93.疑惑
「出来た!」
「わたしも解けました」
ガブリエル様とわたしは、そろってランドール様に石盤を見せた。
「二人とも正解だ。……マティルドは途中の式がないが、暗算で答えを出したのか?」
「はい」
連立方程式といっても、これは加減法だけで解けるからね。
「やはりマティルド嬢は数学に強いな」
褒めてくれるガブリエル様に、申し訳ない気持ちになる。これは前世の記憶のおかげなんだよ。
その後は応用問題を何問か解き、ランドール様に採点してもらって数学は終了。
ガブリエル様は「分数が入ってくると計算が面倒だ」と言っていたが、全問正解していた。なんだかんだ言って、ガブリエル様は全教科満遍なく優秀だと思う。
「これは三年生の小テスト範囲内の問題だ。……二人とも、三年生に飛び級できるんじゃないか?」
ランドール様の言葉に、わたしとガブリエル様は顔を見合わせた。
飛び級かあ。考えもしなかった。そもそもわたしが学院に入学したのは、コレット様の学友に指名されたからだし。
でも……、今ならわたしはもう、コレット様の学友である必要はない。
ていうかリヴィエール侯爵家の意向で、わたしはコレット様の学友から外される可能性が高い。ルブラン家が中道派から王太子派へ鞍替えするとわかれば、リヴィエール侯爵家もコレット様の嫁ぎ先であるケルテス辺境伯家との兼ね合いを考えなければならないだろうし。
そうなれば、死亡フラグであるコレット様から離れられる。学費も浮くし、いいことづくめだ。
でも……。
わたしは、カイエ夫人と楽しそうにお喋りしているコレット様を見た。
コレット様は階級意識が強いし、ダメ男好きだし、他にも色々と問題のある人だ。けど意外と面倒見が良かったり、刺繍もプロ並みの腕前だったり、いいところもたくさんある。
……もしかしてわたしは、コレット様に絆されてるんだろうか。
考えてみれば、わたしの学院内での女友達って、コレット様しかいないしな。まあ、ルブラン家の意向を確認せず、不用意に友達を作ることなんてできないから、しかたないんだけど。
最近知り合いになったブリジット様やジャンヌ様も、わたしを友達というより「未来の王太子妃」という目で見ていたし。
だから、唯一の女友達であるコレット様と離れるかもしれないと思うと、殺される運命を回避できてホッとする反面、寂しさも感じてしまうんだろうか。
「何よ、どうしたのマティルド?」
わたしの視線に気づき、コレット様が不思議そうにわたしを見た。
「あ、いえ何でもありません。……コレット様のほうは勉強の進み具合はどうですか?」
「順調よ」
コレット様は誇らしげに言った。
「薬草学って面白いのね! そこら辺に生えている草が、毒にも薬にもなるなんて。マティルド、知ってる? 北部にはとても珍しい薬草がいっぱいあるのよ。……ほら、これ。可愛らしい白い花を咲かせるのに、魔獣さえ麻痺させるような強い毒を持っているの」
「へー」
コレット様が薬草辞典を開いて、わたしに見せる。
そこには、北部に春が訪れるとあちらこちらで可憐な白い花を咲かせる植物の絵が描かれていた。
たしかにこの花は王都では見かけないかも。北部には他の地域にはない、珍しい薬草がたくさん生えているから……、ちょっと待て、薬草?
その瞬間、わたしは雷に打たれたように閃いた。
「わたしのために死んでちょうだい!」とコレット様が短剣を振りかぶり、わたしに襲いかかってきた、あの時。
――わたしは何故、動けなかったんだろう?
これまで、それは恐怖のせいだと思っていた。コレット様の変貌ぶりに驚き、あまりの衝撃で体が動かなかったんだと。
でも、本当にそうだろうか。
いくらわたしが丸腰だったと言っても、コレット様は武術など習っていない。わたしを刺したあの時だって、隙だらけの動きをしていた。
冷静に考えれば、子どもの頃から武術を叩き込まれたわたしが、荒事とは無縁の貴族令嬢であるコレット様に、無抵抗のまま刺されて殺されるなんて、あり得ない話だ。
もしかしてあの時――、わたしが動けなかったのは、何らかの薬を知らぬ間に飲まされていたからじゃないだろうか。
体が痺れ、動けなかったわたしは、なす術もなくコレット様に刺されて……。
わたしはぶるっと体を震わせた。
今の段階では、ただの憶測にすぎない。
でも……、今日、マティルド様に薬学の教師を手配してもらったのは、ちょっと失敗だったかもしれない……。




