初仕事は入れ歯!?(前編)
冬のレムリアの下町。大通りの喧騒から一本裏に入った薄暗い路地に、古びた看板を掲げた一軒の酒場があった。
店の名は『酔いどれイタチ亭』。昼下がりだというのに、店内にはアルコールの匂いと、昨夜の残り香のようなけだるい空気が漂っている。カウンターの隅では、赤ら顔の常連客が昼間からグラスを傾けてうとうとと居眠りこいていた。
「……おい、キース。入るぞ」
先導するシルヴァが、カウンターの脇にある古びた樽の脇をひょいと押し開けた。そこには頑丈な木の扉が隠されており、シルヴァが軽く二度、コツコツとノックして合言葉の代わりに低い口笛を鳴らすと、ギィと重い音を立てて扉が内側へと開いた。
「……おや、シルヴァ。久しぶりだな。しかもガキ連れか?」
扉の向こうの暗がりから顔を出したのは、片目に眼帯をつけた愛想のない髭面の男だった。スカウトギルド(盗賊ギルド)のレムリア支部を仕切る幹部の一人である。
もっとも、シルヴァ自身はかつてこのギルドで裏稼業の修羅場をくぐり抜けてきたメンバーであり、現在は第一線を退いて若いスカウトたちの「教育係・指南役」のような立場として、時折ギルドに顔を出しているのだった。
「俺の昔のツテのガキだ。ウデは確かだし、口も堅い。今日からここに登録する。キースだ。よろしく頼む」
シルヴァが淡々と告げると、男はジロジロとキースの全身を値踏みするように見つめ、やがてふっと鼻で笑った。
「ふん……まあ、シルヴァがそこまで言うなら間違いねえか。ようこそ、光の届かねえ裏稼業のセカイへ、ボウズ」
ギルドの地下アジトは、石造りのひんやりとした空間で、壁一面に街の地図や様々な依頼の張り紙が掛けられていた。キースは緊張した面持ちで周囲を見回す。
「……あの、ギルド証とか、身分証明のプレートは……?」
キースが小声で尋ねると、男は呆れたように眉をひそめた。
「はっ、冗談言うな。そんなもん作ったら、万が一捕まったときに一発で身元が割れて、俺たちのシマ全体が吹き飛ぶだろうが。ここではそんなもん、一切なしだ。お前の身分を証明するのは、お前の足と勘、そしてこのギルドでの信用だけだ。いいな?」
「……はい。分かりました」
シルヴァがキースの肩を軽く叩いた。「気負うな。ただ、裏社会の鉄則を忘れんなよ。何よりもギルドの面子を汚さないことだ。ギルドは裏切りに厳しいからな」
キースは深く頷き、晴れてスカウトとしての第一歩を踏み出したのだった。
登録を済ませたキースに、さっそくギルドマスターから「正式登録の記念兼テスト」としての初仕事が言い渡された。
地下の低い天井の下、キースが手渡された依頼書に目を通すと、そこに書かれていた文字に思わず二度見をした。
『依頼内容:下町で古物商を営むガリバー老人から、彼の「純金の義歯(入れ歯)」をスリ取った小悪党を探し出し、血を流さずに取り戻してほしい』
「……あの、これは……?」
キースが戸惑いの表情を隠せずにギルドの男を見ると、男は苦笑いしながら肩をすくめた。
「依頼主のガリバー爺さんはな、昔荒野の山師おやってたんだ。それで一山当てて、大金持ちになった変わり者だ。ただ、稼いだ大金をそのまま現金で持っていると税金だのなんだりでごっそり持ってかれるし、物騒だからって、全財産を『純金』に換えてやがった。しかも、その使い道がぶっ飛んでる。なんと、自分の歯が抜けたのをいいことに、自分の全財産である純金を職人に頼み込んで、まるごと『金歯の入れ歯』に仕立て上げちまったのさ」
「ぜ、全財産を入れ歯に……ですか!?」
「ああ。だから喋るたびに口の中で総額数万Gの金がギラギラ光るってわけだ。だがあの頑固爺さん、昨晩の晩酌の帰りにスラムのスリに、その黄金の入れ歯をごっそりスリ取られたらしい。『あれが俺の全財産じゃあ! わしの老後の蓄えが全部口の中に詰まっていたんじゃぁぁ!』って、ギルドの窓口でガチ泣きして暴れたもんだから、こっちも頭を抱えててな。しかしまあ、入れ歯なんてどうやってスッたのだか……大方、じいさん酔いつぶれたんじゃねえかな」
「大層な陰謀かと思ったら……まさかの、全財産の入れ歯泥棒ですか……?」
「まあ、テストとしては手頃だろ? スラムの路地裏をうろつく『ゴルバ』って小悪党が怪しいって噂だ。派手に暴れて衛兵の目を引くじゃねえぞ。うまく知恵を絞って、血を流さずに回収してこいよ」
苦笑いを浮かべつつも、キースは「分かりました、やってみます」と依頼書を胸にしまい、孤児院へと急ぎ足で戻った。
孤児院の温かな居間。キースから今回の依頼内容を聞かされたダグは、腹を抱えて大爆笑した。
「はははっ! 入れ歯!? よりによって、全財産を金歯にして口に入れてたおじいちゃんからスリ取った奴がいるのかよ!」
「もう、ダグ笑っちゃダメだよ。ガリバー爺さんって人、すごく困ってるんでしょ? 自分の全財産が他人の口に入っちゃうなんて思ったら、夜も眠れないくらい心配だよ……」
コレットは頬を膨らませてダグを軽く叱ると、キースの顔をまっすぐに見つめた。
「キース、手伝うよ! 前回の野盗の件もあるし、今回は絶対に誰も傷つけないで、頭を使ってスマートに隠し場所を探そうね」
