魔法の力
「ちょっとコレット、浮足立ってるわよ。歩幅を揃えなさい」
レムリアの街を出て南西へ向かう古道。ハーフエルフのマーサは、革の胸当てのポジションを直しながら、前を行く赤髪の少女に声をかけた。
「だって院長! 今日の依頼は普通の薬草採取じゃないのよ? 古代遺跡に生える『発光キノコ』の採取! 報酬はなんと金貨二枚! ついに本格的な冒険者って感じじゃない!」
コレットは大事そうに抱えた木製杖を振り回しながら、満足そうに胸を張る。
「調子に乗るなよ、コレット」
後ろから歩いてくるキースが、手持ちの羊皮紙を広げながら冷静に言った。
「発光キノコが高値で取引されるのは、湿気が溜まる暗い地下環境にしか生えないからだ。つまり、相応に視界が悪く、棲みつく魔物も危険ってことだよ」
「なによー! ちゃんと分かってるわよ! あたしの魔法があれば、暗闇なんて明かりをパッと点けて終わりなんだから!」
「はぁ……。その魔法への過信と知識不足が心配なの」
マーサは小さく溜め息をつくと、歩調をゆるめて三人の子どもたちを見渡した。
「いい? これから向かうのは、何千年も前に栄えた旧王国の地下遺跡よ。太陽の光も風も届かない閉ざされた空間。そんな場所へ足を踏み入れる前に、あんたたちに『魔法の理屈』を叩き込んでおくわ。特にコレット、耳の穴をかっぽじって聞きなさい」
「えっ、あたし? 魔法の理論なら、院長の書庫の本で勉強したわよ?」
「知識として知っていることと、現場で死線に立った時に使えることは別物よ」
マーサは歩きながら、腰の聖印にそっと触れた。
「この世界に存在する魔法は、大きく分けて三つ。……まず一つ目が、あたしが使う『神聖魔法』。これは至高の神々への信仰と祈りによって奇跡を呼び寄せる力よ。神の御威光はあらゆる場所に満ちているから、環境に左右されずに発動できる。ただし、その性質は回復や保護、浄化といった『癒やしと援助』に偏っているわ」
「うん、それは知ってる。院長がダグの毒を治してくれたやつよね!」とダグが頷く。
「そう。そして二つ目が、コレットが普段使っている『精霊魔法』よ」
マーサは街道の脇に咲く野花に視線の高さを合わせた。かすかな風が吹き抜け、花弁が揺れる。
「精霊魔法はね、この世界に満ちる自然の意志――風、水、土、火、光、闇といった精霊に語りかけ、力を貸してもらう技術よ。精霊たちは自然そのものだから、借りられる力は強大で、消費する魔力も少なくて済む。……でもね、決定的な弱点があるの」
「弱点……?」コレットが首を傾げる。
「『その場に精霊がいなければ、精霊の力をかりることはできない』ということよ」
マーサは指を一本立て、地下へと続く山肌の割れ目を指さした。
「例えば、風の精霊は空気が循環し、風が通る場所に集まる。水の精霊は清らかな水辺にしかいない。これから入る地下遺跡のように、空気が完全に淀み、水も干上がった密室には……精霊なんて一匹もいないのよ」
コレットの表情が凍りつく。
「え……? じ、じゃあ、あたしの【微風】は……?」
「効かないわ。頼む相手がそこにいないんだから、いくら呪文を唱えても空振りするだけよ」
「そんな……! じゃああたし、地下に入ったら何もできないってこと!?」
「だから警戒しなさいと言っているのよ。今まで、風の精霊の働きが弱いところに行ったことが無いものね」
マーサは優しく微笑むと、コレットの頭をポンと叩いた。
「そこで必要になるのが、三つ目の体系――『古代魔法』よ」
「古代魔法……!」
「そう。古代魔法は精霊という第三者の力を借りない。かつて古代文明で使われていた特別な言語――『古代語』の響きによって、世界の法則そのものに干渉する魔法よ。物質の性質を変えたり、運動エネルギーを与えたり……言ってみれば『無から有を創り出す』技術ね」
「無から、有を……」
