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秘密を隠す夜の闇

 一日の授業が終わり、放課後の掃除も終わった教室には、殆ど誰も残らない。部活が無い人は勿論、部活に入っている人も教室に残っていないからだ。今の所講習などの予定が無い1年生は、わざわざ残るという選択肢を選ぶ事が無い。

 そんな中で、私は教室に残っている物好きという分類になっていた。寮でも会えるのに、わざわざ葵と、他に誰もいなくなるまで残っていたのだ。

「で、今日の夜だったよね、このライブ」

 私は自分の席に座って、一週間ほど前に紫音から手渡されたライブのチケットを、見せびらかすように葵に見せる。薄い緑色の紙をヒラヒラさせた。

「そうだよー。一緒に行く? とは言っても、かなり近いけどね、ライブ会場」

「公共エリアの北公園、でしょ? あそこのドームの中でだよね」

「そう。ドームの天井を開けるらしいね~」

 青桐町は大きく5つのエリアに分かれる。北側を公共エリア、南側を職場エリア、西側を住宅街エリア、東側を商店街エリア。最後に中央、此処、学校エリア。

 それぞれそういう系統の建物が多いから、ではなく、そういう系統の建物しかないから、とても分かりやすくなっている。だから、この町の人は例外無く住宅街エリアに住んでいるという事だ。

 ちなみに、ホテルや宿泊施設は、公共エリアにある。それと、若い奥様方のためか、住宅街エリアにも、かなり広い面積を誇る公園がある。何か有名なポストがあるらしくて、よく待ち合わせ場所として使われるそうだ。

 とにかく、町の北側にあるエリア、公共エリアの拾い公園、そこに建設されたドームでライブは行われるのだ。

 花宮 蓮華。今人気急上昇中のアイドル少年。私自身はそれほどファンではないので、テレビで数回見かけた程度しか知らない。でも、紫音がわざわざチケットをくれたのだから、行かないわけにはいかないし、そもそも寮の人が、ライブへ行くために殆ど出払ってしまうのだという。

 宿題とか、特に予習や復習をするものは無いので、今日は暇。意図されたかのように暇。なのに、寮で、2人部屋で1人きりというのは寂しいし、退屈。

 という事で、私も花宮 蓮華のライブへ行く事にしたのだ。

「あ!」

 葵が何かを思い出したようで、ハッとなった。

「どうしたの?」

「今日、部活でどうしてもやらなきゃいけない事が・・・・。ライブの時間までかかる事なのに、すっかり忘れていたのよ~」

「ええ?!」

「ま、まぁ、ライブ自体は途中からでも見られると思うけど・・・・。悪いけど、一緒には行けないや」

 葵は「ごめんね」と言いながら、顔の前で手を合わせた。

 それから「商店街もちょっと浮かれモードだと思うし、そっちでライブまで暇つぶししたら?」と言う。元々葵と一緒に行きたかったコースだったけど・・・・。

 ライブの所為なのかは定かでないけれども、3日前から青桐町は騒がしい。商店街とか住宅街とか関係無く、だ。いつもは閑散としている住宅街でも、気が付けば井戸端会議がされているし、商店街のカフェテリアでは若い女性を中心にして、カップルも多い。

 いつもは、商店街エリアでも更に中央(通称中央通り)は、人通りが少ない割にいいお店が立ち並んでいるのだけれど、この3日間は人混みがあるのだ。


 一体何が起こっているのか? それは分からないまま、これでも一番人通りが少ない中央通まで来た。葵がいない分寂しいけれど、まぁ、部活なら仕方ない。

 葵は普段、明るくてちょっぴりマイペースな女の子だけど、科学にこだわらず、とにかく『研究』をする時は顔が変わる。いつもニコニコなのに、まるで獲物を狙う虎や狼みたいに目を鋭くして、あらゆる対象物を観察するのだ。

