第100話 不軌の萌芽
Side アミュゼ・ノル・セント・ファルセット
「ミリア妃とカルーセが行方不明だと!? どういうことだ!」
ファンル王国の西側、北方の遊牧民と西方の他国、その両方に接する国境にほど近い小さな街に第5王子であるアミュゼの指揮する旅団の拠点が築かれている。
北方と西方、ふたつの敵対勢力への備えという建前だが、実際のところは軍略と武勲は認めるし利用するが、中央政治には関わらせたくないという、実にくだらない理由によって遠ざけられているというのが本当のところだ。
王国の4番目の旅団とはなっているが、所属する兵員は4千名ほどにすぎず、その大部分が平民と最下級の貴族家のそれも三男以降という構成で、物資も予算も潤沢とは言えない。
そんな待遇ではあるが、アミュゼとしては冬期の寒さ以外に特に不満はない。
中央から遠く離れていることは、政治権限を極端に制限されていることであると同時に、余計な干渉が少なく済むということでもある。
元々権力争いにも中央政治にも関心が薄いアミュゼとしては、時折かかる出陣命令以外に煩わされることなく過ごせるというのは政治権力を握ることよりもずっと魅力的だと感じられた。
だが、それも王都からもたらされた情報を副官から聞いたことで終わりを告げた。
「両殿下は南の砦へ慰問に向かい、トーレの街を通過されたのは確認されていますが、砦には到着せず。予定日を過ぎても殿下たちが来られないことを不審に思った砦の司令官が捜索隊を向かわせたところ、街道近くで争った跡と数人の帝国兵と思われる死体を発見したという話です」
「…………」
常に沈着なアミュゼにしてこの報告には動揺を隠せずにいる。
母親が異民族の出身で貴族ですらなく、王宮で過ごす幼少期は安心できる日々など望むべくもない。
心労かあるいは謀略か、母親が死ぬと王はアミュゼにほとんど関心を示さなくなったため、尚更アミュゼは周囲の悪意から自分の身を守らなければならなくなった。
そんな彼を陰に日向に手を差し伸べてくれたのが王の7番目の側妃であるミリアだった。そしてその娘であるカルーセも他の王族のようにアミュゼを蔑むことなく兄と慕ってくれている。
ふたりがいなければアミュゼはとっくに王国に見切りをつけて出奔していることだろう。
「ふたりには護衛が付いていたはずだ。俺の知る限り、ミリア妃とカルーセに対する忠誠心は持っていたはずだし、騎士や侍女たちはミリア妃の実家である子爵家から送られた者達のはず」
貴族としての位は低いが、ミリアの実家はそれなりに豊かで資金力もある。しかも側妃とはいえ王の寵愛を受けているということでかなりの恩恵もあるはず。
万が一、ミリアが害されればその利益は失われ、場合によっては逆に陥れられることすら考えられるだけに彼女たちの護衛は腕が立ち、機転の利く人物で占められていたはずだ。
「護衛騎士数名の亡骸も見つかったということですが、両殿下や侍女たちの遺体はなかったということですな。帝国の部隊が進入しての狼藉にしては随分と稚拙な感じです」
南の国境近くで起きた事件を王都経由で伝わったわけで、不正確な部分は多々あるだろうが、それでも十分すぎるほどキナ臭い印象だ。
「王宮の動きは?」
「近衛騎士団を中心に一個中隊が捜索に出たという話ですな」
その言葉に、アミュゼは腕を組んでしばらく考えを巡らす。
「旅団の半数を残し、ミリア妃とカルーセを探し、保護する」
やがて考えがまとまったらしいアミュゼが副官に命じると、彼は頷きつつ質問を口にする。
「まだ両殿下は無事だとお考えで?」
「襲撃した者の正体が誰であれ、あのふたりを殺したうえでそれを隠す意味がない。元々政治的にも軍事的にも実権を持っていない人間を襲うのは人質とするか、殺してそれが公になることを目的としているはずだ。ミリア妃もカルーセも民衆や下級兵士、下級官吏からの人気が高いからな」
「もしそれをしたのが帝国だと発表されれば、一気に主戦論が噴出するでしょうな」
「ふたりの死が明らかでない以上、生きている可能性が高いと考えている。それに……」
アミュゼはそこで言葉を切り、地図の一点を指差した。
「もし護衛の騎士が機転を利かせているのなら、向かった先はこの方角だろう」
副官は一瞬目を見開き、そして深く頷いた。
「どうだ?」
「馬の蹄だと思われますが、殿下たちとは断言できませんね。ここを通ったとしてもすでにひと月近く経っていますから痕跡を辿るのは難しいでしょう」
地面を調べていた兵士がそう言って眉を寄せた。
南の砦へ通じる街道からは西に2日ほども離れた森の中だ。
途中、身を隠せそうな森はいくつかあったが、アミュゼはそれらには目もくれず、広大な森林地帯までやってきている。
「いや、どうやら森に入ったのは間違いなさそうだ。これほど深い森に馬に乗ったまま入ることは普通しないだろう。それに……」
アミュゼはそう言って茂みの下側にびっしりと張った蜘蛛の巣を指差す。
「昔、王宮の庭園の隅でカルーセと一緒に過ごすことがよくあったが、その時に蜘蛛の巣に木の葉をつけて模様を作って遊んでいた。低い茂みの下側に作られた巣はかなり長い間そのままになっていて、伝言遊びや宝探しに使っていたものだ」