「そう。精霊がいない地下世界だろうが関係ない。自分の頭脳と魔力さえあれば、言葉一つで暗闇に明かりを点し、透明な魔力の矢を放ち、剣の切れ味を高めることができる。万能だけど……その分、高度なイメージ力と精密な古代言語の理解が必要で、魔力の消費も大きいわ」
マーサは真剣な瞳でコレットを見つめた。
「精霊魔法は『自然へのお願い』。古代魔法は『世界への絶対的な命令』。地下遺跡で生き残りたいなら、精霊に頼る甘えを捨てて、自分の言葉で世界を動かしなさい。分かったわね、コレット?」
コレットはゴクリと唾を呑み込み、大事そうに杖を抱き直した。
「……う、うん! あたし、古代語の呪文だってちゃんと暗記してるもん! 精霊がいなくたって、やってみせるわ!」
「ええ、期待しているわよ。……さあ、着いたわ。気を引き締めなさい」
地下遺跡の入口は、山裾の崖にぽっかりと開いた不気味な洞穴だった。
ひんやりとした冷気が肌を刺す。
内部は切り出された石ブロックで組み上げられた古代の通路だった。壁には苔が生い茂り、空気は重く淀んでいる。風の気配は微塵もない。
「うわ……本当に空気が淀んでる。カビ臭いというか、なんと言うか…」
ダグが身をすくめながら、盾を構えて先頭を歩く。
30分も歩いただろうか。キースがランタンの光を壁際に向けた。そこには、うっすらと青白く光るキノコが群生していた。
「あった。これが『発光キノコ』だ。……思ったより簡単に手に入りそうだけど」
「油断するんじゃないわよ、キース」
キース自身の声に重ねるように、マーサが短く注意を促した。
「こういう貴重な植物が手つかずで残っているということは、そこを巣にしている『主』がいるということよ」
その言葉を発した瞬間だった。
カチカチカチカチカチカチ……!!
無数の硬い脚が石床を叩く、気味の悪い音が暗闇の奥から響いてきた。
「頭上だ! 下がれ!!」
キースの叫びと同時に、天井の闇から巨大な影が舞い降りた。
体長二メートルを超える、どす黒い外殻に覆われた大蜘蛛――『グラトニー・スパイダー』。無数の複眼が、ランタンの光を浴びて赤くギラリと光る。
「うわぁぁっ!? デカい!!」
ダグが即座に前へ躍り出て、剣と盾を構える。
蜘蛛は威嚇するように前脚を振り上げると、その口から粘着質の高い白く太い糸を噴射した!
ベチャッ!!
「うぐっ……!? なんだこれ、重い……っ!?」
ダグの構えた丸盾に、大量の糸が絡みつく。糸は一瞬で石床と盾を固着させ、ダグの動きを完全に封じてしまった。
「ダグ! 今助けるわ! 風の精霊よ、糸を吹き飛ばして――【微風】!!」
コレットが焦って杖を突き出し、呪文を唱える。
しかし――何も起きない。
風の一筋すら吹かず、空気は重く静まり返ったままだ。
「え……!? な、なんで!? 【微風】! 【微風】!!」
何度叫んでも、魔法は発動しない。コレットの顔からスッと血の気が引いた。
「そんな……っ! 精霊が……応えてくれない……!?」
「焦るんじゃないのコレット!」
後方からマーサの力強い声が飛んだ。
「精霊がいない場所だと教えたでしょう! パニックになってる暇があったら、頭を切り替えなさい! 自分の魔力で、古代語を紡ぐのよ!!」
蜘蛛が動きを止められたダグへ向けて、毒牙を剥き出しにしながら突進してくる。
「くそっ、動けない……! キース、コレット!!」
「ダグ!!」
コレットは強く目を瞑り、両手で固く握りしめた杖を前方に突き出した。
脳裏に浮かべるのは、孤児院の書斎でマーサに何度も教え込まれた、あの難解な古代の言葉。
精霊にお願いするのではない。自分の魔力で、世界に直接「命じる」のだ!
「――『理の力を紡ぎ、鋭き矢となれ』!!」
コレットの口から飛び出したのは、日常の言葉とは異なる、重厚で硬質な響きを持つ古代語。
次の瞬間、コレットの杖の先から、青白い光を放つ三本の魔力弾が勢いよく射出された!
古代魔法――【魔法の矢】!
バババアンッ!!
