森の冒険(後編)
「貫け、光の矢!!」
絶体絶命の瞬間、後方で極限の集中を保っていたコレットの短杖から、まばゆい光を放つ四本の『光の矢』が放たれた!
一本の矢が立ち上がろうとした手下狼の喉元を正確に貫き、もう一本が二匹目の手下狼を射抜いて深々と沈黙させる。
だが、最後の一本がダグへ跳びかかっていたリーダー格の喉元へ肉薄した瞬間——!
「グルルルアァァァッ!!!!」
リーダー格の魔角狼が黄色の瞳を激しく眩ませ、全身の体毛を逆立てて凄まじい咆哮を上げた。魔物が持つ圧倒的な生の意志——強大な魔法抵抗の気波が、目に見えるほどの衝撃波となって放出される!
ガギィィィンッ!!!!
コレットが全神経を研ぎ澄ませて放った光の矢は、リーダー格の強力な意志の壁に正面から突っ込み、甲高い金属音を響かせて空中で木っ端みじんに散ってしまった!
「嘘……っ!? あたしの光の矢が……弾かれた!?」
コレットの顔から血の気が引く。無駄を削ぎ落とし、効率化したとはいえ、古代魔法は相手の『世界改変への拒絶』が上回れば突っ張ねられてしまう。
「ごめんなさい、みんな……ッ! あたしの魔法じゃ届かない……!」
「謝るな、コレット! まだだ!!」
ダグは痺れる左腕を持ち上げ、死力で丸盾を頭上へ構えた。しかし体勢は最悪だ。上からの押しつぶしを喰らえば確実に丸盾ごと腕が砕け、牙が首筋に届いてしまう!
(どうすればいい……!? 相手の魔法抵抗が強くても……諦めちゃダメだ!!)
土壇場の極限状態の中、コレットの頭の中に稲妻のような閃きが走った。
古代魔法はオルランドから習い始めたばかりの技術だ。だが、自分には幼い頃から森や風と語り合ってきた、もっと馴染み深い本来の領域がある。『精霊魔法』だ。
自然の意思に働きかける精霊魔法とて万能ではない。中途半端な呼び掛けや術理の揺らぎがあれば、当然相手の魔法抵抗に干渉を弾かれて失敗する。
(あたしの精霊魔法だって、生半可に撃ったら抵抗される……! だったら、余計な雑念を全部捨てて、全精神力を注ぎ込むんだ!!)
コレットは短杖を深く泥の中に突き立て、両手を固く握りしめた。
「——この森に眠る大地の精霊よ! あたしの声に応えて……あいつの足を止めて!!」
コレットは自分の体内に残っていた魔力だけでなく、魂の奥底にある全精神力を絞り出した。精度を極限まで高め、自然の意思と完璧に調和させるための捨て身の集注。脳裏がカッと熱くなり、強烈な目眩と浮遊感が襲ってくる。気絶の一歩手前、視界が歪むほどの極限の負担。
だが、その狂いなき精度の祈りは、固い大地の精霊の意識を完璧に捉えた!
次の瞬間——リーダー格の魔角狼がダグへ向けて前脚を踏み降ろそうとした足元の地面から、太い木の根と蔦が生き物のように爆発的に躍り出た!
バツンッ!! ギュバッ!!
「グガッ!?」
精密かつ強固に展開された大地の精霊の縛り。リーダー格の魔角狼は自慢の魔法抵抗を足元に展開し直す隙すら与えられず、足首を強烈に絡め取られて空中での体勢を完全に失うと、前足から豪快にのめり込むようにして地面へ大転倒した!
「 喉元が……ガラ空きだ!!」
地面に激しく顔面を打ち付け、喉元を泥の中に晒したリーダー格の魔角狼。
体勢を立て直したダグが、痺れる左腕の激痛を腹の底からの咆哮で吹き飛ばし、右手に握った小ぶりのブロードソードを両手で強く握り直した。
ダグは全力を込めて、そのブロードソードを頭上から垂直に振り下ろした!
