第2話 どっちがいいと思う?
休日の昼下がり。
駅前の商業施設は、買い物を楽しむ家族連れや学生で賑わっていた。自動ドアが開くたびに外の風が入り込み、店内には食品売り場から流れてくる甘い匂いまで混ざっている。
俺はそんな人混みの中を歩いていた。
普段ならエアロの拠点で仕事を片付けるか、適当に時間を潰しているところだ。休日だからといって、特別やることがあるわけでもない。
ただ今日は、隣に結愛がいる。
「奏君、こっち! 早くしないと売り切れちゃうよ!」
人混みの向こうから、結愛が手を振っている。
そのまま人の間を縫うように歩いていくものだから、俺はため息をついてから後を追った。
「そんな急がなくても、材料くらい逃げねえだろ。」
「逃げないけど、なくなることはあるの。今日はちゃんと美味しいケーキを作りたいんだから、材料選びから大事なの!」
「ケーキ一個作るだけで、ずいぶん気合い入ってんな。」
「一個だからだよ。奏君に食べてもらうんだから、適当にはできないでしょ。」
結愛は振り返りながら笑った。
俺は返事をせず、少し歩幅を広げる。
先を歩いていた結愛が、すぐに隣まで戻ってきた。
「……何?」
「いや。お前、歩くの速いなと思ってな。」
「奏君が遅いんじゃない?」
「俺は普通だ。」
「はいはい。」
結愛は楽しそうに笑いながら、製菓コーナーへ向かっていった。
棚の前に立つと、さっきまでの勢いが嘘みたいに足を止める。
小麦粉、砂糖、バター、チョコレート。
ずらりと並んだ商品を前にして、結愛は一つずつ手に取っては裏返し、成分表示や値段を確認している。
俺には、どれも似たような袋にしか見えない。
「奏君、こっちとこっちならどっちがいいと思う?」
結愛が生クリームを二つ持って振り返った。
「……どっちも生クリームだろ?」
「そうなんだけど、こっちは乳脂肪が高くて、こっちは軽めなんだって。初めて作るなら、どっちがいいかな?」
「ド素人の俺に聞いても分からねえよ。」
「でも、食べるのは奏君でしょ?」
「そういう問題か?」
「そういう問題なの。私は奏君が食べて、美味しいって言ってくれるところを見たいんだから」
結愛は二つの商品を俺の前に並べた。
俺は腕を組んで、それぞれの容器を見比べる。
……どちらにしようか。
白い容器が二つ。
片方にはかわいらしいイラストの牛が描かれていて、もう片方には何だかよく分からない果物が描かれている。
……分かるわけがない。
俺は二つを見比べたあと、牛の描かれた方を指差した。
「こっちだ。」
「え、そっち?」
「ああ。牛がいるからな。」
「それ、選ぶ理由になってないよ。」
「俺には十分だ。美味しければいい。」
あまりにも適当な理由に、結愛は一瞬きょとんとしていたが、やがて吹き出した。
「ふふっ……奏君って、真面目そうでたまにすごい適当だよね。」
「うるさいな。早くしろよ。後ろ詰まってるぞ。」
俺が顎で後ろを示すと、結愛は慌てて商品をかごへ入れた。
「じゃあ、奏君を信じる!」
「……外れても知らねえぞ。」
「その時は奏君にも食べてもらうから大丈夫。」
「責任の取り方がおかしいだろ。」
結愛は声を上げて笑った。
そのまま次の棚へ向かっていく。
小麦粉、砂糖、バター、卵。
気づけば、かごの中身はどんどん増えていた。
俺は片手で持っていたかごを持ち直す。
「おい、結愛。」
「なに?」
「これ、本当にケーキ一個分か?」
かごを少し持ち上げてみる。
ずっしりと腕に重さがかかった。
結愛は中身を覗き込み、指を折りながら数え始める。
「えっと……ケーキと、クッキーと、チョコレートと……」
「増えてるじゃねえか。」
「だって、材料を見てたら作りたくなってきたんだもん。」
「最初はケーキだけって言ってただろ。」
「そうだったっけ?」
「とぼけんな。」
結愛は笑いながら、かごの中に入っていた板チョコを一本取り出した。
「これは奏君用。」
「俺はいらねえ。」
「この前食べてたじゃん。」
そう言って、結愛は板チョコをかごへ戻す。
俺は何か言い返そうとして、やめた。
どうせ言っても聞かない。
そんな俺を知っているのか、結愛は何も言わず次の商品を手に取った。
「……あ。」
今度はイチゴだった。
パックを持ち上げ、値札を確認する。
「これ、ちょっと高いけど……買っていいかな?」
「好きにしろ、金ならいくらでもある。」
「本当に?」
