墓場の不死者(後編)
ひんやりとした朝の空気が村長の家の小さな窓から静かに流れ込んでいた。
石造りの暖炉から伝わるかすかな残り火の温もりが心地よい居間で、マーサ一行は朝の静けさの中、テーブルを囲んで緊迫した面持ちで話し合っていた。
「昨夜、キースが見つけた納屋の人物……間違いなく、あの男がこの村でゾンビを操っている黒幕だわ」
マーサが腕を組み、低く落ち着いた声でそう告げる。
昨夜、夜の村を影のように探索したキースは、村のはずれにある古びた納屋の裏手で、不気味な呪術具や薬品の壺を片付けている男の姿を目撃していた。
「あいつの格好はしっかり覚えているよ。黒いローブをすっぽり被って顔は暗がりで見えにくかったけど、背格好や独特な薬品の匂いははっきりと覚えている」
キースが真剣な眼差しでそう言うと、村の事情に詳しい人間から情報を引き出すため、村長へと視線を向けた。
「村長さん、お尋ねしたい。その……村のはずれの古びた納屋を普段から使っている人間について、心当たりはありませんか? 」
キースが昨夜見かけた男の特徴を細かく描写していくと、話を聞いていた村長は、みるみるうちに顔を青ざめさせ、激しく頭を横に振った。
「そ、そんな……! まさか、そんな馬鹿なことが……!」
「村長、心当たりがあるのね? 一体誰なの?」
マーサが鋭い視線を向けると、村長は震える声でその名前を口にした。
「そ、それは……この村で薬師をしているルード殿に違いありません……!」
「薬師、だと?」
「はい…… ルード殿は、この村で唯一の薬師として、村人たちが病気をしたときの薬を調合してくれたり、怪我の手当てをしてくれたりする、なくてはならないお方です。それに……村で亡くなった方が出たときには、埋葬の手順や古いしきたりに詳しいということで、墓場の管理や儀式のお手伝いもずっと一手に引き受けてくれていました!」
その言葉を聞いた瞬間、ダグが思わず声を荒げた。
「なんだって!? じゃあ、村人たちの病気を治してる善良なはずの人間が、裏では死体を掘り起こしてゾンビにして遊んでやがったってのかよ! ふざけやがって……!」
「信じられない……。村の人たちがそんなに頼りにしている薬師さんが、どうしてそんなひどいことを……」
コレットが両手で胸元を押さえ、ショックを受けたように顔を曇らせる。
しかし、マーサは静かに目を細め、すべてのパズルのピースが噛み合ったことに気づいた。
「……なるほどね。すべて納得がいったわ。彼がこの小さな村で長年、誰にも疑われずにそんなことができた理由がね」
マーサの言葉に、キースもうなずく。
「ああ。薬師という立場なら、墓場に頻繁に出入りしても、夜遅くまで納屋で薬品を調合していても、村人たちは『薬の勉強や埋葬の準備をしているんだ』と勝手に思い込んで誰も怪しまない。完全な盲点だったんだ」
「なんて男だ……。人の命を救うはずの薬師が、死者を冒涜して操るなんて許せない!」
エドワードが怒りに拳を震わせながら立ち上がった。彼は十二歳という若さながら、神官の卵としての強い正義感を燃え上がらせていた。昨夜は恐怖で立ちすくんでいた自分に対する不甲斐なさも相まって、今度こそ逃げずにやり遂げたいという強い意志がその瞳に宿っている。
「よし、方針は決まったわ。ルードの納屋へ踏み込み、決定的な証拠を押さえる。ただし、相手もただの村人ではなく闇の術に手を染めた危険な術者よ。油断は絶対に禁物よ」
マーサの号令の下、一行は静かに、そして迅速に行動を開始した。
太陽が空高く昇り、村全体が明るい光に包まれる頃。
マーサ一行は、村長に同行を頼み、村のはずれにある古びた納屋へと静かに接近した。幸い、昼間の時間帯、ルードは村の中心にある自宅の方にいるらしく、納屋の周囲に人影はない。
「ここだな……。鍵はかかっていないみたいだ」
ダグが慎重に古びた木の扉に手をかけ、そっと押し開けた。
納屋の中には、無数の乾燥した薬草や薬瓶、そして動物の骨などが乱雑に転がっていた。一見するとただのうらぶれた薬師の作業場にしか見えない。
しかし、キースが壁際を注意深く調べると、床板の不自然な継ぎ目を発見した。
「ここだ……! 床の下に空間がある」
キースとダグが協力して重い木箱や棚を退かし、隠された床板を持ち上げると、地下へと続く薄暗い階段が姿を現した。
階段の底からは、鼻を突くような強烈な腐臭と、澱んだ負の魔力がフワリと立ち込めてきた。
「……間違いないわね。ここに色々な、見るに堪えないものがあるのでしょうね」
マーサの言葉に皆は同意し、罠を警戒したキースを先頭に薄暗い地下室へと足を踏み入れた。
