森の冒険(前編)
ダグたちは14歳。
立ち振る舞いは大人に近づき、冒険者ギルドへの登録も済ませて『駆け出し』の端くれとして扱われ始める年齢。だが、まだ大人とは言い切れない。背伸びをして強がってみせても、守られるべき子どもとしての余白を多分に残した絶妙な年頃であった。
そんなダグ、キース、コレットの三人が、外での依頼に向かおうとしていたのは、澄み渡る冬の朝のことだった。
しかし、出発直前の孤児院の空気は、いつもと少し違っていた。
「……うう、ん……」
「よしよし、大丈夫よ、トビー。今、冷たいタオルを取り替えてあげるからね」
一階の奥にある寝室で、マーサが幼いトビーの額に濡れタオルを優しく当てていた。昨夜から急に熱を出してしまい、うなされているのだ。
居間のテーブルには、揃いの革鎧や革袋を身につけたダグたちが、申し訳なさそうに佇んでいた。
「院長……トビーの様子、どう?」
コレットが心配そうに覗き込むと、マーサは静かに立ち上がり、疲れたような、けれど優しい笑みを浮かべた。
「ええ、命に別状はないけれど、今日一日は熱が引きそうにないわ。付きっきりで看病してあげないと……。ごめんなさいね、せっかくみんなで『深緑の森』へ薬草採集に行く約束だったのに」
「そんなの、謝らなくていいよ! トビーが一番大事だからね!」
ダグが慌てて手を振る。
今回受ける予定だったのは、ギルド経由の『深緑の森・浅層における薬草の採取依頼』。孤児院の冬の風邪薬や傷薬の原料、そしてそれを売却して備蓄資金にするための大切な仕事だった。
「依頼はギルドに言って、もう少し後に延期してもらうわ。トビーが治ってから、私と一緒に——」
「ううん、院長。僕たちだけで行ってくるよ」
キースが静かに、しかし力強い声で言った。ダグも大きく頷く。
「そうだよ! 薬草の時期は今週を逃すと枯れちゃうって言ってたろ? 僕たちもう14歳だし、浅層の薬草採取くらい、三人だけで十分こなせるよ!」
「ダグ、キース……」
マーサの眉が、心配そうに八の字に下がった。
彼らが昔馴染みの三人——ガルム、シルヴァ、オルランドから特訓を受け、劇的な進化を遂げたことは知っている。だが、マーサにとって彼らはどんなに成長しても大切な子どもたちだ。そして何より、自分という回復役が同行できないという致命的な欠点があった。
「ダメよ。万が一、魔物に出くわして怪我でもしたらどうするの? 私がいなければ、あなたたちの傷を治す人間がいないのよ?それに、薬草に保存の魔法もかけなくてはいけないし」
「大丈夫だよ! 浅層に出てくるのなんて、せいぜい小型の野犬くらいでしょ? 森まで半日だよ、保存の魔法がなくてもなんとかなる。それに……あたしたち、ガルムさんたちに教わったんだもん!」
コレットが胸を張る。マーサはしばらく子どもたちの真っ直ぐな瞳を見つめ返していたが、やがて小さく溜め息をついた。子どもたちの成長と自立の意思を、ただ危険だからと押し潰すわけにはいかないのだと理解したからだ。
「……分かったわ。ただし、条件があります」
マーサは奥の部屋へ戻ると、厳重に鍵がかかった木箱から、小さなガラスの薬瓶を三本取り出してきた。透明な液体の中で、淡い緑色の光が揺らめいている。
「これは……治癒のポーション?」
キースが目を丸くした。一瓶で金貨数枚はくだらない、神官であるマーサが大切に蓄えていた貴重な薬品だ。
「ええ。魔法ほどの即効性や重傷の治癒は無理だけれど、擦り傷や浅い切り傷、打撲ならこれで十分に治せます。一人一瓶、絶対に肌身離さず持っていきなさい」
マーサは三人の手へ、愛おしそうに、そして固く薬瓶を握らせた。
「そして、約束しなさい。絶対に『深緑の森』の深部には近づかないこと。浅層の指定された場所だけで薬草を採ること。そして……このポーションを使わなければならないような怪我を誰か一人でも負ったら、あるいは危険を感じたら、薬草が残っていてもすぐに引き返すこと。良いわね?」
「「「はいっ!!」」」
三人は顔を見合わせ、力強く返事をした。
「よし! 行こうぜ、みんな! 冒険者としての初仕事だ!」
ダグの威勢の良い声を合図に、三人は秋の爽やかな風が吹き抜けるレムリアの街へと駆け出していった。それを見送るマーサは、胸の前で手を組みながら、どうか無事でと祈るのだった。
レムリアの街から歩いて二時間ほど。
目の前に広がる『深緑の森』は、樹齢数百年を超える大木が鬱蒼と茂り、昼間でも木漏れ日がちらつくだけの幻想的で少し不気味な場所だった。
「へへー、すごいな! 本当に冒険者っぽいぞ!」
ダグが丸盾を叩きながら、上機嫌で先頭を歩く。
森に足を踏み入れ、1時間も歩いただろうか。目的の薬草である『青銀草』が群生しているのが見えた。冬の感染症に効く貴重な薬草だ。
「よし、手分けして摘もう! 根っこを残して切り取らないと、来年映えなくなるから気をつけてね」
コレットが手際よくナイフを取り出し、草むらにしゃがみ込む。ダグも手伝い始め、順調に革袋の中が鮮やかな青銀色の薬草で満たされていった。
しかし——。
「……おかしいな」
少し離れた場所で、シルヴァから貰った小刀を手に周囲を警戒していたキースが、ぽつりと呟いた。
「どうしたの、キース?」
コレットが顔を上げる。キースは鼻をひくつかせ、周囲の木々の梢を見上げていた。
「音が……なさすぎる。さっきまで鳴いていた小鳥の声も、小動物が落ち葉を踏む音も、急に途絶えた」
「え? 風がやんだからじゃないの?」
「違う。シルヴァさんが言ってたんだ。『森の動物たちが一斉に気配を消す時は、その領域に圧倒的な肉食獣か、凶暴な魔物が侵入してきた証拠だ』って」
キースの言葉に、ダグとコレットの表情が引き締まる。
まだまだ未熟とはいえ、彼らの感性はすでに一人前の駆け出し冒険者の領域に足を踏み入れていた。
「キース、足跡や匂いは?」
ダグが盾を構え直し、静かな声で尋ねる。キースは地面に膝をつき、湿った土と落ち葉の表面を注意深く観察した。
「……あった。これは……大きな犬? いや、爪の痕が深すぎる。浅層の動物じゃない。もっと深い場所から……何か強い魔物がきているんだ。足跡は複数。群れだ」
キースの鋭い目つきに、コレットは生唾を飲み込んだ。
(深部の魔物……!? 浅層には出てこないはずなのに……)
マーサと交わした約束が、頭をよぎる。
『危険を感じたら、すぐに引き返すこと』
「みんな、薬草はもう半分以上採れた。一度街に戻って、ギルドに報せ——」
キースが撤退を提案しようとした、その時だった。
風に乗って、森の奥——浅層と中層の境界付近から、微かな声が届いた。
「——やだっ! 来ないで! たすけてぇっ!!」
幼い少女の、悲痛な悲鳴だった。
(中編に続く)