よく見ると、確かに何重にも張られた蜘蛛の巣の上に色あせた木の葉が不自然な配列で貼り付いている。
とはいえ、蜘蛛の巣に落ち葉が貼り付くなどありふれた光景であり、それと知っていなければそれが目印だとは思わないだろう。
そうして周囲を注意深く探してみると、他にも数か所同じように人為的に葉を貼り付けられたと思われる蜘蛛の巣を見つけることができた。
「なんて書いてあったんですか?」
「崩れた物もあるし、そもそも葉の配置で伝えられることなどほんの少しだけだ。だが、無事だということと、西、それから南に向かうということはわかった」
「北側に抜けて王都を目指してるわけじゃないんですね。ってことは、殿下たちも襲撃が陰謀絡みだと気付いたってことですかね」
「ですが、森の中が安全とも言えません。護衛の騎士達が森での行軍、それも両殿下と侍女たちを連れてですので」
実際、ただでさえ馬で入り込むには鬱蒼とし過ぎている深い森での行軍は男でも過酷な道だ。それを鍛えてもいない女性を複数連れて移動していくのだ。
危険から逃れるためとはいえ、危険な獣も多く、日の光も満足に届かない森を無事に進むことは簡単ではないだろう。
「とにかく森を捜索する。小隊単位で分散して探せ。目印を付けながら進むぞ。方角を見失うな」
アミュゼたちの部隊が森の奥へ奥へと捜索の手を伸ばしていく。
いくつも大型の生き物が通った跡と思われる獣道のようなものが見つかるが、それがミリアたちが通った場所かを判別することは難しかった。
ただ、ところどころに蜘蛛の巣に貼り付けられた木の葉の目印が見つかるため、方向としては正しいと思われる。
「止まれ! そこに隠れている者、姿を見せろ!」
不意にアミュゼが馬を止め、前方に向かって声を張り上げた。
…………。
「私はファンル王国第5王子アミュゼ・ノル・セント・ファルセットだ。ミリア妃とカルーセを探すために来た。貴公はミリア妃の護衛騎士か?」
誰何の声にも反応はなかったが、アミュゼが名乗ると60リード(約50m)ほど先の茂みからひとりの男がゆっくりと姿を現した。
「……アミュゼ殿下というのは本当か?」
男は腰の剣に手を添えてかなり警戒しているようだったが、アミュゼが虫除けにかぶっていたフードを取ると、ようやく構えを解いて敬礼してみせた。
「失礼しました。疑った非礼をお詫びいたします」
「構わん。どうやら王国の者であっても迂闊に信用するわけに行かない状況のようだからな」
「ご存じでしたか」
アミュゼの言葉に騎士は一瞬驚いたようだったが、すぐに近づいて来て膝をついた。
騎士はアミュゼとも何度も顔を合わせたことのある男で、護衛部隊の副長を務めていたはずだ。
「ミリア妃とカルーセは無事か? 他の者達は?」
「はっ、森に逃げ込むまでに追っ手を引きつけるために20名ほどが離れ、その者がどうなったかはわかりません。ですが、両殿下と侍女たちはひとりと欠けることなく逃れることができました」
男の言葉に、アミュゼが深い安堵の溜め息を吐いた。
周囲の兵士たちからも思わず歓声が上がる。
「そうか。全員を私の旅団で保護しよう。少々田舎で居心地は保証できんが、この身に代えても守ってみせる。それで、ミリア妃たちはどちらに?」
アミュゼがそう問うと、男が申し訳なさそうに首を左右に振る。
「申し訳ありませんが、殿下であっても居場所を申し上げることはできません」
その返答にアミュゼが片眉を上げる。
「警戒するのは理解できるが、うら若い女性が多数。森の中では安心して眠ることもできないだろう」
「いえ、そういうことではありません。殿下方は安全な場所で快適に過ごされています。ですが、その場所をアミュゼ殿下だけでなく、例え国王陛下であっても申し上げるわけには参りません」
キッパリと言い切ったその言葉に、アミュゼの部下たちも困惑した顔を見合わせる。
「……なるほど。では今は問うまい。重ねて訊くが、ミリア妃とカルーセが居る場所は安全なのだな?」
「はい。おそらくはこの世で最も安全な場所ではないかと」
「そうか。ではミリア妃たちは見つからなかったということにしよう。できればこの目で確認したかったが。……それで、いつになれば戻ってこられそうだ?」
「今のままではなんとも申し上げられません。少なくとも両殿下を害しようとした者が明らかになり、王宮に安寧がもたらされないかぎりは難しいかと」
アミュゼの目を射るように見据えて言う男に、わずかな逡巡の後頷いて返す。
「定期的にミリア妃たちの安否を確認したい。そちらも王宮の情報は知りたいだろう? 連絡係を寄越す。もし不足している物や身内への伝言などがあればその時に言ってくれ。可能な限り要望には応じる」
「感謝いたします」
それからしばらくの間、いくつかの取り決めと情報交換の場所などを確認して男が森の奥へ去って行くのを見送り、アミュゼたちも帰路につくことにした。
「殿下……」
「…………」
森を進んでいるときも、森を抜けて街道に戻ってからも、アミュゼは終始無言でなにかを考えているようだった。