 葵はいつも色々と研究成果を報告してくれる。それは対象物が人であったり、植物であったりとバラバラだ。けど、一貫して4個から10個の特徴を教えてくれる。

 本人は、私は2、3個でも多いと思うのに、4~10個の特徴でも少ないと言い張る。知識欲旺盛というか、歪んだわがまま気質というか。

 そんな事を考えている間に、夕暮時の中央通り、その道の真ん中辺りまで来ていた。いつの間に来たのだろうと見回すと、雰囲気の良いカフェテリアや、ちょっぴり怪しげな占い屋、豪華過ぎない調度品のお店なんかが目に付く。どこも店内は明かりが付いていた。

 と、また違うものが目に付く。フードを被っている、後ろ姿の少年らしき人物。見覚えのある後ろ姿は、カフェのテラスに設置された白いテーブルで、1人、何かの雑誌を眺めていた。

 あれは、不自然。事情は分かるけど、日差しはもう殆ど無いし、天気が悪いわけでも無いのに、あんなフードを被っていては逆に目立ってしまいそうなものだ。

「―― 藤黄君」

「?!」

 私のお腹の辺りに足場のあるテラスにいた藤黄君に、思い切って声をかける。すると、藤黄君はゆっくりとその顔を私に向けた。

「・・・・あ、藍菜ちゃん・・・・?」

 えらく小声で、私の名は呼ばれた。あぁ、なるほど。お忍び感覚なのね。

「そっち行っても良い?」

「・・・・良いケド」

 藤黄君はほんの少し困った顔をしただけで、相変わらず、笑顔を崩さず了承してくれた。私は、急ぐでもゆっくりするでもなく、ただ、良いお店見つけたから入ろうかな、という感じでテラスに入る。

「葵ちゃんと、ここら辺回っているかと思ったよ」

「最初はその予定だったけど、部活があるとか」

「? 今日は部活、何処も無かった気がするけどなー。あ、でも、葵ちゃんの事だから個人的に何か調べたい事があるのかもしれないね」

 確かに、教室の外も部活の発声とか無かったなぁ。

「で、藤黄君は何でこんなところに? お店のお手伝い良いの? ライブには来ないわけだし」

「紫音との会話、聞いていたみたいだね。確かにライブには行かないけど、お医者さんから決められた時間休んでください、って言われているから、仕方なく休んでいるのさ」

 そう言われて、私は藤黄君の前に置かれたコーヒーカップを見る。これ、どう見ても結構前に飲み干した奴だ。空になっているし、中が若干乾いているし。一体いつから此処にいたの?

 そして例の如く、私はそういう考えが顔に出やすいためなのか、それとも藤黄君が異常に聡いのか、藤黄君は深く溜め息をついてしまう。ただ、やはり笑顔は失わない。

「確かに、休めといわれたから、っていうのもある。それ以外にもあるけど、それは言えないなぁ~」

 へにゃっとした笑み。いつもどおりという名の笑顔。彼と違って私は勘が鋭くも何とも無いので、藤黄君の考えを見抜くのは諦めておこう。

 でも、本当に何をしていたのかな。

 そう思って、さりげなく辺りを見回した。

 すると。

 近くのテーブルに、2人の中学生カップルらしき子達が座っている。

 何故だか、妙に気になる2人だ。

 男の子の方はメガネと帽子、若草色のスカーフ、水色と白のチェック模様がプリントされたワイシャツ、色が薄めのジーパンを履いていて、若干地味な印象を受ける。

 一方女の子の方は、制服。身体の線が程好く細くて、青桐中学の黄色い線が入った、ありきたりな制服でも見事に着こなしている。顔の線も綺麗で、地毛なのか茶髪の紙がそよ風に揺れる。不思議な髪型で、後ろの髪を一部だけ伸ばして、それを紅い紐の先端に蒼い鈴が付いているリボンでまとめているようだ。