ドスッ……ズドォォンッ!!!!
ダグの全身全霊の重撃が、転倒したリーダー格の首筋へ深く、根元まで叩き込まれた。
「グル……ッ……」
リーダー格の魔角狼は一度大きく身体を痙攣させると、そのまま力なく落ち葉の上へ伏し、二度と動かなくなった。
残り一匹の手下狼は、圧倒的だったリーダーが呆気なく叩き伏せられた光景を目撃し、悲鳴を上げながら尾っぽを巻いて森の深部へと逃げ去っていった。
第七章:無傷の証と、幼き手との帰り道
静寂が、再び深緑の森を包み込む。
風が木々を揺らし、ザァッと葉擦れの音だけが響いていた。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
ダグはブロードソードの柄を握りしめたまま膝をつき、荒い息を吐いた。刃には魔角狼の黒い血がべったりとこびりついている。
「やった……やったぞ……ッ!」
「ダグ! コレット!」
キースが小刀を鞘に納め、駆け寄ってきた。
コレットは短杖に体重を預け、膝をガクガクと震わせながらも、しっかりと己の足で立っていた。精神力は底をつきかけており、顔色は蒼白で額には大量の汗が滲んでいたが、その瞳にははっきりと達成感の光が宿っていた。
「はぁ……はぁ……気絶しないで……耐えたよ……っ!」
「コレット、大丈夫か!?」
ダグが血を拭ったブロードソードを収め、コレットの肩を支える。
「うん……すごく頭が痛いけど……自力で歩けるよ。……ねえ、ダグ、キース……さっきは光の矢が弾かれちゃって、ごめんなさい。あたしがもっとしっかりしていれば、ダグを危ない目に遭わせずに済んだのに……」
コレットが申し訳なさそうに頭を下げるのを見て、ダグとキースは顔を見合わせ、破顔した。
「何言ってるんだよ、コレット!」
ダグが豪快に笑いながら、コレットの頭を優しく撫でた。
「お前が土壇場で全精神力を振り絞って大地の魔法の精度を高めてくれなきゃ、精霊魔法だって抵抗されて俺はマジで噛み殺されてた! お前のおかげで勝てたんだぞ!」
「そうだよ、コレット。相手の強大な抵抗を破るために、自分が一番得意な魔法に全精神力を賭けた素晴らしい判断だった。怪我人も出なかったし、ポーションも一瓶も使ってない。僕たちの完全勝利だ」
キースの温かい言葉に、コレットの胸の奥からこみ上げていた不安がすうっと溶けていき、ふにゃりと柔らかな笑みがこぼれた。
「……うん! よかったぁ……!」
「さあ、あの子のところへ行こう」
三人は大木の根元でへたり込んでいた少女のもとへ歩み寄った。少女は涙と泥で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ダグたちの姿を見上げてガタガタと震えていた。
「おい、もう大丈夫だぞ。怪我はないか?」
ダグがブロードソードの柄が当たらないよう気を配りながら、優しく膝をついて目線を合わせた。少女はダグの革鎧の胸元に思い切り飛び込み、大声で泣き出した。
「うあぁぁぁんっ! こわかったぁ……っ! お兄ちゃんたち、ありがどう……っ!」
「よしよし、よく頑張ったな。お名前は?」
「リリ……近所の、ミレット村のリリ……っ」
「そうか、リリちゃんか。俺はダグ。こっちがキースで、こっちがコレットお姉ちゃんだ。村まで送ってやるからな」
キースが少女の落ちていたカゴを拾い上げ、散らばっていたキノコや木の実を丁寧に拾い集めて手渡した。コレットも辛さを外に出さず、優しくリリの頭を撫でて泥を払ってやる。
「さあ、手をつないで帰ろう。森の外はもうすぐだよ」
