室を見回した。


「研究も認められて、自分の研究室も持てる博士になったけど。その為に唐突に別れも告げられず異動になってしまったから。大佐には少し後ろめたさもある。正直言うと、今の君が羨ましい。でも、そう思うのはきっとお門違いなんだとも思う。僕は、もう修士じゃなくて博士だからさ」


 そう言って、ロランはいつものように人の好い笑みを浮かべる。


「ナタリーちゃんも、今はどっちにも顔を出したりして大変かもしれないけど。必ず為になるはずだから、頑張ってね」

「はいっ!」


 そう言って元気よく頷いたナタリーは、ふと視界に入った小包に目を奪われた。


「あれ、ロランさん。部屋の角に小包が置かれていますけど、開けなくて大丈夫ですか?」

「え?」


 ナタリーの示す方へ目を向けたロランは、覚えのない小包に首を傾げた。


「あれ? あんなところに何か置いたっけ?」


 そう言って、ロランは宛先の札を見ると、自分宛ての物だと確認してから封を切る。小包の中には無数の緩衝材と、更に小さな箱が入っていた。箱には大きく乱雑な文字が書かれており、読み取りにくい。


「これ、でも、くら、え?」


 読み終えると同時に、小さな箱から伸びた配線が、緩衝材に埋もれたカウントダウン表示と繋がっているのを見つけたロランは、咄嗟に包みを放り投げて叫んでいた。


「逃げろ!」

「え?」


 呆けるナタリーを掴んだロランの後ろで、鳴り響く軽快な機械音。瞬間、小包は勢いよく爆ぜた。


どうも、朝日龍弥です。

実はロランという人物は、SLUMDOGを書く前からできていた人物であります。当時はラフーセ博士の助手というだけで作った人物ですが、少年兵部隊と共に過ごしたことによって、かなり厚みのでた人物でもあります。そんな彼に起った事件。次回もお楽しみにです!


次回更新は、5/20(水)となります。

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