地下室の光景は、子どもたちの想像を絶するおぞましいものだった。
部屋の中央には巨大な魔法陣が描かれ、その周囲には村の墓場から盗み出されたとみられる真新しい棺や、解剖された痕跡のある生々しい遺体がいくつも放置されている。さらに、壁一面の棚には、用途の分からない薬液が瓶に入れられズラリと並んでいた。
「ひっ……! なに…こんなのって……人間を、こんな風に……」
コレットが青ざめ、思わずマーサの背中にしがみついた。エドワードもあまりのグロテスクな光景に顔を真っ青にし、口元を押さえつけて嗚咽を漏らしそうになる。
「死者への冒涜もここまでくるとは……。薬師としての知識を悪用し、人間の死体を実験材料にして、自分の意のままに動かす快楽に溺れていたというわけか」
マーサの声音には、怒りを通り越した冷徹な呆れの色が混じっていた。
「こんなものを見ちまったら、言い逃れなんて絶対にできねぇな。……ん? おい、誰か来るぞ!」
一番後ろにいたダグが、上から聞こえる足音に気づき鋭い声を上げた。
「くそっ、どこだ……! なんで俺の実験室がバレやがった……!」
階段の上から、白衣に汚れた黒いローブを羽織った男——ルードが、青ざめた顔で慌てふためきながら降りてきたのだ。
ダグたちを見つけたルードは、
「お前たち……! 私の研究を邪魔する気か……!!」
侵入者がマーサたちであること、そして自分のおぞましい秘密が完全に暴かれたことを悟ると、形相を豹変させて絶叫した。彼の目は狂気に満ち、血走り、人間とは思えない冷酷な光を放っている。
「もういい! ここまで嗅ぎ回ったからには、生かして帰すわけにはいかない! お前らも、私の実験の新たな標本にしてくれるわ!わが神よ、ごらん下さい!!」
ルードが大声で神に祈ると、床の魔法陣に彼の魔力が注がれていった。
地下室全体が激しく揺れ動き、魔法陣からどす黒い闇の瘴気が一気に噴き出した。それは地下室だけに留まらず、地上の墓場や村のあちこちにまで波及した。
「いけない……っ!あの魔方陣からの瘴気で墓場全体を汚染し、すべてのゾンビを一斉に暴走させる気よ!しかもこの瘴気は……」
マーサが危険を察知して叫ぶ。
目の前の魔法陣から次々と溢れ出る凶悪な瘴気や呪詛の波は、まともに浴びれば子どもたちの精神を狂わせ、肉体を蝕んでしまうほどの猛毒と言えるものだった。
「みんな、私の近くから離れないで……!」
マーサは素早く神官杖を掲げ、眩い聖なる光の防御結界を展開した。どす黒い瘴気が結界に激突するたびにバリバリと鋭い音が響く。マーサは子どもたちを呪詛から守るため、その全精神力と魔力を防御に集中させざるを得ず、移動もままならない。
「くそっ、次から次へといやがるぜ! 地上からゾンビどもがどんどんくるぞ!」
ダグが中型盾をしっかりと構え、階段の出口へと踏み出す。
地上の墓場から、おびただしい数のゾンビたちがうめき声を上げながら押し寄せてきた。昨夜の数とは比べものにならないほどの圧倒的な物量だ。
「私に任せて……!」
コレットが右手を突き出し、敵の群れを迎撃しようと魔力を練り上げる。
近くに火元は一切なく、ゾンビが苦手とする火の矢を発動することはできない。しかしコレットは冷静に光の矢の魔法を使うことを選択した。
そして迫り来る多数のゾンビを同時に迎撃するため、魔法の対象を次々と拡大しながら連射しようと試みる。
しかし、対象を広げながら連続で呪文を構築しようとした代償として、一発あたりの威力が分散してしまい、さらに標的の数が多すぎて詠唱と照準のテンポが完全に追いつかない。
放たれた光の矢が先頭のゾンビの頭を貫くものの、多くのゾンビが勢いを緩めず、なおも異様なうめき声を上げて突進してくる。
「っ……! 私の魔法だけじゃ数が多すぎて止めきれない……!」
コレットが冷や汗を流しながら必死に呪文を紡ぎ直そうとするが、押し寄せるゾンビの波はそれを許さない。
「くそっ、キリがねぇな……!」
ダグが最前線で盾を押し広げながら歯をくいしばる。
その隣で、キースは魔法のナイフを素早く振るい、次々と迫るゾンビの関節や急所を狙い撃っていたが、いかんせん多勢に無勢だった。押し寄せるゾンビの圧倒的な物量に気圧され、キースはわずかにバランスを崩してしまう。
「っ……重い……!」
一瞬の隙。その致命的な隙を見逃さず、ルードの操るゾンビの一体が、鋭い爪を振り上げてキースの死角から襲いかかった。
キースがハッと気づいてナイフを構え直そうとしたが、姿勢を崩した状態では回避も迎撃も間に合わない。
(しまった……っ!)
