少女が抱えるもの
短い会議というより、デニス・ランドルフ博士への脅迫を終えたブラッドフォード元帥は、炎髪の近衛兵と共に会議室から出た。
三階から一階へ降り、正面玄関へと向かうと、その先の庭でしゃがみこんでいる白衣を着た少年が目にとまる。
「舎密、何をしている? お前も会議に同席しろと言ってあったはずだが?」
「んー?」
舎密は振り向き、上を見上げて誰か確認すると、すぐに自分の手元に目線を戻す。
「あー、久しぶり元帥。ちょっと大事なことがあって忙しくてね」
「研究に関わる会議より大事な事とはなんだ」
元帥は表情を変えず、その鋭い眼光で舎密を見下ろす。
視線を感じつつも舎密は気にせず手を動かす。
「んー? そりゃあ研究だよ? 研究せずに会議に出るなんて時間の無駄でしょ? それに研究にはサンプルが必要だしな」
舎密が適当に土を袋に詰めて行く様子を、元帥は訝しげに見ていた。
「こんな土の中にもいろんな菌がいるんだぜ? ほら! イベルメクチンだってこうやって作られていったんだし、俺の研究には欠かせないんだよ」
楽しそうに土を採取する舎密を見て、元帥は目を細める。
「まぁいい。土いじり以外に、お前のやることはわかっているんだろうな?」
「もちろんわかってるさ? でもさ、ほら。今暇でしょ? ランドルフ博士はまだやる気あるしさ。あの人からはまだ学ぶことがあるかもしれないし。俺はそっちの許可待ちだしさ。暇をもらってる間は違うことに興味を向けておくことにするよ。……お?」
舎密は目の前に一頭の蝶が花にとまっているのを見つけ、素早く掴み、目を輝かせた。
「おー! 見たことない蝶だな! もしかしてこれもランドルフ博士の研究のやつかな? 彼が作ったモノは頑丈で壊れにくいっていうけど、どうなのかな? ほら! 見てよ!」
舎密は興奮気味に元帥に向き直ると、蝶の足の一本を人差し指と親指で掴み、そのまま引きちぎった。
「ランドルフ博士が作った蝶は、どれだけの損壊を与えたら死ぬと思う?」
舎密は口角を引き上げながら、足が一本ない蝶を元帥に差し出す。
「さあな。虫ケラがどうなろうとどうでもいいことだ。潰れれば終わりだ」
その回答を聞き、舎密は先ほどとは打って変わり、ひどくつまらなそうに元帥を見上げた。
「ふうん? やっぱりあんたならそういうと思ったよ。根っからの軍人ぽい人とは相性が悪いんだよね」
舎密は小さな透明の箱を取り出して、そこに蝶を入れて満足そうな顔をしていた。
「俺はお楽しみは取って置くタイプなんで、まだ我慢できるさ。じゃ、俺急いでるんで」
そう言って研究所の中へ消えて行く無邪気な背中を見送る。
元帥はそのまま待たせていた迎えの車へと乗り込んでいく。動き出した窓の外の景色を眺め、少し分厚い雲で陰った研究所を見て、元帥は何かを感じ、フッと笑った。
「……全く、末恐ろしい餓鬼だ。事は思ったよりも順調に運んでいるな。そうは思わないか?」
隣に座る炎髪と褐色の肌を持つ近衛兵は、沈黙で返した。
* * *
太陽の光が遮られ、レイチェルは寂しげに、微笑みかける。
「旅?」
「そうよ。勿論ヴォルフスブルク達も一緒。世界中を旅して、いろんな人と話して、いろんな場所に行って、いろんな物事に触れたいの」
レイチェルの何処と無く悲しげな笑顔に、ショウは何故だか胸が苦しくなる。
「今は戦争中だし、レイチェルも一応捕虜……と言うべきか……。まぁ、言いたくはないが、今はS派優勢で俺たちは虫の息だからな。戦争が終わるのはそう遠くない未来だし、レイチェルもまだ十歳だ。この戦争が終われば、外には出れると思う。だから――」
その夢はいつか必ず叶うはずだ、そう言おうとしたが何処と無く悲しげなレイチェルの表情を見て、ショウは思わず口を閉ざした。
「……軍人さん。あのね」
レイチェルは曇りがかった空を仰ぎ、少し震えた声で言葉を紡ぐ。
「私ね。いつ死んじゃうかわからないの」
ショウは少女の言葉に動揺を隠せないでいた。
「何言ってんだこいつって感じでしょ?」
「いや……」
「私ね。痛覚と温度感覚が無いの。今は味覚もないわ」
「それって?」
「私もよくわからないんだけどね。神経に問題があるんだって。今は感覚神経? って言うのに関わるところが突然止まっちゃうんだって、お父さんが言ってたの。でも次は運動神経って言うのに関わってる所が止まっちゃうかもしれないから、明日か、明後日、もしかしたら今日突然心臓とか、脳って言う所が止まっちゃうかもしれないんだって」
「それは……突然死んでしまうかもしれないと言うことか?」
自分の発言に配慮がなかったことにショウは後悔したが、レイチェルはショウの質問に嫌な顔せず答える。
