ゴブリンの洞窟
「大変だ……っ! 院長、大変なんだよ!!」
翌朝の孤児院。朝食の準備をしていたマーサのもとへ、幼い弟分の一人であるアレンが、泥だらけになって飛び込んできた。息を荒らげ、目には大きな涙をためている。
「落ち着きなさいアレン。どうしたの、その泥は?」
「テオが……テオが帰ってこないんだ! 昨日の夜、孤児院の裏山で『珍しいキノコを採って院長を助けるんだ』って出ていっちゃって……っ! 追っかけて探したら、山の奥の洞窟の前に、テオの靴が落ちてて……中からヘンな声が……!」
「……なんですって!?」
マーサの顔から一瞬で血の気が引いた。裏山の奥にある古い洞窟。そこはギルドでも「近々ゴブリンが巣を作り直している可能性がある」と注意喚起が出ていた危険地帯だ。
「おいおい、嘘だろ……!? あそこ、ゴブリンの巣穴だぞ!」
ダグが手にしていた木剣を落としそうになりながら叫んだ。その顔は恐怖と焦りで青ざめている。
「テオのやつ、余計なマネを……っ!」
コレットがぎゅっと拳を握りしめ、唇を噛みしめた。幼い弟がゴブリンの手に落ちたかもしれないという想像が頭をよぎり、胸が押し潰されそうになる。
「……取り乱すな」
一番落ち着いているように見えるキースだったが、その声はかすかに震えていた。「今すぐ助けに行かないと、手遅れになる」
「全員、防具を付けなさい! 直ちに出撃よ!」
マーサの声に後押しされ、三人はすぐさま装備を整えた。
裏山へ急ぐ道中、四人は走りながら作戦を練り始めた。
「キース、敵の規模はどのくらいだと思う!?」
走りながらダグが尋ねる。
「……僕の調べだと、あの洞窟の規模ならゴブリンは十匹前後。駆け出しの僕たちだけで正面から乗り込んだら、囲まれて全滅だ」
「だったら、洞窟の入口で生木を燃やして煙を流し込もうぜ!」
ダグが思いついたように声を上げた。
「煙でいぶせば、奴らはたまらず外に飛び出してくる! 出口の狭いところで俺が盾で止めれば、一匹ずつ叩けるはずだ!」
ダグのアイデアに一瞬コレットの顔が明るくなったが、隣を走るキースが即座に首を振った。
「ダメだ、ダグ。中にテオがいるんだぞ! 煙なんて流し込んだら、ゴブリンより先にテオが窒息してしまう!」
「あ……! そ、そうか……っ、人質がいるだ……!」
ダグは自分の不覚さに青ざめた。
「焦る気持ちは分かるわ、ダグ。でも、煙攻めの発想自体は悪くないわよ」
マーサが走るペースを乱さずに言葉を挟んだ。
「人質がいる以上、火や煙で一網打尽にはできない。でも……『音』ならどうかしら?」
「音……?」
「ええ。コレットの【微風】で洞窟の入口の小石や落ち葉を鳴らして、奥のゴブリンに『外で何か起きている』と思わせるの。煙で燻し出せないなら、音で釣って何回かに分けて誘い出すのよ」
キースがハッとしたように頷いた。
「それならいける! 敵を数匹ずつ外に誘い出せば、テオを巻き込まずに数を減らせる。数が減ったところで、僕が気配を消してテオを救出に忍び込む!」
「俺は外に出てきた奴らを絶対に一匹も中へ戻さない! 盾で出口を塞ぐ!」
ダグが力強く言った。
「あたしも【微風】で足止めするわ! 誘い出しの音も任せて!」
コレットも覚悟を決めた目で頷く。
「よし、みんなで作った作戦で行くわよ! 落ち着いて、絶対に無事でテオを連れ戻すわよ!」
「「「おう!!」」」
裏山の奥。そこに広がるのは、生い茂る不気味なシダ植物と土の匂いが立ち込める、日の差さない暗がりだった。
山肌をえぐるようにぽっかりと口を開けた岩穴――ゴブリンの洞窟だ。入口の周囲には、削り取られた獣の骨やハエのたかるゴミが散乱し、内部からは湿った空気とともに、生臭い魔物の体臭と排泄物の臭いが混ざり合った不快な悪臭が風に乗って漂ってくる。
コレットがゴクリと息を呑み、話し合った通り精霊魔法で起こした風で、入口の枯れ葉や小石をバタバタと動かして洞窟内に不気味な音を響かせた。
「ギギッ……?」「グララ?」
まんまと音につられたゴブリンたちが、二匹、三匹と様子を見に入口へ向かってきた。
「今よ! ダグ!」
「いこぞ!逃がすか!」
ダグが狭い通路に盾を固定し、押し出されてくるゴブリンの突撃を受け止める。
一匹、また一匹。狭い通路で足止めされたゴブリンたちは、ダグの頑丈なガードと、コレットの【微風】による足止め、そして隙を突くキースの短剣によって確実に処理されていった。
誘い出しを三回繰り返し、洞窟内のゴブリンは残りわずかになったようだ。
「よし、中の数が減った! キース、テオを頼むわ!」
「任せて!」
キースが身をかがめ、気配を消して洞窟の奥へと滑り込む。
奥の広場に乱雑に投げ出された藁くずの上で、粗末な麻縄で手足を固く縛られたテオを発見した。
「テオ!」
キースが駆け寄り、縄を切り解いた瞬間――
「ギギャアアアッ!!」
物陰に潜んでいたゴブリンが、どす黒い液体の塗られた錆びた槍を突き出してきた。
「しまっ――!?」
テオを後ろに庇おうとしたダグが盾を割り込ませる。だが、焦りから角度が浅く、リーダーの槍がダグの太ももをかすめた。
「ぐあぁっ!?」
ダグが膝をつく。それと同時に、傷口から黒い血が滲み出し、彼の顔色が急速に土気色へと変わっていった。
「毒だ……! 槍に腐死毒が塗ってある!」
勝ち誇った顔で槍を振り上げるゴブリン。ダグは動けない。
「ダグに触るな!!」
影から躍り出たのは、シーフのキースだった。
目にも留まらぬ素早さでゴブリンリーダーの背後に回り込むと、逆手に持った短剣を、相手の首筋へ深く突き立てた。
ガハッ……!