 仲良さげに話しているけれど、さすがに何を話しているのかは聞いちゃいけないような、別にどうでも良いような。

 近いから、どうしても聞こえてしまうのだ。

「ね、今日のライブ、どう?」

 と、女の子が明るく問う。

「まぁまぁ、かな。盛り上がりそうだよー」

 と、男の子も若干ゆっくりとした口調で応答。

「絶対行くからね、ちゃんとしてよ?」

「分かったよ。いつもどおり、だよね。ちゃんと手を振るから、そっちこそちゃんと見ていてね?」

 今夜のライブの事を言っているらしく、2人ともずっと明るい様子で話し込んでいる。どうやら、藤黄君はこの2人の様子を長い時間見ていたらしい。

 今も、手に握っている雑誌の上から2人を密かに見つめている。

 何故、かはさすがに分からないけれど、そんな長い時間、よく見ていられるなぁ。

「―― あ!」

 と、仲の好さげな2人から目を背けてすぐのことだ。2人の内の片方である男の子が、ハッとなった様子で声を上げた。何かと思って振り向くと、男の子は焦って自分の身だしなみを確認しつつ、自分の持ち物を急いで鞄にしまうと、慌てて席を立つ。

「ご、ごめん! こんな時間になっているとは・・・・」

「良いよ良いよ。急げー」

 女の子の方はゆったりしながら、既に走り去ってしまった男の子に手を振っていた。

 そして、私が呆然としている間に、食器を片付けに来たウェイトレスのお姉さんに勘定を渡して、同じように去ってしまう。

「追いかけるよ、藍菜ちゃん」

「え、はぁ?」

 藤黄君も、おそらくコーヒー代であろうつり銭を、あの子と同じような感じでウェイトレスに渡し、私の手を強引に引っ張る。

 え、あれ? 藤黄君、こんなに力強かったの?!

 藤黄君が、人混みを掻き分けて進んで行く。まるで人の方が藤黄君を避けているかのような錯覚に陥るぐらい、藤黄君は足を止めずに突き進んでいく。

 ちょっとの冷たさを帯びた手は、私の手を、温かく、優しく、柔らかく包んで引いていく。驚くことに、私はその引かれる手に抵抗していない。それが彼の体への負担を考慮したからなのか、急な事で思考と身体がほぼ接続されていないからなのかは、もう、謎だ。

 あの女の子を追っているのだろうけれど、この人混みの中で、ちゃんと追いかけられているのだろうか?どう考えても見失っていると思いながら、私はこの手を振りほどこうとしていない。

 殆ど、されるがまま。


「静かにね、藍菜ちゃん」

 そう言われたのは、引っ張られ続けて10分ほどの場所だった。驚くほどスムーズに進んだ所為で、かなり遠くまで来たような気になっている。でも、実際はまだ中央通から抜け出していない。道程をやけに長く感じたのは、やはり、藤黄君の身体を気遣っていたからだろうか?

 とりあえず、此処は学校から程近い洋服店。

 ・・・・の、近くの路地裏。

「あの、何で隠れているのかをお教え願いたいのだけれども?」

「あそこにあの子がいるからだけど?」

 どうせカフェにいた女の子なのだろう。しかし、覗き見は良くないと自制する私の隣で、その子を見つめているらしい藤黄君の顔。いつもは笑顔なのに、妙に真剣そうな表情になっているのが気になった。

 で、結局私も見てしまうのだけれども。

「・・・・です。はい」

「ふふっ、良かったぁ。じゃあね」

「あ、あの、良かったら、これから一緒にライブに行きませんか? その・・・・」

 知らない男性と会話している。女の子はニコニコ笑顔で話しているみたいで、他人行儀っぽいから、あの男性は初対面の人かな?

 藤黄君はというと、真剣なのは変わらなくて、ちょっと不機嫌というか、何処と無く不満そうに見える。視線はずっとあの女の子に絞られていて、雰囲気だけはストーカーっぽくも見えてしまう。これは止めた方が良いのだろうか? 私も共犯者になりそうで怖いし。

 というか、まさか本当にストーカー、というか犯罪行為だったら困る!