精神力を絞り尽くしたコレットの脇をキースが密かに支え、ダグが小さなリリの手を握り締めながら、四人はゆっくりと深緑の森の木漏れ日の中を歩き始めた。
道中、リリはダグの大きな手をぎゅっと握りながら、何度も振り返ってはダグの背中の丸盾や腰の小ぶりなブロードソードを感嘆の目で見上げていた。
「お兄ちゃん、すっごく強かったね! 狼の角をバンッて弾いて、剣でバシッて倒したの、すごくカッコよかった!」
「へへ、そうか? まあ、俺たちには凄腕のお師匠さんたちがいるからな!」
ダグが誇らしげに胸を張る。キースとコレットも顔を見合わせ、誇らしさと照れくささが入り混じった微笑みを浮かべた。自らの足で立ち、自らの技術で幼い命を守り抜いて歩く夕暮れの帰り道は、三人にとってどんな言葉よりも誇らしい冒険の記憶となった。
夕暮れ時。朱色と紫色のグラデーションに染まるレムリアの街の門を潜り、まずはミレット村へリリを無事に送り届けた。村の人々は涙を流して感謝し、採れたての野菜や果物を押しかけるように三人の革袋へと詰め込んでくれた。
感謝の言葉を背に受けながら、三人がようやく辿り着いたのは、馴染み深い孤児院の木製扉の前だった。
ギィ……と重い音を立てて扉を開けると、居間の奥から慌ただしい足音が響いた。
「ただいまー……」
「みんな……! お帰りなさい……っ!」
出迎えたマーサの顔は、心配のあまりに蒼白だった。彼女は走って寄ってくると、三人をまとめて愛おしそうに強く抱きしめた。ハーフエルフの柔らかな手と、柑橘系のほのかな香りが三人を包み込む。
「よかった……神様、ありがとうございます……無事だったのね……!」
「ちょっと、院長、苦しいってばー!」
「無事だよ! 浅層の薬草もたくさん採ってきたし!」
マーサは三人の体を離すと、目から溢れ出る涙を指先で拭いながら、頭から足の先まで念入りに怪我がないか検分した。服に泥や葉っぱは付いているものの、擦り傷ひとつ、血の一滴すらついていない。
「……本当に、怪我はないの? ポーションは……?」
「ほら、見てよ」
キースが腰のベルトから、透明な小瓶を取り出した。中身は一滴も減っていない、満たされたままの淡い緑色の液体。ダグとコレットも、それぞれ未開封の薬瓶を提示した。
「一瓶も使ってないよ! あたしたち、一傷も負わずに魔物を追い払って、村のリリちゃんも無事に送り届けてきたんだから!」
コレットが胸を張って自慢する。
マーサは驚きに目を丸くし、それから心底安堵したように「ふふっ」と優しく、どこか眩しそうな微笑みを浮かべた。
「そう……本当によく頑張ったわね。約束を守って、誰も傷つかずに帰ってきてくれて……本当によくやってくれたわ」
マーサの温かな手が一筋の温もりとなって三人の髪を撫でる。
その時、二階の寝室から「うう……ん」と小さな声が聞こえた。
「あ、トビーの熱は!?」
ダグが尋ねると、マーサは嬉しそうに頷いた。
「ええ、お昼過ぎに汗をたくさんかいて、すっかり熱が引いたわ。今は気持ちよさそうにお腹をすかせて眠っているわよ」
「よかったぁ~!」
「さあ、みんなお腹が空いたでしょう? 今日はみんなが採ってきてくれた薬草も使って、体に良い特製シチューと大きなパン焼きを用意するわね!」
「わーい! シチューだー!」
居間に賑やかで温かな笑い声が弾けた。
その頃。
孤児院の敷地の外、通りに面した薄暗い路地の陰に、三つの影があった。
「……ふん。ポーションを一瓶も使わずに帰ってきやがったか。あいつら、俺の『受け流し』を土壇場でちゃんと使いこなしてやがったな」