リーダーが崩れ落ちた。キースが周りを警戒する。どうやらゴブリンを全滅させることができたらしい。動く生き物の気配はない。
「ダグ! じっとしていなさい!」
戦闘能力のないマーサだが、ここからが彼女の本領発揮だった。
急いでダグのもとへ駆け寄ると、胸元の銀の聖印を強く握りしめた。
体力が低く、前線で武器を振るうことはできない彼女だが、長年研ぎ澄まされてきた精神力と知性は、神への祈り――「神聖魔法」において絶大な威力を発揮する。
「慈悲深き神よ。我が声に応え、この者を蝕む毒を浄化し、傷を癒やし給え――【解毒】! 【軽傷治療】!」
柔らかな温かい光がマーサの手から溢れ出し、ダグの太ももの傷口を包み込む。
黒ずんでいた血が綺麗な赤に戻り、傷口がみるみる塞がっていった。ダグの荒い息遣いが急速に落ち着いていく。
「……あ、あれ……? 痛みが、消えていく……」
「庇うのは立派だけど、自分の防御がおろそかになってどうするの! 毒が全身に回ったら死んでいたよ!」
「うぐっ……ごめんなさい、院長……」
マーサはふぅと大きな息を吐き、額の汗を拭うと、真剣な眼差しで三人を引き締めるように見つめた。
「とはいえ、立派だったわ、ダグ。」
マーサは息を整えると、洞窟の奥で小さくなっていた影へと駆け寄った。
そこには、手足を縛られていた縄目が赤く残り、鼻水と涙で顔をグシャグシャにしたテオが丸くなっていた。ゴブリンへの恐怖で、全身を小刻みに震わせている。
「テオ、怪我はない?」
「う、うん……! 院長ぉ……! ごめんなさい……ごめんなさい……!」
藁くずの中から手を伸ばしてきた幼いテオを、マーサはぎゅっと抱きしめた。そして、ダグ、コレット、キースの頭も順番に優しく撫でた。
「みんな、よく頑張ったわね。人質がいる難しい状況で、冷静に作戦を守ってくれた。……最高の冒険者よ。でもいい? よく聞きなさい。あたしの神聖魔法でできるのは、毒の解毒や傷の治療までよ。吹き飛ばされた手足を元通り再生させたり、強力な呪いを解呪したりすることまではできないの。くれぐれも『怪我しても治せばいい』なんて思うんじゃないよ!」
「……はい、肝に銘じます」
ダグとキース、コレットは重々しく頷いた。
その日の夕方。
ギルドの買取窓口には、十匹分のゴブリンの耳と、ゴブリンリーダーが持っていた上質の戦利品が並べられていた。
「十匹の群れを、人質の救出と怪我人の治療まで完了して全員生還……!? 駆け出しのパーティが洞窟の巣穴を一つ壊滅させたんですか!?」
ギルド職員の悲鳴のような歓声に、ベテラン冒険者たちが息をのむ。
「おいおい、あのハーフエルフの神官……ただのおばさんじゃねえな?」
「元冒険者のマーサだろ? 本人は戦わねえが、指揮と神聖魔法は本物だ。あいつの手のひらの上で動く子供たち、将来とんでもないパーティになるぞ……」
受け取った報酬は、金貨一貨と銀貨五枚。孤児院にとっては大金だ。
帰り道、マーサにおんぶされたテオがすやすやと眠っている。
「院長、魔力を使いすぎて疲れたでしょ? 荷物は僕たちが持つよ」
キースが優しくカバンを引き取ると、マーサはくすっと笑った。
「伊達に歳は食ってないわよ。でも……今夜の肉鍋は、ダグの分を少し減らそうかしらね? 油断した罰として」
「ええ〜っ!? 毒を我慢して耐えたのに〜!?」
夕焼け空の下、賑やかな笑い声が響き渡る。
危険を乗り越えるたびに、四人の絆と「孤児院」の未来は、少しずつ、けれど確実に強くなっていくのだった。