「ちょ、ちょっと藤黄君」

「何、藍菜ちゃん」

 あぁ・・・・何かいつもより語調が厳しい。新鮮ではあるけれども。

「あの、あの子と、何かあったの?」

「別に」

「・・・・じゃ、あの子は一体?」

「もうちょっと静かに」

「・・・・」

 ダメだ、この状況から抜け出せる気がしない。

 それにしても、あの子と話しているあの男の人。背丈は恢さんと同じくらいで、高い方だ。声はちょっと甘いボイス、とでもいうのだろうか。髪が茶色で、顔も整っている。わぁ、こうして見るとあの2人って、結構なお似合いさんかも。

「―― あ、もうこんな時間かぁ。行きましょう!」

「うん。えぇと、こっちだったよね、ライブ会場」

「はい!」

 凄く嬉しそうだけど、今男の人は会場の場所を確認していた。もしかするとこの町の人じゃないのかも。まさかあんなモデルにいそうな容姿の人が、新人アイドルのライブを見に来るほどのファンなのだろうか?信じがたいな、それは。

 と、隣を見て、思わずぎょっとする。

「ちょ、何で泣いてんの、藤黄君?!」

「・・・・何でも無いよ。放っておいてよ・・・・」

 しゃがみ込んで、組んだ腕に顔をうずめて泣き始めてしまっていた藤黄君。他の男子より若干小さい見た目が、更に小さく見えた。

 というか、こんなシーンを描いた漫画があったような気がする。確かあのシーンは、片想いの相手が誰か他の女性と一緒にデートをしている所を、偶然にも見かけてしまった主人公の女の子、だっただろうか。

 藤黄君は男の子だけれども、その、顔立ちがまだ幼くて、女子の制服とか、大きなリボンとかが凄く似合うと思う。つまり、女装させてその手のコンテストに出せば、良い線どころか、優勝を狙える、というか。そのぐらい、かわいいのだ。

 大体、そこらの女子より肌が綺麗で色白っていうのはどういう事だ、って、前に葵も言っていた。もう、女装で「僕は女の子だよー」って言っても、僕っ子の女の子として通せるのではないだろうか。

「はい、変な妄想はそのくらいにしておいた方が良いよ」

「あ、藤黄君、もう良いの?」

「まぁ、ね。それより、そろそろライブの時間だけど、良いの?」

「え、あ、本当だ! 急がなきゃ」

「と言う割にマイペースだね・・・・どうかしたの?」

 いつの間にか復活していた藤黄君は、まだちょっと元気の無い笑みを浮かべている。

 そう、私には聞きたい事がある。どうしても聞きたい事が。

「ねぇ、藤黄君」

「何だい?」

「えぇっとさ」


「藤黄君が好きな子って、もしかしなくてもあの子だよね?」


 以前、藤黄君は言っていた。自分の両親が経営しているパティスリーの中、私に恋愛系統の悩みがあると勘違いした時。私が逆に問い返すと、藤黄君は顔を真っ赤にして、自分に好きな子がいると、言葉が無くても伝わるくらいに主張してくれた事があるのだ。

 あの凛とした顔立ちの女の子が、藤黄君の好みなのかもしれない。もしかすると、元気の良さが好きになったのかもしれない。

 そして今、自分の好きな子があの女の子であると、真っ赤になった顔はそう言っている。いつもは笑顔の藤黄君が見せる、分かりづらくて分かりやすい一面だ。

「言っておくけど、彩芽アヤメちゃんには今の所好きな人がいないから、片想いって事になっているだけだからね!」

「へぇ、あの子、彩芽ちゃん、って名前なのかー」

 藤黄君は、見るからに「しまった」という顔になった。どうやら、焦ると考えが顔に出てしまうらしい。良い事知っちゃったかも♪

「とにかく、私はライブに行くよ。藤黄君は?」

「うぅ・・・・」

 うずくまって顔を上げてくれない。さすがに意地悪しすぎだろうか。

 まぁ、いっか。

「分かった。そこら辺のお店で休憩してから『ジョーヌ』に戻るのね。じゃ、また明日かな。じゃあね!」

 そう、軽い調子で言って、私は路地裏を後にした。


  ◇ ◆ ◇


 路地裏、そのひんやりしたレンガの壁に背を預け、乾いた地面の上に腰を降ろす藤黄は、多くの町人ではない人々が作り出した人混みに消えた、藍菜の背中を目で追った。

「―― そろそろ、かぁ」

 深い溜め息をつきながら、藤黄は既に暮れて闇に沈んだ空を見上げる。点々と輝く星は、青桐町、そして青桐町のある虹尾島が、空気の住んだ場所である事を教示していた。

「おつかれ、藤黄」

 不意に路地裏の奥から聞こえた声に、藤黄は驚きもせず、声が聞こえた方へと目をやった。

「本当に疲れるから、こういう仕事は君がやってよ、紫音」

 中央通の明かりがちょうど届かない位置に立っている者を、藤黄は、親友である紫音だと頭の中で確定させる。彼の声は別段特徴の無い、というか、クラスメイトにもう1人同じ声の持ち主がいるのだから、判別のしようが無いといえば無い。だが、藤黄は自然と、彼が紫音であると分かった。