「ああ。せっかく作るんだ。変なところでケチるな」
結愛は値札とイチゴを交互に見たあと、俺の顔を見る。
それから、ようやくパックをかごに入れた。
「じゃあ、これにする。」
「最初からそうすりゃいいんだよ。」
「だって、奏君のお金だし。」
「俺がいいって言ってるんだから気にするな。」
「……うん。」
結愛は小さく頷いた。
それからイチゴの入ったパックを一度持ち上げて、傷んでいないか確認している。
こういうところだけは妙に真面目だ。
俺はその様子を見ながら、かごを持ち直した。
「まだ買うのか?」
「あと少し!」
「その『あと少し』、さっきから三回聞いてるぞ」
「今度は本当に最後!」
「信用できねえな。」
「ひどい!」
結愛が頬を膨らませる。
俺はその顔を見て、思わず口元を緩めかけた。
すぐに顔を戻したが、結愛は見逃さなかったらしい。
「ん?今、笑った?」
「笑ってねえ。気のせいだ。」
「じゃあ、もう一回笑わせてあげる!」
「余計なことすんな。」
結愛は楽しそうに笑いながら、また棚の方へ向かっていった。
結局、買い物を終える頃には、予定していた量の倍近い材料が揃っていた。
店を出ると、駅前を吹き抜ける風が紙袋を揺らす。
俺の両手には、買った材料の入った袋がいくつもぶら下がっていた。
「……ちょっと買いすぎだ。」
「ごめん。でも、奏君が持ってくれると思ってた。」
「最初からそのつもりだったのか?」
「うん!」
「即答かよ。」
結愛は悪びれる様子もなく笑っている。
俺は袋を持ち直した。
結愛が一つ持とうと手を伸ばしてきたが、その前に俺が袋を反対側へ移す。
「いい。お前はそっち持て。」
「でも……」
「落としたら中身が台無しになる。」
「じゃあ、これだけ。」
結愛が小さな袋を一つ持つ。
「これなら大丈夫。」
「最初からそうしろ。」
「はいはい。」
結愛は隣を歩きながら、小さな袋を両手で抱えている。
さっきまであれだけ店内を走り回っていたのに、今は歩く速度も俺に合わせている。
「でも助かった。私一人だったら、たぶん途中で何買えばいいか分からなくなってたと思う。」
「お前、ケーキ作るって言ってたのに?」
「だから勉強中なの。」
結愛は胸を張る。
「いつか自分のお店を出したいから、ちゃんと覚えたいんだ。」
「店まで出す気か?」
「うん。小さいのでいいから。」
結愛は少し先を見ながら話を続けた。
「ケーキとコーヒーがあって、何人か座れるくらいの小さなお店。外から入ってきた時に甘い匂いがして、窓際に席があって……そういうところで、お客さんがゆっくりできるお店にしたいの。」
「ずいぶん具体的だな」
「毎日考えてるからね。内装も木を使った感じがいいし、食器も自分で選びたい。あと、季節ごとにメニューを変えて……」
そこから先は、ケーキの話だけではなくなった。
店の名前はどうするか。
看板はどんなものがいいか。
コーヒーはどこの豆を使うか。
俺には詳しいことなんて分からない。
内装や皿がどんな物であろうが、味は変わらない。
コーヒーがどこの豆を使っているかなんて分からない。
それでも、結愛があれこれ話すたびに、俺は適当に相槌を打ちながら聞いていた。
「……っていうお店にしたいんだけど、奏君はどう思う?」
「ん?」
「だから!私のお店。」
いつの間にか、結愛が足を止めていた。
俺も一歩遅れて立ち止まる。
手に提げた紙袋が、風に揺れた。
「……いいんじゃねえか。」
「それだけ?」
「別に……俺に店のこと聞かれても分からねえよ。」
「もう、ちゃんと考えてよ!」
「じゃあ……」
俺は少し考えて、結愛を見る。
「結愛が作ったケーキが食えるなら、俺は行く。」
「……ほんと?」
「ああ。」
結愛は目を細めて笑った。
「じゃあ、もっと頑張らないとね。」
「今でも十分だろ。」
「まだ食べてないのに?」
「材料を見りゃ分かる。」
「それ、さっき生クリームを牛の絵で選んだ人の台詞?」
「くっ……忘れろ。」
今思えばあの選択が恥ずかしくなってきた気がする。
結愛が声を上げて笑う。
俺はため息をつきながら、また歩き出した。
隣から聞こえる笑い声が、駅前の雑踏に紛れていく。
買い物だけのはずだったのに、気づけば予定よりずいぶん長くなっていた。
まあ、たまにはこういう休日も悪くない。
そう思いながら、俺は結愛の歩く速度に合わせて足を進めた。