誰もが、キースの体に凶悪な爪が突き立てられると絶望したその瞬間——。
「――キースくんっ!!」
叫び声を上げながら、エドワードが猛然と飛び出した。
誰の支援も間に合わない。ダグは前線を離れられず、コレットは魔法の詠唱中、マーサは全体を守る防御結界を維持している。誰もが間に合わない絶望的な距離を、エドワードはただ「仲間を助けたい」という一心だけで駆け抜け、キースと迫るゾンビの間に自らの体を文字通り「身を挺して」割り込ませた。
「え……っ、エドワードくん……!?」
キースが目を見開く。
エドワードはゾンビの鋭い爪が間近に迫る中、恐怖に震えながらも両目を固く閉じ、キースを庇うように両腕を大きく広げた。
(いやだ……! 大切な仲間が傷つくところなんて、もう見たくない……! 僕は、ただ守られているだけの子どもじゃない……! 守りたいんだ……みんなを……ッ!!)
エドワードの魂の底から絞り出された叫びが、天上の神へと届いた。
その瞬間、エドワードの胸元から、これまでにないほど眩い、純白の聖光が爆発的にスパークした。
————
——
—白きも良し、黒きもまた良し。光も良し、闇もまた良し。
物事の一面に捕らわれることなく、中庸に捉えるべし。
——
————
エドワードの心に温かく強い言葉が響いた。
調和神の声がエドワードの魂に響いたのだ。
その瞬間。
轟音とともに、周囲の空間を震わせるほどの巨大な神聖魔法の奇跡が炸裂した。
エドワードを中心として広がる圧倒的な白銀の光の波紋は、地下室の薄暗い闇や瘴気を一瞬にして切り裂き、地上へと駆け上がっていく。
光に触れた瞬間、ルードと彼に操られていたすべてのゾンビたちが、まるで太陽の光を浴びた雪のように次々と浄化され、サラサラとした白い塵となって消えていく。
キースの目の前に迫っていた凶悪なゾンビも、光に包まれた瞬間に音もなく霧散した。
暴走していた魔力は完全に鎮められ、不気味な瘴気は跡形もなく消え去った。
地下室の喧騒が嘘のように静まり返り、後に残ったのは、聖別の余韻と、静まり返った空気だけだった。
「……え……?」
キースは地面に膝をついたまま、呆然と目の前を見つめていた。一歩間違えれば自分が切り裂かれていたという恐怖と、間一髪で自分を救ってくれたエドワードの姿が、彼の脳内で重なり合う。
ダグも中型盾を下ろし、ぽかんと口を開けたまま目の前の光景を見つめていた。先ほどまで圧倒的な物量で押し寄せていたゾンビの群れが、一匹残らず跡形もなく消え去っていたのだ。
コレットは魔法を解除してその場にへたり込みそうになりながら、信じられないものを見る目でエドワードの背中を見つめていた。
「う、嘘だろ……あいつが、あのゾンビたちを一掃したってのか……!?」
ダグが信じられないといった様子で声を震わせる。
「信じられない……。魔法すら発動できなくて泣きそうになっていたエドワードくんが、あんな凄まじい神聖魔法を……! それに、キースを庇うために、あんな危険なところに飛び込んで……!」
コレットが両手で口を覆い、驚愕に目を見開いた。
キースは震える手で自分のナイフを握りしめ、エドワードにゆっくりと歩み寄ると、その肩にそっと手を置いた。
「……ありがとう、エドワードくん。君が僕を救ってくれたんだね。本当に……すごかったよ!」
キースのその真摯な称賛の言葉に、エドワードはハッと目を見張り、それから照れくさそうにはにかんだ。
子どもたちが驚愕と興奮に包まれる中、マーサは周囲を守り続けていた防御結界をそっと解除した。彼女の顔には、疲労の色ではなく、深い感動と慈しみに満ちた穏やかな笑みが浮かんでいた。
マーサはゆっくりとエドワードに歩み寄り、その小さな肩にそっと手を置いた。
