指名依頼(2)
レムリアの街を出発して三時間余り。
秋の心地よい風が吹き抜ける街道を進み、ミレット村の人々から温かい声援と水の補充を受けた四人は、村の裏手に広がるゴツゴツとした岩山へと足を踏み入れていた。
「この先だな……」
ダグが小ぶりのブロードソードの柄に手を置き、前方の岩肌を見上げる。
草木の生え方が急激に貧しくなり、黒ずんだ岩肌が剥き出しになった山腰に、ぽっかりと大きな黒い口を開けた自然洞窟が見えてきた。
「……匂うわね」
マーサが神官杖を軽く持ち直し、眉をひそめた。
風に乗って漂ってくるのは、生ゴミと獣の排泄物、そして腐肉が混ざり合ったような、鼻をつく酷い不快臭だ。ゴブリンが巣窟を作った場所特有の悪臭であった。
「……待って。洞窟の入口を見て」
キースが身を低くし、手で全員を遮った。
昼間の陽光が届く洞窟口の脇、大きな岩の影に、小柄な人影が一匹倒れ込むように座り込んでいる。粗末な皮布を纏い、錆びた小刀を膝の上に抱えたゴブリンの見張りだった。
ゴブリンは夜行性の魔物だ。いくら薄暗い岩山とはいえ、日中の光の下では頭が重く感じるのか、頭を舟のように揺らしながら、うっつらうっつらとしていた。
「見張りが一匹……昼間だから眠気で集中が切れてるね」
「音を立てて逃げられたら、奥の群れ全体に警戒されるわ。キース、音もなく仕留められるかしら?」
マーサの低い問いかけに、キースは無言で小さく頷いた。シルヴァから徹底的に叩き込まれた気配の削ぎ方と無音での移動移動。
キースは両手に小刀を構えると、まるで地面を滑る影そのものとなって、落ち葉一枚踏み鳴らさずに見張りゴブリンの背後へと肉薄した。
「……っ」
ゴブリンが薄目を開け、異変に気づこうとしたその瞬間——。
ジャキッ……!
キースの小刀が、ゴブリンの首筋と喉元を同時に鋭く穿った。悲鳴を上げる息の隙間すら与えず、喉頭を切り裂く完全な一撃。ゴブリンの短い手足が二度ほど痙攣し、そのままガクリと力を失った。
キースは倒れる体躯を素早く受け止め、音を立てずに岩影へと転がした。
「よし……成功だ。行こう」
キースの手招きに応え、ダグ、コレット、マーサの三人が静かに駆け寄った。
「見事な腕前ね、キース」
マーサが感心して囁く。四人は息を合わせ、湿った洞窟の暗がりの中へと一歩を踏み出した。
洞窟内は足元が不規則に傾斜しており、上からは冷たい水滴がポタリ、ポタリと落ちていた。日光の届かない暗闇が、瞬く間に四人の視界を奪っていく。
「コレット、例の魔法を頼む」
キースが振り返ると、コレットは昨夜オルランドから貰った革装丁の魔導書を思い出し、短杖の先端に意識を集中させた。魔力を静かに、けれど確実な型で紡ぎ出す。
「——灯れ、『光』」
短杖の先に、手のひらほどの大きさの柔らかい純白の光球がぽんと浮かび上がった。松明のように炎の揺らぎや煙が出ず、音もなく周囲の影を優しく押し広げる光だ。
「すごい……! 本当に点いた! 魔力もほとんど使ってないよ!」
「上出来だわ、コレット。松明と違って煙で居場所を知らせる心配もないし、水で消えることもないわね」
マーサが感心したように目を細める。
「よし、フォーメーション通りに行くぞ」
キースの表情が、一瞬でスカウトの鋭いそれへと切り替わった。
「先頭は僕。足元の罠と気配を察知する。二番手にダグ、丸盾で敵の突撃を受け止める。三番手にコレット、光を維持しながら足止めの精霊魔法の構え。最後尾にマーサ院長、周囲の警戒と回復の準備をお願いします。特に後方からの攻撃に気をつけてください」
「わかったわ、キース。ずいぶんゴブリンの生態にも詳しくなったのね」
ゴブリンは弱い。そのため後方からの不意打ちや罠を用意していることが多いのだ。
薄暗い洞窟を進むこと数十分。キースの手際よい罠解除を挟みつつ、四人は洞窟の深部へと足を進めた。
「踏み荒らされた地面の陰に、蔓を使った引っ張り罠があったよ。……はい、解除完了」
素早く罠を無力化したキースが顔を上げた、まさにその瞬間だった。
「ギャギャッ!!」
頭上の暗闇——岩の亀裂に潜んでいた三匹のゴブリンが、黄色い牙を剥き出しにして奇襲を仕掛けてきた! 手には錆びたナイフと短槍。
「させんっ!!」
ガギィィンッ!!
