墓場の不死者(前編)
初冬の冷気がレムリアの街をすっぽりと包み込み、街路樹の葉がカサカサと乾いた音を立てて散っていく頃。マーサが営む孤児院の応接室には、どこかピリッとした、居心地の悪い緊張感が漂っていた。
応接室のソファに上品に、しかしどこか落ち着かない様子で腰掛けているのは、白を基調とした神官服をきちっとまとったものの、まだあどけなさが残る少年——エドワードである。今年十二歳になる彼は、孤児院の運営母体であり、庇護者でもある「調和の神の神殿」に所属する見習い神官だった。
そして、エドワードを連れてやってきた神殿の使者である中堅神官——ルカスは、かつて彼がこの街の神殿に入信した頃からの顔馴染みだった。あれは十五年も昔のことだ。当時はまだ新米の、それこそエドワードのように青臭くて頼りなかったルカスが、今ではすっかり神殿の要職に就き、どこか白々しい、貼り付けたような笑みを浮かべている。
(……やれやれ。あの頃はあんなに可愛げがあったのに、すっかり出世しちゃって、気がついたらすっかり生意気になっちゃってさ)
マーサは心の中で盛大なタメ息をつきながら、手元の温かいハーブティーのカップを見つめた。
マーサは、この街の神殿にはずっと昔から所属している。ハーフエルフである彼女は実年齢など軽々しく口にするつもりはないし、周囲に明かす気もない。ただ、長年この街に根を下ろし、神殿の変遷を見てきた古株の一人であることは確かだった。
長生きな種族であるハーフエルフである自分が長く神殿にいることに対して、面白く思っていない勢力や、ハーフエルフを嫌う保守派の連中が一定数いることもマーサはよく知っていた。彼らが陰で自分をどう評しているかなど想像に難くないが、下らない派閥争いや権力闘争など、マーサからすれば馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。だからこそ、余計な波風を立てぬよう、現在は孤児院の院長としておとなしく暮らしているのだ。
——今回の件も、まさにその面倒臭い体質の一端だった。
話の発端はこうだ。
神殿に、レムリアから半日ほど離れた小さな農村から「村外れの古い墓場で、夜な夜な死人がウロウロと歩き回っている。数人だが目撃情報もある。気味が悪いから何とかしてほしい」というなんとも不気味な調査依頼が持ち込まれたのだ。
しかし、神殿側の認識は極めて軽かった。「どうせ農民たちの見間違えか、夜風に揺れる木々の影でも勘違いしたのだろう」と高をくくっていた。とはいえ、そのまま放置して万が一大きな騒ぎに発展しては、神殿の権威や体面に関わる。大げさな事件になっていなければ、見習い神官を一人派遣してサクッと調査させ、気のせいで片付けて終了にしたい、というのが神殿側の本音だった。
そして、その調査員として白羽の矢が立ったのが、よりによってまだ十二歳のエドワードだった。
(まったく……。神殿の連中は、自分たちの手を汚さずに解決しようって魂胆ね。おまけに、万が一本当に何かあったときの保険として、冒険者のノウハウを持つ私に押し付けようってわけだ)
マーサはカップをソーサーに静かに置き、冷ややかな視線をルカスに向けた。
神殿側は、マーサがかつて第一線で名を馳せた元冒険者であり、いまやその知識やノウハウを用いてダグたち子どもを一人前に育て上げている実力をよく知っている。だからこそ、「万が一、本当に何かヤバい怪異やトラブルが起きても、マーサなら確実に揉め事なく処理してくれる」と踏んで、この面倒な仕事を押し付けてきたのだ。
しかも、神殿からの「神務(奉仕活動)」という名目であるため、報酬は一切出ない。文字通りの丸投げである。
「——というわけで、マーサ様。どうかこの未熟なエドワードの初陣、すなわち調査実習の護衛と、実質的な事件の解決を……神殿の名において、よろしくお願いいたします」
ルカスが殊勝な顔でお辞儀をする。マーサは舌打ちしたい衝動をぐっと抑え込み、やれやれと首を振った。
孤児院はそもそも調和の神殿からの手厚い経済援助と庇護を受けて成り立っている。立場上、神殿からの依頼を突っぱねることはできない。依頼、という名前の強制労働だ。
「……仕方ないわね。分かったわ、うちの子たちを同行させて、きっちりカタをつけてあげる」
マーサが諦めを含んだ声でそう告げると、ルカスは「さすがはマーサ様、話が早い!」と満面の笑みを浮かべ、そそくさと帰っていっていった。
だが、マーサの胸中には別の引っかかりもあった。
——十二歳のエドワードを、なぜわざわざ現場へ放り出すのかしら。これには、神殿内部の権力争いや、何か別の思惑が絡んでいるのではないかしら?