「ああ、助かるよ、コレット。ダグも、見張り頼むな」
話を聞きつけたマーサも、温かい紅茶を淹れながら優しく微笑んだ。
「ふふ、困った人を助けるのは良いことよ。街中での情報収集や、命を奪わない無力化の良い実践練習になりそうね。気をつけていってらっしゃい」
こうして、キース、ダグ、コレットの三人は、さっそくレムリアの下町からスラム街へと足を踏み入れた。
しかし、広大なスラム街のどこにゴルバが隠れているのか、闇雲に探し回るのは得策ではない。そこでキースたちは、まず信頼できる孤児院の卒業生を頼ることにした。もちろん、孤児院を出た卒業生たちは皆、街で普通のまともな仕事に就いてまじめに働いている者ばかりである。
下町の青果市場の裏手。そこでは、かつてマーサの運営する孤児院を巣立った卒業生の一人——レオンが、大きな荷車を軽々と操りながら、青果卸問屋の若き番頭として立派に汗を流して働いていた。
「おや、お前たちは……ダグに、キースに、コレットじゃないか!」
ガッチリとした体格に、爽やかな笑顔を浮かべたレオンが声をかけてくれた。レオンは孤児院にいた頃から面倒見が良く、今でも定期的に孤児院へ新鮮な野菜や果物を卸しにやってくる、自慢のお兄さんだ。
「レオン兄ちゃん! お疲れ様!」
コレットが駆け寄り、レオンの服の裾をキュッと掴む。レオンは目を細めてコレットの頭をポンポンと撫でた。
「おいおい、そんな改まってどうしたんだ? みんないかにも『何かワケあり』って顔をしてるぞ。何か困り事か?」
キースは周囲を軽く見回し、声を潜めてレオンに事情を打ち明けた。
「実は……スカウトギルドの初仕事で、スラム街に紛れ込んだ『ゴルバ』って小悪党を探してるんだ。純金の入れ歯をスッたらしいんだけど……何か知ってるか?」
レオンは腕を組み、「ほう、純金の入れ歯ねぇ……」と少し考え込むような顔をした。もちろん、レオンは普通の一般の商売人であり、裏稼業の事情など知るはずもないが、青果市場の番頭として毎日のように街のあちこちを回り、様々な人々と商談をしているため、自然と世間話や街の噂話耳には入りやすかった。
「裏稼業のことはさっぱり分からないが……。だが、タイミングが良かったな。ついさっき、市場の近くで荷物を卸していたとき、面白い噂を聞いたところだ」
「本当、レオン兄ちゃん!?」キースが身を乗り出す。
「ああ。スラムの方から流れてきた商人が『最近、ゴルバって馬鹿な小悪党が、身の丈に合わないピカピカの純金細工を手に入れたらしくてよ、どこかの古物商に買い取ってもらおうとコソコソ探し回ってるらしいぜ』って話をしてたんだ。あいつの根城といえば、スラムのはずれにある古いトタン屋根の廃屋の裏手あたりだ。あそこなら隠れ家にするのに丁度いいって、仲間の行商人が言ってたな」
レオンはキースの肩をポンと叩き、いつもの頼もしい笑顔を向けた。
「お前たちが何の用事でそいつを探してるのかは深く聞かないでおくが……危ないことに深入りしすぎるなよ。でも、困ったときはいつでも兄ちゃんに言え」
「ありがとう、レオン兄ちゃん! すごく助かった!」
孤児院の温かな繋がりで助言を得て、三人の足取りは確かなものとなった。
レオンから得た目撃情報を頼りに、三人はスラム街のはずれへと急いだ。
古いトタン屋根の廃屋が建ち並ぶ一帯。その一角にある、ひときわボロボロの建物の裏手から、何やら話し声が漏れ聞こえてきた。
「よし、あそこの建物だな……。ちょっと周囲の様子を確かめてみる」
キースが足音を消し近づこうとした時だ。
「ちょっと待って。あそこなら私の魔法でなんとかなると思う」
コレットは足を止め、目を閉じて右手に嵌めた『精神集中の指輪』を微かに光らせた。
——『風聴』。
遠く離れた建物の影や、路地の向こうから吹いてくる風の微かな振動を捉え、人々の話し声を音の波として耳元へ手繰り寄せる魔法だ。
(……聞こえる……あのトタン屋根の裏からだ……)
『なぁ、ゴルバ。お前、昨日の夜スラムの入り口でスッたその「入れ歯」、どうするんだよ?』
『へへっ、見てくれよこれ! 土台も歯も、全部ズッシリ重い純金だぜ! 質屋に持ち込んだら一発で大金持ちだ!』
『バカ野郎! 金目当てでスッたはいいが、こんなギラギラした純金の入れ歯、どこの闇市も足がつくから買い取らねえよ! しかもデカすぎて、普通のやつの口には到底入らねえだろ!』
『マジかよ……失敗したぁ……』
コレットはそっと目を開け、ダグとキースに向かってパッと顔を輝かせた。
「バッチリ聞き取れたよ! ゴルバはあの廃屋の中にいて、純金の入れ歯はまだ持ってる! 入り口にいる仲間とどう換金しようか揉めてるみたい!」
「ナイスだ、コレット! レオン兄ちゃんが教えてくれた情報と、コレットの魔法のコンボだな!」
ダグが新調した中型盾の柄を軽く叩き、キースが鋭い眼光を走らせた。
「よし。中にいるのはゴルバを含めて二人か三人ってところだな。入口に見張りもいるみたいだが、前回の教訓を活かして、全員無力化して、じいさんのの全財産を取り返すぞ!」
夜のとばりが下り始めるスラム街の影で、三人の小さな冒険者たちは、静かに、そして確実に廃屋の扉へと忍び込んでいくのだった——。




