修行(後編)
翌日。レムリア魔法使いギルドの最深部、足の踏み場もないほど羊皮紙や魔導書が積み上げられた薄暗い地下保管庫。
「……ひっ、カビ臭い……」
コレットが鼻をつまみながら足を踏み入れようとすると、積み上がった本の大山の陰から、ボサボサの白髪に大きな眼鏡をかけた小柄な老人がひょっこりと顔を出した。古代魔法の使い手、老魔導士オルランドである。
「む? マーサのところの娘っ子か。……まったく、あのハーフエルフめ、ワシの貴重な研究時間を邪魔しおって。『マーサ謹製・焼き菓子3日分』などという悪魔の誘惑をしてきおってからに……」
オルランドはぶつぶつと愚痴をこぼしながら、デスクの上の魔導書を横に押しやった。
「で? 前回の戦いで『光の矢』を使ったそうじゃな。だが、一発撃っただけで魔力を使い果たしてへばり、相手が複数いた時に狙いをつけきれなかった……と」
「う……うん。古代魔法って威力を出そうとするとすごく魔力を喰うし、何匹も同時に襲ってくると狙いが追いつかなくなると思うんです。……。あたし、もっと効率よく魔法を使って、同時に何体も狙えるようになりたいんです!」
コレットが必死に訴えると、オルランドは眼鏡の奥の目を細め、鼻で笑った。
「ハッ! 愚か者め。古代魔法の消費が激しいのは、お主が無駄な魔力を漏らしながら力任せに編み込んでいるからじゃ。そして魔法抵抗に阻まれる、と。」
オルランドは細い杖を取り出すと、ひょいと持ち上げた。コレットはマーサの本棚から魔法を学んだと言う。その本棚には自分が書いた本も置いてある。つまり、実質的に自分の教え子のようなものだ。老魔導士の心底に「よいところを見せてやりたい」という意地が芽生える。
「よいか。魔法とは『術者の魔力によって、この世界の理を強制的に改変する力』じゃ。そして意志ある者は『己の現実』を強く保持し、改変を突っぱねる。それが魔法抵抗じゃ。これに対抗するには、二つの術理が必要となる」
オルランドが軽く杖を振ると、彼の頭上に五本の光の矢が瞬時に生成された。
「一つは『複数照準』。そしてもう一つが、『同点集中』じゃ!」
オルランドが指先を鳴らすと、生成された光の矢が波打つような軌道を描き、部屋の奥に置かれた練習用の巨大な鉄製の標的へ向かって一直線に殺到——ほぼ同時に同じ一点へと叩き込まれた!
ドゴォォォンッ!!!!
単発なら弾くことができるであろう分厚い鉄板が、集中的な連撃による重複に耐えかね、木っ端みじんに破砕した。
「すごい……! 何本も同時に一箇所に当てて、無理やり威力を跳ね上げたの……!?」
コレットの目が輝いた。
「フ、フン……! どうじゃ、これぞ古代魔法の真骨頂……ハァ、ハァ……」
オルランドは素早く胸を張りドヤ顔を決めたが、その額にはうっすらと汗が浮かび、肩がわずかに上下していた。オルランド自身も決して最高位の術者というわけではなく、歳も歳だ。今の一撃は、教え子に威厳を示すために少々無理をして魔力を練り上げたものだった。
(……チッ、格好をつけて少し魔力を込めすぎたわい。腰にくる……)
オルランドは軽く咳払いをして誤魔化すと、真面目な顔を取り戻した。
「……ゴホン! 概念は理解したな? 無駄な魔力漏れを抑え、効率よく発動するのじゃ。お前の今の魔力量と集中力なら、同時照準は三つが限界じゃろう。それ以上は魔力が枯渇してへばるぞ」
「三つ……うん! 三つ同時に狙えれば、連携ももっと広がる!」
「今日中に三目標への同時照準と『同点集中』のコツを掴ませる。死ぬ気でついてまいれ!」
「はいっ! お願いします、お師匠様!!」
同じ頃。赤獅子亭の裏庭と盗賊ギルドの地下訓練場では、二日目となるダグとキースの苛烈な訓練が続いていた。
「甘い! 傾け方が足りん! 相手の力を殺すな、斜面に乗せて『流せ』と言ったろ!」
ガルムの丸太のような木剣が容赦なく襲いかかる。ガルムは無敵の勇者などではない。若い頃、圧倒的な魔物や格上の相手に何度も死にかけ、しかし、生き残ってきたのだ。
ガキンッ……フッ!
直撃の瞬間にダグが盾の面を僅かに滑らせ、ガルムの木剣の威力を横へと受け流す。ガルムの巨体がわずかに前傾した。
「……ほう。少しはサマになってきたじゃねえか」
ガルムがニヤリと汗をぐっと拭う。
一方、キースもまた、シルヴァの容赦ない追撃の中で『視線の偽装』を体で覚えていた。
「右を見るな。足元を意識させるな。気配を消すのと同時に『嘘の気配』を置け」
キースは敢えて右足に強く体重をかけ、右からの急襲を匂わせる。シルヴァの意識が僅かに右へ傾いた瞬間——キースは視線を正反対の左上へ飛ばしながら、影のように右の死角へと滑り込んだ。
サッ!