「そうね。だからこの戦争が終わるまでに、私の体は止まっちゃうかもしれないの。明日には目が見えなくなるかも。明日には足が動かなくなるかも。もしかしたら、こうしてる間に耳が聞こえなくなるかもしれない」
ショウはレイチェルの顔をだんだん見れなくなっていく。
不条理な死を自分ではどうすることもできず、ただ受け入れなければならない少女に掛けられる言葉を、今のショウは持ち合わせていない。この少女も自分とは違う死の恐怖に、今までずっと晒されてきたのだと思うと、声も出せないほどに、ただただ胸が苦しかった。
「でもね、軍人さん!」
「……?」
「私が死んでしまうその日まで悲観して生きるなんて、そんなのもったいないと思わない?」
分厚い雲の間から陽の光が差し込み始め、レイチェルは再び無垢な笑みを浮かべる。
「せっかく生きているんだもの! 私は当たり前に来る毎日を、一生懸命生きたいと思うの!」
優しい風がレイチェルの髪を撫でる。陽の光は彼女の明るい心を照らすように優しく包み込んでいた。
その光景はショウの目にはとても眩しく映った。
――強い人だ……
「こんな暗い話をするつもりはなかったんだけど……不思議ね。誰にも自分のこと言わなかったけど、軍人さんには話しちゃうな」
「俺はそんなに聞き上手ではないんだけどな」
ショウの言葉に、レイチェルは首を横に振る。
「そんなことないわ。それに歳が近いからかもしれないし。私とお話ししてくれる人なんて居なかったからなのかもしれないけど、軍人さんは、なんか話しやすい気がする!」
「なんだよそれ」
小さく笑いあう二人は、その後も他愛のない会話をする。
この場所はレイチェルの秘密の花園であるとか、花の名前や花言葉。レイチェルが読んだ本の話。
白い花と二匹の獣に囲まれながら、二人は語り合っていた。
「あはは! 軍人さんのお仲間は面白い人が多いわね! ところで軍人さん。あなた一人でここに来たわけじゃないんでしょ?」
「え? あ、ああ。そうだけど?」
「あなたのお仲間に会わせてくれないかしら?」
「まぁ、それくらいなら……。というより、レイチェルが行く場所に付いて行くのが俺の任務だからな。好きにしたらいい」
二人きりで喋る時間の終わりを感じ、ショウは少し残念に思ったが、レイチェルの願いを聞き入れる。
「優しいのね! ヴォルフスブルク! リチャード! 行くわよ! 私を背中に乗せてくれる?」
二頭は伏せの状態のまま伸びをした後に、レイチェルの方へ寄ってくると、ヴォルフスブルクがレイチェルのすぐ隣で低姿勢になる。
「よいしょっと!」
レイチェルはヴォルフスブルクに跨った。
「どう? 凄いでしょ? お父さんはG‐ウルフって呼んでるけど、この子達は背骨が丈夫でこうやって乗れたりするのよ!」
「確かに凄いな」
ショウはレイチェルが振り落とされないか心配になりながらも、慣れた様子で移動し始める。
「さあ、軍人さん! あなたのお仲間に会いに行きましょう! 道なら大丈夫、この子達がこの林の外まで導いてくれるわ!」
「それはありがたいな」
リチャードがショウのそばに寄ってくる。その間隔はまだ警戒心が強いためか、やや広く開いている。
二人と二頭はショウの歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。
「今ここにいるお仲間は何人なの? 歳は軍人さんと同じくらいかしら?」
「二人だ。一人は俺と、もう一人はレイチェルと同い年だったかな」
「そう! 会うのが楽しみだわ!」
暫く緩やかな勾配の薄暗い林の中を抜けると、ショウがレイチェルに合う前にいた中庭にでた。
レイチェルに会うまで二時間以上研究所の周りを歩き通したショウには、少し疲れの色が見て取れた。
「軍人さん? 疲れちゃった?」
「いや、大丈夫だ。病み上がりで、ここの所動いてなかったせいかな? ちょっと口うるさい奴がいたから――」
「その口うるさい奴ってコナーのことだろ!」
突然ソルクスの声がして後ろを振り返ると、少し離れたところにある一階の渡り廊下の手すりに腰掛けていた。
「そんなにでかい声で喋ってなかったんだけどな? この地獄耳め」
「聞こえてんぞっと!」
ソルクスは座っていた場所から勢いよくジャンプし、そのままゆっくりとこちらに歩いてきた。
「よ! 何ナンパしてんだよ? ショウってちゃっかりしてるよな!」
「やめろ。そんなんじゃない。彼女がレイチェル・ランドルフだ」
「あー! ショウが探してたゴエイの子な!」
「レイチェル、こいつはソルクス・イグルス一等兵。俺と同い年だ」