ダグやキース、コレットたちもまだ十四歳。この世界の社会通念上、一人前の大人と認められるのは十六歳からだ。彼らだってまだまだ子供の範疇を出ないというのに、十二歳のエドワードを単独に近い形で派遣するなど、どう考えても早すぎる。
(何か裏に別の事情や、厄介な企みがあるのかもね……。でも、これ以上深入りして神殿の面倒な権力闘争に巻き込まれるのはごめんだわ。余計な詮索はせず、依頼をサクッと片付けて子どもたちを無事に連れ帰ることに集中しましょう)
マーサはそっと息を吐き、同行することになった子どもたちへと向き直った。
ルカスが去ったあと、居間に集められたダグ、キース、コレットの三人は、複雑そうな、というよりは呆れ混じりの顔でエドワードを見つめていた。
「ふん、神殿の連中ってのは、いっつも自分たちは安全なところで、面倒な仕事だけこうやっておれたちに押し付けるんだからな! おまけに、あんなガキを護衛つきとはいえ単独で放り込むなんて、正気かよ!」
ダグが腕を組んで、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「まあまあ、ダグ。愚痴っても仕方ないよ。で、この子が今回の調査に同行する見習い神官のエドワードくんだね?」
キースが苦笑いしながら、自分より幼い少年へと視線を向けた。
エドワードは十二歳。ダグたちと歳は近いものの、神殿の厳格で閉ざされた環境で育てられてきた気質が抜けておらず、背筋をピンと伸ばして必要以上に気負ったような顔をしていた。
「ぼ、僕はエドワード! 調和の神に仕える見習い神官だ! 今回の墓場の調査、神殿の名にかけて僕が立派に指揮をとるからね! 君たち、足を引っ張らないでくれよ!」
意気軒昂にそう宣言するエドワードだったが、その声はわずかに上ずっており、腰に下げられた神官用の短杖は一度も実戦で使われた形跡がなくピカピカのままだ。おまけに、エドワードはまだ神に奇跡を願う力、すなわち神聖魔法を習得しておらず、文字通りの見習いの身だった。
さらに言うと、エドワードは生まれ育ったレムリアの街の壁の外に出た経験がほとんどない。
「ねえ、本当に大丈夫なの……? なんか、すぐ泣き出しそうだよ……」
コレットが小声で心配そうな顔をしつつキースに耳打ちした。
キースはエドワードの緊張しきった横顔を見つめながら、「プレッシャーで押し潰されそうになりながらも、必死に自分を奮い立たせているように見えるよ」と、少しだけ同情的な視線を向けた。
「まあ、見守るしかないだろ。おれたちがしっかりしねぇと」
ダグも腕を組んだまま、やれやれといった表情を浮かべる。
「それじゃあ、行くわよ。準備はいいわね?」
マーサの号令で、孤児院の一行は出発の準備を整えた。
神殿からの依頼は「奉仕活動」という名目であり、報酬が出ない。そのため当然ながら孤児院には移動のための馬車を借りるような資金的余裕がない。今回の移動手段は、徒歩しかなかった。
「えっ……馬車じゃないんですか? 歩き……なんですか……?」
エドワードは青ざめた顔で自分の足元を見下ろした。彼が履いているのは、神殿内で普段履くような、底の柔らかい革靴だ。長距離の野外行軍を想定した作りには到底見えない。
「当たり前でしょ。うちには馬車を借りるような財布の余裕なんてないの。さあ、のんびりしてると日暮れまでに村の手前まで着かなくなるわよ。歩きなさい!靴はこれをはくと良いわ」
マーサに促され、一行はレムリアの街の巨大門をくぐり、荒涼とした街道へと足を踏み出した。
街を出てから二時間ほどは、舗装された道だったこともあり、エドワードも「これくらいなら余裕だよ!」と気丈に振る舞い、ダグたちに神殿での勉強の話などを得意げに語っていた。
しかし、街道を少し外れて村へと続く山道に入った途端、その余裕は完全に消え去った。
ゴツゴツとした石ころ道、足を取られる泥濘、そして容赦なく続く緩やかな上り坂。
「はぁ、はぁっ……! ぜぇ、ぜぇ……っ!」
出発から半日も経たないうちに、エドワードの足取りは見る見るうちに重くなり、ついにその場で両手を膝につき、荒い息を吐き出してへたれ込んでしまった。
「もう……無理だ……歩けないよ……足の裏が痛いし、靴擦れが潰れたみたいだ……ぐすっ……」
エドワードの目から、たまらず大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。神殿育ちの彼にとって、荷物を背負っての野外の長距離歩行は地獄だった。
「ほら、弱音吐くなよ! まだ半分も歩いてねぇぞ!」
ダグが呆れたように振り返るが、その顔にはどこか心配の色が混じっている。
「ダグ、そんな言い方しないで。エドワードくん、本当に足が痛そうだよ」
コレットが慌てて駆け寄り、自分の水筒から水を差し出してエドワードの口元に含ませた。
「エドワードくん、無理しなくていいから。ほら、僕が荷物を少し持つよ。これなら少しは軽くなるから」
キースは自分のバックパックの上に、エドワードの小さな荷物を器用に括り付けながら優しく微笑んだ。