腕組みをした巨大な男——ガルムが、満足げに不器用な鼻を鳴らした。
「僕の『視線偽装』もね。あの窮地で冷静に相手の狙いを外すなんて、大したものだよ」
壁に背をもたれさせたシルヴァが、薄く微笑みながら小刀をクルリと指先で弄ぶ。
「ハッ! 何を言うかと思えば。一番の立役者はコレットじゃ。古代魔法が弾かれたと知るや、即座に得意な精霊魔法へ切り替え、抵抗をねじ伏せるほどの精度で足をすくうとは……あの土壇場の判断と集中力こそ、真の術者の資質よ。……まあ、少々筋が良すぎて、教え甲斐がありすぎるのが難点じゃがな」
ボサボサ頭の老魔導士オルランドが、眼鏡の奥の目を細めて自慢げに顎の髭を撫でていた。
三人の老兵は、子どもたちが三人だけで『深緑の森』へ向かったと聞きつけ、心配のあまりこっそり陰から尾行し、森の中での戦闘の一部始終を見守っていたのだ。結局、自分たちが手を出して助ける場面など一度もなく、子どもたちは見事な知恵と連携で試練を乗り越えて見せたのだった。
「……さてと。子どもたちに先を越されちゃ、俺たち老兵の面目が丸潰れだな。明日からの特訓は、もう一段段階を上げてやるか」
ガルムがニヤリと野性味あふれる笑みを浮かべる。
「賛成だね。次は複数人での連携遮断術を叩き込もうか」
「ふむ、コレットには目眩ましのような補助的な魔法を教えてやらねば……ハァ、また腰が痛くなりそうじゃわい」
老兵たちは互いに顔を見合わせると、可笑しそうに口元を緩め、酒場『赤獅子亭』の温かな明かりを目指して歩き出した。今夜の酒は、間違いなく美味いものになるはずだった。
深夜。すっかり熱が下がったトビーも交えて賑やかな夕食を終え、幼い子どもたちが寝静まった頃。
コレットは暖炉の前の小さな窓辺に腰掛け、夜空を見上げていた。
「コレット、どうしたの?」
キースとダグが温かいハーブティーの入った木製のカップを手に、隣に歩み寄ってくる。
「ううん……なんだかさ、今日、すごく冒険者になれた気がしたんだ」
コレットは自分の小さな掌を開き、暖炉の火にかざしながらじっと見つめた。
「前はさ、魔法を使うのが怖かった。すぐ疲れちゃうし、みんなの足を引っ張るんじゃないかって。でも今日、オルランドお師匠様や精霊たちのおかげで……あたし、みんなを守るために魔法を使えたの。光の矢が弾かれた時は焦ったけど……全精神力を込めた精霊魔法なら、あいつの抵抗にだって負けないって信じられた」
「ああ。僕も、シルヴァさんに教わった視線の誘導がなかったら、あそこで冷静にいられなかった」
キースがハーブティーを一口含み、穏やかに頷く。
「俺もだ。ガルムの親父の『流し』がなかったら、あの狼の角で腕が折れてたぜ。ブロードソードの一撃も、親父との打ち込みがあったから迷わず叩き込めた。……あの親父たち、口は悪いし特訓は地獄だけど……本当にすごい人たちなんだな」
ダグが小ぶりのブロードソードの柄に触れながら、遠い目をして笑う。
三人は肩を並べ、澄み切った秋の夜空に浮かぶ綺麗な満月を見上げた。
「あたしたち、もっと強くなろうね」
コレットがぽつりと、けれど強い意志を込めて言った。
「院長が安心して孤児院を守れるように。小さい子たちが、ひもじい思いや怖い思いをしないで笑っていられるように。あたしたちが、この孤児院のいちばん強い『壁』になろう」
「ああ!」
「もちろんだ」
ダグとキースが力強く応じる。
14歳。大人と子どもの狭間で揺れる季節。
少年少女たちは、泥臭くも温かな老兵たちの遺産をその身に宿し、大切な家族を守るための第一歩を、力強く踏み出したのだった。
(第六話・おわり)