後方にいたダグが地を蹴り、キースの前へ割り込んだ!
ガルムから受け継いだ『鉄補強の腕甲』を装着した左腕の丸盾を斜めに突き出し、跳びかかってきた二匹の短槍を滑らせるように受け流す。
ジャキッ!!
「グギャッ!?」
滑った短槍の勢いのまま体勢を崩したゴブリンの首筋へ、ダグのブロードソードが閃いた。一撃で一匹を切り伏せる!
しかし、残り一匹のゴブリンがダグの死角へ回り込み、錆びたナイフをダグの太腿へ向けてがむしゃらに突き刺した!
「ぐっ……!?」
「ダグっ!!」
シュバッ!!
間髪入れず、キースの小刀が閃いた。死角からの切り落とし。ゴブリンの手首を一瞬で跳ね飛ばし、返し刃で喉元を深く引き裂く。
「ギャヴァァッ……!」
最後の一匹が崩れ落ち、洞窟内に再び静寂が戻った。
ダグの右太腿からは赤黒い血が滲んでいたが、即座に駆け寄ったマーサが神官杖をかざした。
「神よ、傷つきし者に光の加護を……軽傷治癒」
温かな淡い緑色の光が包み込み、ダグの傷口がみるみるうちに接合していく。あっという間に完治した傷をみて、実戦での回復魔法の威力を全員が改めて肌で実感した。
さらに奥へと進むと、通路は唐突に開け、ドーム状の巨大な広場へと行き当たった。
「これは……大きすぎるわね」
マーサが呟いた直後、広場の奥から無数の耳障りな甲高い叫び声が沸き立った。
広場の中央には喰い散らかされた山羊の骨が転がり、そこには——二十匹を超えるゴブリンの大群が蠢いていたのだ。
「ギギャッ!? ギギャギャギャッ!!」
コレットの放つ『光』の明かりに反応したゴブリンたちが、一斉に武器を叩き鳴らす。一匹が一回り巨大な皮鎧のリーダーで、残りは粗末なナイフや棍棒、小弓を構えた兵卒たちだ。
「マズい、広すぎる……! 広場に出たら囲まれるぞ!」
キースの叫びも虚しく、興奮したゴブリンの群れは前進するだけではなく、左右の暗がりへ素早く散り、四人を扇状に包囲しようと走り出した。
「ギャアァッ!」
死角の闇から飛び出した二匹のゴブリンが、ダグの脇をすり抜けて後方のコレットとマーサへ跳びかかる!
「きゃああっ!?」
「コレット、下がりなさい!」
マーサが即座に神官杖を横に振り、かろうじてゴブリンの短槍を打ち払うが、広い空間では前衛二人だけでは到底すべてを抑えきれない。このまま広場で乱戦になれば、後衛が真っ先に攻撃される!
「くそっ、下がれ! 通路の狭いところまで戻るんだ!!」
キースが叫ぶと同時に、ポケットからシルヴァに貰った『濃縮唐辛子粉』を取り出し、迫り来る包囲陣の先頭へ向けて豪快に撒き散らした!
パサァッ!!
「ブギャッ!? ギギャアアァァッ!?」
真っ赤な激痛の粉末を顔面に直撃された数匹のゴブリンが、目を押さえて狂乱し、後続の突進を巻き込んで派手に転倒する。
「今のうちに退避だ! ダグ、通路の口を塞ぐぞ!」
「おうっ!!」
一瞬の隙を突き、四人は猛スピードで先ほど通り抜けてきた狭い一本道の通路まで後退した。人ひとりがふたり横に並ぶのがやっとの狭隘な一本道。
「ここから先は一歩も通さねえ!!」
ダグが小ぶりのブロードソードを構え、丸盾で通路の八割を塞ぐように立ちはだかった。キースもその右脇の隙間に滑り込み、双小刀を鋭く構える。
「ギギャアァァッ!」
唐辛子粉の混乱から立ち直った二十匹近くのゴブリンが、狭い通路へとなだれ込んできた。しかし、広い空間とは異なり、一度にダグたちに襲いかかれるのは二匹が限界だ。
ガギィィィンッ!! ドカッ!!