「キース君……ダグ……コレットさん……。僕、足手まといになって……ごめん……」
エドワードは申し訳なさそうにうつむき、自分の無力さに打ち震えた。
「いいさ、誰だって最初はそんなもんだ。ほら、立てるか? オレが肩を貸すからさ、ゆっくり歩こう」
ダグが荒々しくも優しくエドワードの腕を引っ張り立たせる。
コレットはハンカチでエドワードの額の汗を拭い、キースは彼の歩幅に合わせてペースを落としてくれた。
その温かな優しさに触れ、エドワードは鼻をすすりながらも、再び力なく足を一歩、また一歩と踏み出し始めた。
(ふうん。優しいだけだったあの子たちも、ずいぶん立派に、たくましくなったもんだわ)
マーサはこっそり子どもたちに疲労回復の魔法をかけつつ成長に目を細めた。
さて、日が完全に落ちる頃、一行は小さな森の脇にテントを張り、質素な野営の準備を整えた。
パチパチと燃え盛る焚き火のオレンジ色の光が、疲労困憊でぐったりとしているエドワードと、それを囲む子どもたちの顔を照らし出している。
「みんな、今日はよく歩いたわね。特にエドワード、よく弱音を吐かずに最後まで自分の足で歩ききったわ」
マーサが温かいハーブティーの入ったカップをエドワードに手渡すと、少年は両手で大切そうに受け取り、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、マーサ様……。僕、皆さんに迷惑ばかりかけて……」
「いいのよ。外の世界を知るってことは、自分の手や足で経験することから始まるんだから」
マーサは穏やかに微笑むと、ふっと表情を引き締め、ダグたち三人に視線を向けた。
「さて、明日には噂の村に到着するわ。今回の調査対象は墓場でウロウロする死人……すなわち、不死者の可能性が高い。いざというときに備えて、おさらいをしておくわよ」
マーサの言葉に、ダグやキース、コレットの表情が引き締まる。
「キース。あなた、不死者の基本的な種類と、それぞれの特徴や対処法について説明できるかしら? 勉強の成果を見せてみなさい」
名指しされたキースは、キリッとした表情でうなずき、焚き火の光を浴びながらスラスラと言葉を紡ぎ出した。
「はい! 不死者は、主に人間の死体に魔力が与えられたことにより発生する魔物です。よく知られているのは、三つのタイプです」
キースは指を折りながら説明を続ける。
「一つ目は、最も一般的なゾンビです。主に死後間もない肉体が動いているもので、知性はほとんどありません。動きは鈍重ですが、腐敗毒を持っている場合があり、肉弾戦で直撃を受けると厄介です。弱点は頭部への強い衝撃か、火、そして神聖魔法による浄化です
。二つ目は、肉体が朽ち果てて骨だけになったスケルトンです。筋肉がないため一見すると弱そうに見えますが、痛覚がなく、刃物による斬撃がほとんど効きません。神聖魔法による浄化や関節の結合部を正確に叩き潰すこと、鈍器で粉砕することが有効です。そして三つ目が、最も危険なグールです。これはゾンビよりも遥かに素早く、生きた人間の肉を好んで襲います。麻痺性の毒を持つ爪や牙があり、集団で襲いかかってくることが多い厄介な相手です」
キースのよどみない説明を聞き、マーサは満足そうに小さくうなずいた。
「素晴らしいわ、キース。よく頭に入っているわね。その通りよ。今回の村の噂がもし本物の不死者だとしたら、ただの村人の見間違えで済む話じゃなくなるわ。そして、不死者を作った何者かがいる可能性もある……」
マーサはそう言うと、持参していた荷物の中から、厳重に封印された小さなガラス瓶をそっと取り出した。
中には、淡く白く輝く透明な液体——調和の神の加護を込めた聖水が入っている。
「……念のためよ。今回の任務では使わずに済むのが一番だけどね」
マーサは苦笑しながら聖水の瓶をしまい直した。その手際の良さと用心深さに、ダグたちは改めて今回の任務の裏にある不穏さを察知し、背筋が引き締まる思いがした。
翌朝、夜が明けて再び一行は歩き出した。
昨日までのへたれっぷりが嘘のように、エドワードはすっかりダグたちと打ち解け、荷物を分担してもらいながら元気に歩いている。子どもたちの間には、過酷な道のりを共に乗り越えたことで、確かな連帯感が生まれていた。
自らの足で歩みを進め、夕暮れ時が近づく頃。目的地の農村につこうとしていた。
周囲の景色は徐々に寂れ、鬱蒼とした森と荒涼とした丘陵地帯が広がっていく。
遠くに見える村の影はどこか静まり返っており、村人たちの間に漂う重苦しい緊張感が自一行の肌にもひしひしと伝わってくるようだった。
「……みんな、ここから先は気を引き締めなさい。神殿の連中がどう思っていようと、現場で何が起きているかは行ってみるまで分からないわ」
マーサの引き締まった声に、ダグ、キース、コレット、そして少しだけ青ざめ始めたエドワードの表情が引き締まる。
死人が歩くという墓場の謎が静かに幕を開けようとしていた——。
(前編・おわり / 中編へ続く)