キースの木刀が、シルヴァの脇腹の布地をかすめる。
「……ハッ。上出来だ、キース」
二日間の地獄のような練修を経て、三人の少年少女の技術は劇的な進化を遂げようとしていた。
そして、三日目の朝。
レムリア郊外の、見通しの良い荒地が実戦テストの舞台だった。
「さて……。手加減なんぞ微塵もしねえぞ?」
木剣を担いだガルムと、木製ダガーを構えたシルヴァが立ちはだかる。
「コレット、後ろは任せたぞ!」
「僕たちが時間を作る……! 魔法の準備を!」
「うん……っ! 任せて!」
「——始めっ!!」
マーサの合図とともに、ガルムが突進して上段から振り下ろす!
「くっ……受け流す……っ!」
ダグは丸盾を三〇度傾け、円を描くように払ってガルムの巨体を横へ流した! そこへキースが『目線の偽装』でガルムの死角へと滑り込む!
「目線で嘘を吐く……影走り!」
しかし、横合いからシルヴァが割り込み、キースの木刀を弾き飛ばす。体勢を立て直したガルムとシルヴァが、二人まとめて押し潰そうと強固な前衛ラインを組んだ。
「二人まとめて止めてやる! ガキどもの連携もここまで——」
だが——後ろで短く効率的な手順で魔力を練り上げていたコレットの瞳が、鋭く輝いた。
(限界は三つ……でも、集中させれば……!)
「——逃がさない! 三点複数照準……同点集中……貫け、光の矢!!」
シュバババンッ!!!!
コレットの頭上から放たれたのは三本の光の矢!
それらは拡散せず、オルランドに叩き込まれた術理通り、ガルムの胸元という「全く同じ一点」へ向かって収束するように殺到した!
「なにっ、三本が同じ場所へ……!?」
ガルムは強い「己の現実」を滾らせ、世界からの改変を受けつけない魔法抵抗の姿勢をとる。
一本目の矢がガルムの魔法抵抗にぶつかって減衰し、二本目がその壁を押し込み——そして三本目の矢が重なった瞬間、圧倒的な衝撃が抵抗の限界を打ち破った!
ドカバキィンッ!!
「ぬぐぁぁっ!?」
抵抗の上から力づくで衝撃を叩き込まれ、ガルムとシルヴァの強固な構えが大きく弾け飛んだ!
(やった……でも、魔力が……!)
コレットは息を切らしながらも、なんとか自分の足で立ち大声をあげた。
「今よ!ダグ! キース!!」
「「うおぉぉぉぉ——っ!!!」」
隙だらけになった老兵へ向けて、ダグとキースが渾身の木剣を突き出した!
夕暮れ時。
泥と汗にまみれて大の字に倒れ込むダグ、キース、コレットの三人の姿があった。
あの直後、体勢を崩しながらも「死線の数なら俺たちのほうが多いんだよ!」と意地を見せたガルムとシルヴァの泥臭い死力に押し込まれ、結局一本を取る直前で逆転全滅させられてしまったのだった。
「あー……最後、あと一歩だったのにー!」
コレットが悔しそうに地団駄を踏む。
「でも……コレットの魔法、めちゃくちゃすごかったよ!僕たちの連携も師匠たちを焦らせたよね?」
キースが息を荒らげながら笑う。
「ああ……! 次は絶対一本取ってやる!」
ダグが拳を強く握りしめた。
そんな三人を見下ろしながら、服の一部を焦がし、肩で息をするガルムとシルヴァ、そして見守っていたマーサが歩み寄ってきた。
「ハァ……ハァ……まあ、合格点だな」
ガルムがバツの悪そうに頭をかいた。
「まさかコレットの『光の矢』が俺の魔法抵抗を打ち破れるとは思わなかったぜ……。膝が笑いそうだ」
「僕も冷や汗かいたよ。手加減してたら本気で一本取られてたね。及第点ってとこかな。」
シルヴァも肩をすくめて苦笑いする。
三人は顔を見合わせ、疲れも吹き飛んだように飛び起きた。
「ありがとうございます!!」
マーサは優しく目を細め、子どもたちの頭を順番に撫でた。
「ふふ、よく頑張ったわね、みんな。さあ、孤児院へ帰りましょう。今日はみんなが大好きな、あつあつの特製シチューを作ってあげたわ。ガルムたちの分もあるからね」
「わーい! シチューだー!」
沈みゆく夕日の中、オレンジ色に染まる道を歩いていくマーサと子どもたち、そして「やれやれ」と腰をさすりながら後ろをついていく老兵二人。
かつて泥と血を舐めて生き残ってきた技術と意志は、形を変えて、確かに次の世代へと引き継がれていくのだった。




