第99話 泡沫の夢に踊る
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「な、なぜこんなことに……」
アルマが隠れた漆黒の闇を裂くように赤々と燃え上がる巨大な炎を前に、豪奢な装束を身に纏った男が呆然と呟く。
立ち上る炎の柱はひとつではない。
視界に入るだけで数か所。その向こうからも煙が立ち上っている。
「投石機はどうなった! 破城槌は!?」
延焼する恐れのある荷を遠ざけるために走り回っている兵士の一人を捕まえ、男が怒声を上げる。
「す、全て燃えています」
「馬鹿な! 見張りは何をしていた!」
「わ、わかりません。自分は火が上がるのを見たので荷を避難させようと来たので」
「荷の避難より消火だ! 火を消すんだ!!」
「む、無理です!」
兵士は悲鳴に似た拒絶の声を上げて男の手を振り払って走り去っていった。
「消せ! 投石機を、破城槌を守るのだ!」
男は近くを通る兵士たちに声を張り上げて命令するが、誰ひとりとしてその声に従う者は居ない。
正確に言えば、轟々と音を立てながら燃え上がる巨大な攻城兵器から輜重や天幕を遠ざけるのが精一杯で、とても消火にまで手が回らないし、そもそもここまで燃え上がった木製の構造物を消火することなどできるわけもない。
せいぜい突然土砂降りの雨が降ってくれるのを祈るのが精一杯なのだ。
もっとも、このあたりは雨が少なく、特に今の季節はまず降らない。だからこそこうして帝国まで進軍してきたのだが、それが裏目に出ているわけだ。
といっても、仮に雨が多い季節だったとしてもそうそう都合よく降ってくれる保証などあるわけないのだが。
やがて男の視ている前で投石機が、次いで破城槌も火の粉をまき散らしながら崩れ落ち、輜重の一部にも引火して失われた。
「…………」
「…………」
「…………」
空が白み始めた頃になってようやく被害の程度が明らかになる頃、陣の中心にある一際大きな天幕の中で十数人の男たちが沈痛そうに顔を突き合わせていた。
そして、誰も言葉を発しようとはしない。
「……消失した装備はどれほどだ」
「ば、バロッディス侯爵閣下」
「答えよ!」
怒声が響く。
若い男が恐る恐る口を開いた。
「昼間の襲撃で残った投石機4機と破城槌10機、延焼によって糧食の1割が、消失、しました」
ドガン!
「なぜ侵入者に気付かなかった! 見張りは何をしていたのだ!」
バロッディスが机を両手で強く叩きそう怒鳴りつけるが、それに答えられる者は居ない。
夜陰に乗じて物資を狙うのは戦術の常道であり、当然彼らも十分にそれを警戒していた。まして、開戦の直前ということで兵士も弛緩しているわけでなく、特に城砦都市攻略の肝となる攻城兵器の警備には十分な人員を割いていたはずなのだ。
ただ、わずかな星明かりしかない漆黒の闇の中で、微かな明かりすら持たず、しかも音も気配も立てず、警戒した兵士にすら気付かれることなく攻城兵器に油を撒いて火を着けるような人間がいるなど想定していなかっただけだ。
「……一度軍を下げますか?」
別の、いささか年嵩の男がそう訊ねる。
2万を超える軍勢で侵攻して、まともにぶつかることもせずに後退するのは彼らにしても不本意ではある。
だがブランディス砦ほどではなくともブルグラの街も辺境の城砦都市であり、攻城兵器無しで攻略するのは簡単なことではない。
一般的に城壁に囲まれた城や都市を攻めるには少なくとも3倍の兵力が必要とされる。
ブルグラの街に居るブルゲスト辺境伯領の兵士は急遽徴兵した者や志願兵を合わせても推定8000。王国軍が2万とすれば基準には及ばないものの、当初の想定では攻城兵器を加味すれば十分に攻略可能と考えられていた。
だが、攻城兵器が失われた今、弓と歩兵、騎兵だけでは攻略できたとしても被害が大きく、領地を削り取るだけの余力は残せない可能性が高い。
「下げてどうする。投石機も破城槌も主要な木材は本国から運んできたものだ。補充しているうちに帝国は迎撃の準備を整えてしまうだろう」
それらの攻城兵器の大部分は木製なのだが、そこらの木を伐採して作れるほど単純なものではない。