 紫音は、ただでさえ明かりが無くてその姿が見えないのに、漆黒の髪も瞳も、完全に闇に溶け込んでしまっている。目を凝らしても無駄である事は分かっているし、彼がそこにいると分かった時点で見えても見えていなくても会話は成立する。

 藤黄はそのまま会話を継続する事にした。

「まぁ、君がこういう仕事をしない理由は大体予想がつくけどさ」

「すまないな。というか、そもそも――」

「そもそも、藤黄の方がこういう仕事は合っているだろう。でしょ?」

 そう言うと、紫音は口をつぐんだ。闇に隠れて何をしているのかあまり分からない状況でも、彼の親友である藤黄は、彼が大体何をしているのか分かる。

 彼は予想外の事が起こると、頭を掻くクセがあるのだ。

 僅かに聞こえてくる音がその証拠だった。藤黄は小さく笑うと、かぶっていたフードを取り、左右で違う色をした瞳を、2つとも紫音がいるであろう場所に向ける。

「さぁて、どう動くかな? 『彼女』は」

「さぁ、俺に聞かれてもな。それに『彼女』にとっては『まだ何も起こっていない』はずだ」

「そう言えばそうだねぇ」

 藤黄は軽快な調子で立ち上がり、付いたであろう土を払う。そしていつも浮かべる、とらえどころの無い笑顔という名のポーカーフェイスを顔に浮かべた。

 そして、次の瞬間には。

「・・・・ふふっ」

 細くて白い指を口に付け、笑みを形作る目を薄め、怪しげな笑みに作り変えた。

「そろそろ、認めてあげたら? じゃないと、折れちゃうよ、早々に」

「・・・・」

「今は折れかかった状態を保っている、そんな所でしょ」

 その笑顔を保ったまま、賑わう中央通には聞こえない音量で喋る藤黄。彼自身は、町の明かりで髪がキラキラと輝いており、ただ見えにくいだけだ。

「確かに僕は、君より人と接する機会が多いから、君より『人に教える』のが得意といえば得意だ。けど、『人に教える事』と『人を支える事』は、少なくとも僕は違うと思うなぁ」

 そして、距離を保っていた2つの人影は、藤黄が歩き出す事により、その距離を縮める。藤黄も闇に溶け始め、そして完全に溶け込んだ時、2つの影は初めて月に照らされた。

「君は、確かに『人に教える』事が、超が付くほど苦手だよ。でも、僕と違って『人を支える事』に関しては一級品だと思う」

 それまで建物の影に入っていたが、ちょうど、月がその路地裏の上を通り始めたのだ。青白い光が2人を僅かに照らし、その光は町の人工的な明かりが無いからこそ、映えた。

「そんな君の支えが、今の『彼女』には必要だと思うなぁ・・・・」

「分かった。分かったから」

「ふふ、何が分かったのかなぁ? 『前回』もそう言って、出来なかったじゃないか」

 その距離は50cm。中央通からの声が遠く、1mも無いほどには狭い路地に、2つの人影が落とされていた。

「・・・・あと『5回』で変わったら」

「ははっ、それなら『彼女』はクリアするよ! だって、あの子はやる時やれる良い子だもん!」

 藤黄は、月明かりが消える前の、最後の言葉を放つ。

「そんなに信頼出来るとはね・・・・『前』はあそこにいたの、藤黄じゃないか」

 そう、優しい笑みを浮かべる、月明かりが消える前の最後の言葉を、紫音も放つ。


 ・・・・言葉が放たれた後、そこにもう人の影は無かった。


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