修行(前編)
レムリアの街の賑やかな大通りから一歩外れた裏小路。そこに、重厚な木製の看板を掲げた冒険者の宿兼酒場『赤獅子亭』があった。
昼前の店内には酒と油の匂いが立ち込め、奥のテーブル席では、マーサと子どもたち、そして彼女の昔の冒険者仲間たちが集まっていた。
「——なるほどねぇ。あのゴブリンの洞窟と地下遺跡を、そのガキどもだけで潜り抜けてきたってわけかい」
カサカサと乾燥した落ち葉が擦れ合うような独特の低音で呟いたのは、腰に二本の短剣を下げた細身の男——元スカウト(盗賊)の『影脚のシルヴァ』だった。目元を深いフードで覆い、手持ち無沙汰そうにダガーを指先で弄んでいる。
「ふん、運が良かっただけだろ」
酒杯をあおぎ、豪快に口元を拭ったのは、熊のように巨大な男——元戦士のガルムだった。伸び放題の白髪混じりの髭に、左目を通る大きな傷痕。元冒険者が集うこの店の頑固親父である。
「運も実力のうちと言うけれど……あら?二人とも、浮かない顔をしているわね」
ハーフエルフのマーサが微笑みながら視線を向けると、テーブルの端に縮こまるように座っていたダグとキースは、悔しそうに顔を伏せた。
「……運良く勝てたけど、俺はゴブリンの毒槍を正面から受けきれずに掠り傷を負った。地下遺跡でも、蜘蛛の糸で完全に動きを止められたんだ」
ダグが自分の太い腕を見つめながら、声を絞り出す。
「僕も……気配を消して潜むのはできても、いざ正面から相手に認識されたら、決定打を欠いてダグの隙を待つことしかできなかった」
キースもまた、握りしめた拳を震わせた。
そんな少年二人の様子を、ガルムとシルヴァは冷ややかな、しかしどこか懐かしむような目で見つめていた。昔、自分たちも同じように自分の無力さに打ちのめされ、血と泥を舐めながら生きてきたからだ。
「ハッ! 当たり前だ、このダボが」
ガルムが重い拳でドンとテーブルを叩いた。
「おい、ガキ。お前の構えは『壁』だ。岩みたいに突っ立って、相手の威力を真面目に全部正面から抱え込んでやがる。相手が俺みたいな力自慢やデカい魔物だったらどうなる? 衝撃がそのまま腕の骨を突き抜けて、盾ごと吹き飛ばされて終わりだ。毒槍を喰らったのも、お前が真っ直ぐ受け止めようとしたからだろ」
「っ……!」
ダグが言葉を詰まらせる。ガルムの指摘は、まさに自分の左腕に残る痺れそのものだった。
「ボウズ、お前もだ」
シルヴァが弄んでいたダガーをピタリと止め、灰色の瞳でキースを射抜いた。
「気配を殺すのは基本中の基本。だがお前は、攻め込む瞬間にこれから攻撃する場所へ視線を向けているんじゃないのか?若い連中によくあるこった。相手に『これから右から斬りかかります』って教えてあげてるようなもんだ。素早さに頼るだけで、視線と間の支配ができてねぇ」
プロの鋭い眼光で己の致命的な弱点をズバリと突かれ、ダグとキースは息を呑んだ。自分たちがどれほど危うい綱渡りをしていたのか、突きつけられた瞬間だった。
ダグは意を決して立ち上がり、ガルムの前に深々と頭を下げた。
「おじさん……俺に、正しい盾の受け方を教えてください! 俺、後ろの仲間を護れる本当の壁になりたいんだ!」
キースもまた、シルヴァに向かってまっすぐな瞳を向けた。
「僕にも……敵に読まれない立ち回りを教えてください! 正面からでも急所を狙える技術が欲しいんです!」
少年二人の必死の懇願に、ガルムとシルヴァは顔を見合わせた。
「おいおいマーサ、ずいぶんな熱量じゃないか」
「チッ、ガキのお守りをするほど暇じゃねえんだがな……で、指導料はいくら出せるんだ? 孤児院の予算から弾いてくれるのか?」
足元を見込もうとするシルヴァの軽口に、マーサは「まさか」とばかりに可愛らしく首を傾げて微笑んだ。
「お金なんてあるわけないでしょう? うちがどれだけ貧乏か知ってるくせに。……でもね、二人をみっちり鍛えてくれたら、あんたたちが大好きな特製ハーブ漬け肉を使った豪華特製ランチをご馳走するわ。……それでなんとか、ね? 昔のよしみじゃない」
「……はあ!?」
ガルムが目を見開いた。「おいおいマーサ! 俺たちの貴重な時間をガキの指導に割いて、報酬がランチだと!?」
「ただのランチじゃないわよ? ガルムの大好きな、あのハーブを効かせた肉煮込みもたっぷりつける」
「……ぐっ」
ガルムの喉が鳴った。シルヴァも額を押さえて深々とため息をつく。
「……ハッ、相変わらず汚ぇ手を使いやがる。あの煮込みを出されたら、断れるわけねぇだろ……」
「やれやれ。旧友の頼みじゃなきゃ、一蹴してるところだぜ。……ったく、甘いおばさんだ」
呆れつつも、どこか嬉しそうに鼻を鳴らすガルムは、ドスンと重い音を立てて立ち上がった。
「いいだろう! 裏庭へ来い。お前の『受け』がどれほど甘いか、身体で理解させてやる!」
「へいへい、マーサの手料理に免じて付き合ってやるよ」
シルヴァもどことなく優しげに微笑むと、キースの肩を叩いた。「行くぞボウズ。足腰立たなくなるまで鍛えてやる」
「……っ、よろしくお願いします!!」
ダグとキースは深くお辞儀をし、それぞれの師のあとに続いた。
『赤獅子亭』の裏庭は、鍛錬用の木人や転がされた酒樽が散乱する広場だった。
「いいか。まずはお前のいつもの構えを見せてみろ。俺がこの木剣で叩く。正面から止めてみろ」
ガルムが手にしたのは、大人が両手で持つような極太の訓練用木剣だった。ダグはゴクリと唾を呑み込み、両足を大きく広げて腰を落とし、丸盾を体の正面に強く構えた。
「行きます……っ!」
「おう、来い!」
ガルムがふわりと足を踏み出し、木剣を上段から振り下ろした。一見すると、何の変哲もない大振りの一撃。
(止められる……っ! 正面から受け止めれば——)
ダグが盾に力を込めた瞬間——
ガアァァァンッ!!!!