魔力弾は空気の抵抗を無視して直線的に飛翔し、突進してきたグラトニー・スパイダーの複眼に正確に着弾した。
「ギギャアアアアッ!?」
目を潰された大蜘蛛が、苦悶の叫びを上げてのたうち回る。
「効いた……! 発動したわ!!」
「喜ぶのはまだ早いわ! 糸を切りなさい!」
マーサが間髪入れずに指示を飛ばす。
「コレット、ダグの剣に『鋭利さ』の概念を上書きしなさい! 【鋭利化】よ!」
「はいっ! ――『刃よ、万物を断つ理を得よ』!!」
コレットが再び古代語を唱えると、ダグが握る片手剣の刃先が、鋭い銀色の光を纏った。
「うおおおっ! 切れ味が……すごく軽くなった! てやぁぁぁっ!!」
ダグが光る剣を力任せに横に振ると、先ほどまで頑丈に絡みついていた蜘蛛の糸が、まるでボロ縄のようにあっけなく断ち切れた。
自由を取り戻したダグが、勢いよく前に出る。
ダグが盾で蜘蛛の残った脚を強く押し返し、体勢を完全に崩させる。
「キース、今よ!!」
「言われなくても!」
気配を消して蜘蛛の死角へ回り込んでいたキースが、低く跳躍した。
キースは大蜘蛛の構造を正確に記憶している。頭部と胸部の境界にある、わずかな甲殻の隙間――。
ズスッ!!
キースの短剣が、寸分の狂いもなく蜘蛛の急所に突き刺さった。
大蜘蛛は一度だけ大きく体を痙攣させると、そのまま石床に倒れ伏し、動かなくなった。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」
しんと静まり返った地下遺構。
コレットはその場にへたり込み、荒い息をついていた。
「勝った……? 勝ち、よね……?」
「ああ。完璧な魔法だったよ、コレット」
キースが短剣の汚れを拭いながら、感心したように頷いた。
「精霊が使えないと分かってからの切り替え、早かったね」
「ふふん……まあね! あたしだって、院長の指導をちゃんと身につけてるんだから!」
コレットは胸を張ってみせたものの、その手は疲労でかすかに震えていた。古代魔法は精霊魔法に比べて、魔力の消費が格段に重い。全身の力が抜けたような感覚だった。
歩み寄ってきたマーサが、コレットの頭に優しく手を置いた。
温かい神聖魔法の光が微かに注がれ、コレットの疲労がじわじわと和らいでいく。
「よく頑張ったわね、コレット。パニックを乗り越えて、正しい古代語を紡げたわ」
「院長……」
「精霊魔法は自然の恵み。だから日々の生活の中でその力を感じることができるわ。でも、頼れる自然がない場所では、自分の知性と魔力だけが頼りになるの。両方の意味と違いを理解して使い分けてこそ、本物の魔法使いよ」
マーサの言葉に、コレットは誇らしそうに笑みを浮かべた。
「うん! あたし、もっと古代語の勉強をする! どんな場所でも、みんなを守れる魔法使いになりたいから!」
「へぇ、珍しいな。コレットが自分から勉強するなんて」とキース。
「なによキース! あたしだって成長してるのよ!」
「はいはい、喧嘩は地上に出てからにしなさい」
マーサは微笑みながら、キースが丁寧に根元から削ぎ取った発光キノコを受け取った。
「キース、丁寧に採れてるわね。……でも、このキノコは地下の湿気と魔力が抜けると、地上へ持って帰る間に急速に乾燥して光が失われてしまうの」
「えっ……!? じ、じゃあ売り物にならなくなっちゃうの!?」とダグが焦る。
「慌てないの。こういう時のための神聖魔法よ」
マーサは胸元の銀の聖印に手を添え、摘み取った発光キノコの山にかざした。深く息を吸い込み、清らかな祈りを捧げる。
「慈悲深き神よ。この恵みに健やかなる安らぎを――【保存】」
マーサの手から柔らかで温かな光が舞い降り、キノコ全体を包み込んだ。
すると、外気に触れて微かに萎れかけていたキノコが瑞々しさを取り戻し、青白い光がパッと強く安定した輝きを放ち始めた。まるで採れたての瞬間で時間が止まったかのようだ。
「うわぁ……! すごい、光が強くなった!」
コレットが目を輝かせる。
「神聖魔法の『保護』の力よ。これで街へ持ち帰る間、採れたての鮮度と薬効を保つことができるわ。せっかく危険を冒して手に入れた貴重な資源だもの、価値を落とさずに持ち帰るのがプロの冒険者よ」
「すごいや、院長! 回復だけじゃなくて、商売の役にも立つんだね!」
「ふふ、冒険者の生活は工夫次第よ。さあ、上質な発光キノコがこんなに採れたわ。金貨二枚の報酬があれば、今月の子どもたちの新しい冬服も買えるし、あんたたちの防具も新調できるわね」
「やったー! 金貨二枚!!」
ダグが歓声を上げる。
「帰ったら、今日の復習テストをするからね」
「ええ~っ!? 院長、それとこれとは別でしょ~!?」
コレットの声が、風のない地下遺跡に賑やかに響き渡った。
ハーフエルフのおばさん神官と共に、子どもたちは今日もまた一歩、冒険者への階段を登っていくのだった。