「よくやったわね、エドワード」
その静かで温かな声に、エドワードはハッと振り返った。
「マーサ様……僕、やりました……!」
張りつめていた緊張の糸がプツリと切れたように、エドワードの目から大粒の涙が溢れ出た。しかしそれは、以前のような自分の無力さを悔やむ涙ではなく、試練を乗り越えた達成感と、確かな誇りに満ちた涙だった。
「ええ、実にすばらしかったわ。自分の身を危険に晒してまで、大切な仲間を庇い、守るために祈りを捧げた……。その勇敢さと慈愛の心こそ、真の神官に求められる一番大切な資質よ」
マーサはエドワードの頭を優しく撫で、満面の笑みで祝福の言葉を紡いだ。
「今日のあなたの戦いは、どんな大司教の説法よりも尊く、美しかったわ。胸を張りなさい。あなたは立派な、私たちの自慢の仲間よ」
そのマーサの言葉を聞いた瞬間、エドワードは堪えきれず、マーサの胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。マーサは優しくその背中を抱きしめ、キースやダグ、コレットも駆け寄ってきて、エドワードの背中や肩をポンポンと叩き、互いの健闘をたたえ合った。
こうして、農村を恐怖に陥れていた「墓場の死人騒動」の黒幕は、子どもたちのチームワークと、見習い神官エドワードの奇跡的な覚醒によって、完全に制圧されたのだった。
事件解決から数日後。
ルードの隠し部屋から見つかる証拠品の数々と自供により、彼が裏で死体を操っていた全貌が村長や村人たちに明らかになった。
真実を知った村人たちは驚愕し、そして自分たちが信頼していた薬師に裏切られていた恐怖に震えたが、何よりもその元凶をきれいに取り除いてくれたマーサ一行に対し、心からの深い感謝と謝罪を述べた。
報酬こそ出ない神殿からの依頼ではあったものの、村長をはじめとする農村の人々からはお礼として持ちきれないほどの新鮮な野菜が山のように贈られた。
レムリアの街へと戻った一行は、まっすぐに調和の神殿へと向かった。
神殿の使者であるルカスたちは、まさか本当にゾンビが出現していたとは思っていなかったらしく、ボロボロになりながらも誇らしげな顔で戻ってきた子どもたちを見て目を丸くして驚いた。
特に、報告の場に立ち会ったエドワードが自分の足でしっかりと立ち、これまでの経緯を堂々と報告する姿を見ると、神殿の大人たちは言葉を失ってただただ圧倒されるばかりだった。
すぐに泣き言を言っていたエドワードの面影はそこになく、本物の神官としての気高い気品と自信が宿っていた。
その日の夜。
孤児院の温かな食堂には、村から持ち帰った新鮮な食材をふんだんに使った、湯気の立つシチューの香りが充満していた。
「みんな、本当によく頑張ったわね。特にエドワード、最後の土壇場での覚醒は見事だったわ」
マーサが微笑みながらエドワードのグラスにぶどうジュースを注ぎ、ダグたちも「お前、土壇場でめちゃくちゃカッコよかったぜ!」と豪快に笑いながら肩を叩いた。
コレットも「本当にすごかったよ、エドワードくん!」と満面の笑みを向ける。
「命の恩人だよ!エドワードくん」というキースの言葉に、エドワードは少し照れくさそうにはにかみながらも、仲間たちの顔を一人ひとり見渡して深く頭を下げた。
「僕一人じゃ、絶対に無理だった……みんなが支えてくれたから、最後までやり遂げることができたんだ。本当に、ありがとう!」
その言葉に、食堂全体が温かな笑い声と幸福な空気に包まれる。
過酷な試練を乗り越え、それぞれの心に確かな強さと絆を刻んだ子どもたち。
おばさん神官が見守るこの小さな孤児院の物語は、明日という新しい未来へ向かってより一層力強く歩みを進めていくのだった。