死力を尽くした防衛戦が始まった。
ダグはガルム直伝の受け流しを休む間もなく繰り出した。丸盾で突進のエネルギーを殺し、腕甲で鈍い打撃を弾き返すが、絶え間なく押し寄せる質量と衝撃が左腕と肩に凄まじい打撲の痛みを蓄積させていく。
「オラァッ!」
ダグのブロードソードがゴブリンの胸元を深く切り裂く。だが、倒れた先から次のゴブリンが死体を踏み越えて牙を剥く。
「僕が切る!」
キースの双小刀が、ダグの盾の隙間から滑り出すゴブリンの急所——喉や手首を的確に穿つ。だが、狭い通路での押し合いの中、ゴブリンの放った錆びたナイフがキースの脇腹を浅く擦り、血が滲んだ。
「ハァ……ハァ……キリがないぞ……!」
二人とも全身泥と汗、そして返り血まみれだ。疲労は限界に達し、呼吸は荒く、膝が震え始めていた。
その時——後ろから短杖を構えたコレットの叫びが響いた。
「ダグ、キース! 足元に気をつけて……大地の精霊よ、固く絡めとって!!」
コレットが全精神力を注ぎ込み、短杖を通路の床へ突き立てた!
バツンッ!! ギュバッ!!
狭い通路の石床の隙間から、無数の太い蔓と根が爆発するように伸び出し、押し寄せていた前陣のゴブリン数匹の足を強烈に足止めした!
「ギギャッ!?」
前足をとられたゴブリンたちが重なり合うように前転し、狭い通路で完璧な『将棋倒し』が発生する。後ろから押していたゴブリンたちも巻き込まれ、敵の怒涛の突進が完全に途絶えた!
絶好の好機!
「今だ……一気に押すぞ!!」
キースが叫ぶ。
「オオオォォォ——ッ!!」
限界を迎えていたダグが、腹の底からの咆哮とともに一気に踏み出した!
転倒して重なり合うゴブリンの上から、ブロードソードを全身全霊で振り下ろし、盾の重撃で押し潰す。キースも影のように滑り込み、死角から動けない敵を次々と討ち払っていった。
二人の圧倒的な反撃と、先頭にいたゴブリン・リーダーがダグの一閃によって叩き伏せられた光景を目撃し——残った数匹のゴブリンたちの士気は完全に崩壊した。
「ギギャアアァッ!」「ギャアッ!」
敗北を悟った生存ゴブリンたちは、武器を放り出し、悲鳴を上げながら広場の奥へとクモの子を散らすように逃げ出していったのだった。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
ダグはブロードソードの先を泥に突き立て、荒い息を吐きながらその場に膝をついた。左肩と左腕は重い打撲で青黒く腫れ上がり、呼吸するたびに肋骨が痛む。
キースも壁に背をもたれかけ、脇腹の血を抑えながら肩で息をしていた。
「ダグ! キース!」
後方からマーサとコレットが駆け寄ってくる。マーサは即座に神官杖をかざし、神に祈った。
「神よ……『軽傷治癒』!」
温かな緑の光が二人を包み込み、流血を止め、傷口を塞ぐ。だが、蓄積した凄まじい疲労は消え去らない。
「二人とも……本当によく耐えてくれたわね」
マーサの声は震えていた。治癒魔法を何度も行使したことで、マーサ自身の魔力もかなり削られている。
「へへ……後衛に指一本触れさせなかったぜ……」
ダグが血混じりの汗を拭い、力なく笑う。
「コレットの精霊魔法のタイミングが完璧だったよ……あれがなかったら、僕たちのスタミナが切れて押し切られてた」
キースがコレットを見上げると、コレットは安心と達成感で目頭を熱くしながら頷いた。
その時だった。
逃げ去ったゴブリンたちが向かった広場の奥の暗がりから、ガラガラと激しい崩落音が響いた。
「……! まだ何かいるのか!?」
ダグがブロードソードを握り直し、コレットが『光』の明かりを奥へ向けた。
崩れた土砂の向こう側に露出していたのは、自然の岩肌ではなかった。
「……これ、は……?」
そこにあったのは、精密に切り出された巨大な黒御影石の壁。そしてその中央には、人間の身長の二倍はあろうかという、重厚で精密なレリーフが刻まれていた。
レリーフには、現代の王国では見られない、星と歯車をあしらった古代王国の紋章が深く刻まれている。
「自然の洞窟の中に……こんな建造物があるなんて……」
マーサが神官杖を握り締め、驚愕の面持ちで巨扉を見上げた。
キースが傷ついた身体を支えながら歩み寄り、扉の表面を撫でる。
「……仕掛けがある。パズルのような重厚な仕掛けだ。古代の技術で作られた、隠し扉……」
14歳の少年少女たちとマーサの前に、突如として姿を現した未踏の遺跡。
ミレット村のゴブリン退治から始まった依頼は、いまや予想だにしなかった古代王国の遺跡への入口へと繋がっていた。
(第三話へ続く)