「ぐあぁっ!?」
激しい金属音とともに、ダグの身体が宙を舞った。
落雷に打たれたかのような衝撃が盾を通じて全身を突き抜け、ダグは三メートルほど後ろの地上へ激しく転がり落ちた。
左腕の感覚が完全に消え、痺れと激痛が遅れて襲ってくる。丸盾は手から離れ、遥か後方へ転がっていた。
「……ハッ、さっき言った通りだろ」
ガルムは木剣を肩に担ぎ、見下すような視線を投げた。
「盾使いの仕事は『衝撃を全部食らうこと』じゃねえ! 『敵の威力を逸らし、無力化すること』だ!」
「逸らす……!?」
ガルムは自分の左腕に装着した重厚なタワーシールドを持ち上げて見せた。
「盾はな、壁じゃねえんだよ。敵の攻撃を滑らせる斜面だ。正面からぶつかるな。刃や拳が当たる直前、盾の面をほんのわずかに斜めに傾けろ。そして、相手の威力が一番乗る瞬間に、盾の縁で敵の攻撃の軌道を横へ押しやれ」
ガルムはゆっくりとその動作を再現してみせた。
木剣の振り下ろしに対し、盾を真っ直ぐ受けるのではなく、三〇度ほど傾けて外側へ円を描くように払う。すると、振り下ろされた威力はそのまま空を切り、攻撃した側の体勢が大きく崩れるのだ。
「これが『受け流し(パリィ)』だ。威力を殺すんじゃねえ、威力の行き先を変えてやるんだよ。これができれば、お前よりデカい相手の攻撃だって、指一本分のアクションで不発に終わらせられる」
ダグの目が、驚きで見開かれた。
衝撃を受け止めて耐えることしか頭になかったダグにとって、ガルムの教えは開眼の瞬間だった。
「……もう一回、お願いします!!」
ダグは転がった盾を拾い上げ、痺れる腕を振って再び構えた。
「ハッ! 威勢だけはいいじゃねえか。日が暮れるまで叩き込んでやる。気絶しても起こさねえからな!」
一方、キースはシルヴァに連れられて、レムリアの街の地下に広がる盗賊ギルドの訓練場へと足を運んでいた。
無数の木柱が乱立し、あちこちに障害物が設置された薄暗い地下空間。湿った匂いと冷気が立ち込めている。
キースは腰の短剣を抜き、腰を低く落として警戒態勢をとった。すでに『気配を消す』意識を集中させ、息を殺している。
「ほう……気配を殺すコツは掴んでるようだな。合格点だ。……だがな」
シルヴァがひょいと手を挙げた瞬間、彼の姿が揺らぎ——次の瞬間には、キースの視界から完全に消え去っていた。
「なっ……!?」
キースが驚愕して周囲を見回そうとした瞬間、背後から冷たい刃の感触が首筋に触れた。
「——ここだよ」
「っ!?」
キースは咄嗟に身を翻し、間合いを取ろうとバックステップを踏んだ。しかし、シルヴァはまるでキースの影に張り付いているかのように、寸分狂わぬ間合いで追随してくる。キースの短剣は、シルヴァの短剣の腹で軽々と弾き飛ばされた。
「言ったろ? 視線誘導と予備動作の消去……それができてねぇから、正面から対峙した時に相手に読まれるんだ」
「どうすれば……自分の攻撃を読まれずに、相手の隙を作れるんですか?」
シルヴァはニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、手に持ったコインを指先で弾いた。カランと音を立ててコインが空中で光を反射する。キースの視線が、無意識にそのコインを追った。
その一瞬——。
サッ!!