レイチェルはヴォルフスブルクから降り、ソルクスに向き直る。
「初めまして! ソルクスさん! レイチェルと言います。あなたが軍人さんの話に出ていたソルさんね!」
「おー! よろしくな! ソルクスじゃなくてソルでいいよ! そっちのが呼びやしーだろ! ん? どうした、ショウ? 難しい顔しやがって。俺の顔になんかついてんのか?」
ショウは眉間にしわを寄せ、少し不服そうな表情を浮かべながら、ソルクスの顔を見ていた。
「いや? 別に……。お前の顔にはいつも通りアホヅラしかついてない」
「え! うそ! マジでか! アホヅラってなんだ! どうやったら取れるんだ!!」
「いや、バカヅラだったかもしれん」
「え!? どこどこ? どのへん?」
ソルクスは自分の顔をベタベタと触って確認する。
「……もういい」
「よくねぇーよ!! お前はよくても俺はどうすんだよ! 一生取れなかったら!」
「いや、お前それ一生取れないやつだから……」
「ふふ、ぷ、くふ、ふふふ。あはははは! ふふふふ!」
今まで二人のやりとりを見ていたレイチェルは、込み上げてきた笑いを堪えきれずお腹を抱えて笑いだした。
「ソルさん! あなたはとっても面白い人ね!」
「え? あー……そだろ!? 面白いだろ?」
「ふふふ! あはは! ええ! 面白いわ!」
笑いあう二人を見て、ショウは悶々とした感情を抱く。
「ところでソル、お前こんなとこで何してんだよ? 警備の仕事は?」
「あー、あれね! なんか上の階の会議が終わったとかなんとかでケスラー曹長が呼ばれて行っちまって、他の奴のとこ行ったらケスラー曹長が戻ってくるまで休憩してればいいって言われて暇してたんだよなー」
「曹長さんも忙しいものね!」
ショウは嫌な予感がし、大きく溜息を吐く。
「体良く厄介払いされたのか……。何したんだよ?」
「なんもしてねぇーよ! まぁ、軽く組手で十人抜きしたけど、それくらいしか他の奴と関わってねぇーし……。なんか組手自体もやる気なさそうにしてたしさぁー」
それを聞き、レイチェルのソルクスを見る目が輝いた。
「凄い! ソルさんて強いのね!!」
「おう! 俺は強いからな!!」
「多少訓練を受けているといっても、側から見て俺たちは子供だ。そう思って手加減したんじゃないか? あくまでも最初は……」
――実践をくぐり抜けてる大人の軍人相手に勝ち抜きって……
ショウは少し苦笑いになりながら答える。
「甘いよなー。やるなら殺す気でやらねぇーと訓練にもならねぇーのにさ?」
「まぁそうなんだが……」
「俺なんてコナーにだって手加減したことねぇーもん」
「お前は手加減を少し覚えろよ」
「えー……。必要か? まぁいいけどよ。それよりさ、コナーが心配してたぞ? あまりにもお前が戻って来ねぇし、見かけないからってよ」
「そうか……」
少し過保護過ぎるコナーに、ショウは心配させて悪いような、もっと好きにさせて欲しいような、複雑な心境になる。
「しっかし、コナーもコナーだよな。俺とショウの扱い全然違うし! 最初は俺に憧れてるとか言ってたくせにさ!」
「それは日頃の行いの差だと思うぞ」
「どーいう意味だよそれ」
ショウのボヤキを、ソルクスは聞き逃すことはなかった。
そんな中、レイチェルは再び目を輝かせる。
「もう一人はコナーさんなのね! コナーさんにも会いたいわ!」
「あー、あいつなら広場で第七連隊の衛生兵団に混じって訓練してたぞー?」
「広場ね! あそこならいつもリドナー軍曹とお話しするからわかるわ! 行きましょ! 軍人さん!」
「あ! おい!」
レイチェルはショウの制止も聞かず、再びヴォルフスブルクに跨ると、リチャードとともに走り出してしまった。
「へへへー。軍人さんだってー」
「何だよ」
「べっつにー! なーんもねぇけど?」
ソルクスは何やらニヤニヤしてショウの顔を見つめる。
「……何なんだよ」
「いいのかー? 行っちまうぞー?」
「!」
ショウはお転婆な少女の後を追い、走り出した。
「じゃーなー! コナーによろしくなぁー……ってもう聞いてないかぁー。レイチェル、か……。似てんな……」
ソルクスはショウの背中を暖かくも、少し悲しげな目で見つめていた。
どうも、朝日龍弥です。
レイチェルがどこか達観しているような、子供らしくない発言がある彼女ですが、垣間見える子供らしさを書いていけたらと思っています。
ショウとは違う種の死の恐怖と戦う彼女は、とても前向きで強い子だなと、書いてて感じています。
彼女の事も温かく見守っていただけたらと思います。
次回更新は9/5となります。