伐採したての生木は、破城槌の杭くらいにしか使えず、投石機を組み立てても射つ度に歪み、とても使い物にならないし、そもそも乾燥していない木材は重すぎて運ぶには多大な労力が必要となる。
そして、その樹木すらここからブランディス砦を超えて西に行った森林地帯に行かなければ手に入らないのだ。
「これだけの兵を動員して何の成果も上げずに本国に戻ることなどできん。もし攻略に失敗すれば私だけでなく貴様等も陛下の前に首を並べることになるのだぞ」
バロッディスの言葉に、その場に居る者達が目を伏せる。
「……アミュゼ殿下を呼びよせ、ぎゃあっ!」
壮年の男がボソリと呟き、直後、バロッディスが投げたゴブレットが顔に当たり悲鳴を上げる。
「あのような下賤な血が混ざった者を充てにするなど、貴様には王国貴族としての誇りはないのか!」
一際大きな怒号が響き、男は顔を押さえたまま平伏した。
「も、申し訳ありません」
「運に恵まれただけの男に頼るより今のままの兵力で街を攻略する方法を考えよ! よいか! ここに来た以上は手ぶらで王宮に戻れるなどと思うな!」
バロッディスがそう言うと、男たちは神妙に一礼して天幕を出ていった。
残ったのはバロッディスともうひとり、30代後半くらいの痩せぎすの男だった。
「まさか、到着早々攻城兵器が全滅するとは思いませんでしたな」
「あれほど無能揃いだったとは、人選を誤ったわ!」
「彼らを責めるのは酷というものでしょう。今回の件、おそらくやったのは第8兵団に配属されているレスタールの魔人卿。噂ではあの魔境の狩人は闇の中でも遠くを見通し、獣のごとく狩りをするとか。熟練の暗殺者と同等かそれ以上かもしれませんな」
「貴様、それを知りながら黙っていたというのか?」
「滅相もない。さすがにいくらレスタールだろうとたったひとりで敵陣に潜り込んで火を放つなど想像もしていませんでしたよ。ですが、状況が厳しくなったのは確か。どうなさるおつもりで?」
男の言葉に、バロッディスは苦虫をかみつぶしたような顔で口ごもる。
「王国が帝国への橋頭堡を築く上で邪魔になるブランディス砦とブルグラの街の攻略は絶対に成功させなければなりません。帝国の第5兵団が動けない今が千載一遇の機会であることは変わりません」
「言われずともわかっている! 貴様がもたらした情報によって此度の作戦が認められたのだからな」
「であれば、使える駒は使うべきでしたな。確かに閣下のお立場では業腹ではありましょうが」
明らかな皮肉交じりの男をバロッディスが睨む。が、反論することはできなかった。
この場に、いや、今回の侵攻作戦には砦周辺の牽制部隊にも黒衣の魔王子と呼ばれるアミュゼの姿はない。
帝国側にすら知られるほどの戦上手を今回の侵攻に参加させなかったのは、単に血筋の問題だけでなく、その実績に民衆の人気が高まっていることを警戒し、これ以上功績を挙げられては王国内の力関係が崩れてしまうことを懸念してのことだ。
実際、王国の兵力、その半数以上を今回の出征に動員しており、ブランディス砦とブルゲスト辺境伯領が保有する兵の数を遙かに超えている。
第5兵団が動けない今、帝国軍の本隊が到着する前にブルグラとブランディス砦を攻略し、守りを固める時間は十分にあったはずだった。
ところが蓋を開けてみれば開戦前に攻城兵器は全て失われ、あとは数を頼んだ消耗戦を仕掛けるしかなくなってしまっている。
加えて、厳重に警戒していた陣の奥深くまで侵入することができるような者が向こうに居る以上、夜間であっても常に臨戦態勢を維持しなければならない。
それは夜襲よりもう数段上の警戒をずっとしていなければならないということであり、兵の消耗は尋常なものではないだろう。
「我々は勝たねばならんのだ。そうでなければ何のために……」
「妃殿下の排除までしたのか、ですかな」
「…………」
「いずれにせよ。先程の閣下のお言葉どおり、手ぶらで帰るわけにはいきません。それに、影の手はこちらにも用意がありますよ」
「首尾は?」
「砦ではありませんからな。人の暮らす街は様々な人が行き交うものです。潜り込んでいるのは10や20どころではないですよ。すでに指示は出してあります」
男の言葉に、バロッディスはようやく微かに口元を歪めたのだった。