シルヴァの短剣の先端が、キースの眉間に突きつけられていた。
「——こうやるんだよ」
「……あ」
「人間も魔物も、動くものや光るもの、あるいは相手の目線に無意識に引っ張られる。お前が左肩を大きく動かせば、相手は左からの攻撃を警戒して右側のガードを固める。その瞬間に、視線を外したまま左足を踏み込み、右の死角へ滑り込むんだ」
シルヴァはキースの肩をポンと叩いた。
「気配を消すのは、忍び込む時だけじゃねぇ。戦闘の真っ最中、相手と目を合わせているその瞬間にも気配を偽装するんだよ。目線で嘘を吐け。体さばきで罠を張れ。相手が『喰いついた』と思った瞬間には、もう急所に刃が届いている……それが、俺たちスカウトの戦い方だ」
ただ素早く動くだけでは届かなかった領域。相手の思考と視線の支配。
「……シルヴァさん。もう一度、相手をしてください!」
「ハッ、いい顔になったじゃねぇか。とことん付き合ってやるよ!」
日が完全に落ち、レムリアの街に街灯が灯り始めた頃。
冒険者ギルドの裏手にある小さな空き地に、二人の少年の姿があった。
ダグは全身泥まみれで、左腕には無数の青あざができていた。服は破れ、息は絶え絶えだったが、その瞳には強い光が宿っていた。
「……よし、もう一回だ!」
ダグが丸盾を構える。向かい立つのは、同じく汗と泥に塗れたキースだった。
「行くよ、ダグ!」
キースが地を蹴る。素早い踏み込み。キースの視線は一直線にダグの右腰に向けられていた。右からの斬り払い——そう確信させるような肩の大きな予備動作。
(右じゃない……左だ!)
次の瞬間、キースは突如として視線を左上へ飛ばし、ダグの意識をそらした隙に、滑るようにダグの左側——盾の死角へと潜り込んだ!
「もらった——!」
キースの木刀が、ダグの左脇腹へ肉薄する。
しかし、ダグは焦らなかった。身体をひねりながら盾の面を斜めに傾け、キースの木刀が触れた瞬間、盾の縁で木刀を外側へと滑らせた。
ガキンッ!!
「なにっ……!? 受け流された……!?」
キースの鋭い踏み込みの威力がそのまま逸らされ、体勢を崩して前傾姿勢になる。そこへ、ダグの木剣がピタリと首元に突きつけられた。
「……ははっ、すげぇよダグ! 完全に見切られた!」
「へへ……っ、キースのフェイントもヤバかったぞ!」
ふたりは息を荒らげながら、大の字になって夜空を見上げ、弾けたように笑い合った。泥だらけのふたりの全身からは、たった一日で本物の「戦士の顔」へと脱皮し始めた手応えが溢れ出していた。
そんな二人を、木の陰からじっと見つめていた少女がいた。コレットだ。
「……ズルい」
コレットはぎゅっと杖を握りしめ、ぽつりと呟いた。
「ダグもキースも、すごく頼もしくなり始めてる……。二人とも凄腕のお師匠さんに教えてもらって、一気にかっこよくなって……ズルいよ! あたしだって、 あたしだって、強くなりたいもん!!」
コレットはバッと立ち上がると、繕い物をしているであろうマーサの居室へ駆け寄った。
「院長! あたしも特訓したい! 魔法使いのお師匠さんを紹介して!! 二人だけ強くなるなんて絶対イヤ!!」
必死に訴えるコレットの姿にマーサはくすりと笑みを漏らすと、コレットの頭を優しく撫でた。
「ふふ、そう言うと思って準備してあるわよ。……コレット、あんたにピッタリの師匠がいるわ」
「本当!? 誰誰!?」
「魔法使いギルドの地下保管庫に引きこもっている、古代魔法のスペシャリスト——『老魔導士オルランド』よ。気難しくて変人だけど、魔法の構造と術理に関しては彼の右に出る者はいないわ。オルランドの魔法には何度助けられたことか!」
マーサはコレットをつれ、稽古をしているダグとキースのところに歩いていった。
マーサは三人を見渡し、力強く言葉を続けた。
「いい? 明日はコレットも修行の日よ。オルランドのところでみっちり鍛えてもらいなさい。そしてダグとキース、あんたたちも明日もう一日、ガルムとシルヴァのもとで新しい型を体に完全に染み込ませてくるの」
「おうっ!!」
「わかりました!」
子どもたちが元気に返事をするのを聞いて、マーサは不敵な笑みを浮かべた。
「——そして三日目、つまり明後日、あんたたち三人でチームを組んで、ガルムたちが仕掛けてくる『実戦テスト』に挑んでもらうわ!」
「「「実戦テスト……!!」」」
「ええ。それぞれが仕入れてきた新しい技術が、本当の戦場で噛み合うかどうか……三人で力を合わせて試してみなさい!」
夜空に浮かぶ月のもと、三人の胸には明日からのさらなる練修と、実戦テストへ向けた燃えるような情熱が灯っていた。
(後編へ続く)




