第95話 フォーディルトの嫁取事情
Side リスランテ
日が傾くと城壁に囲まれた砦の中は影が濃く、一足先に夜の帳が降りる。
日暮れ間近まで巡回にでていた兵士たちは、夜間巡回の当番を除いて砦の中に戻ってきている。
砦の中は篝火が煌々と焚かれ、多少薄暗いものの十分に見通しの良い明るさが保たれている。
何しろ周辺の木々は視界を確保するために伐採され、西側の森林地帯も将来開拓を進める予定ということでどんどん拡げているために薪になる木材は豊富にあるのだ。
軍事拠点に燃料が潤沢にあるのはもちろん重要なことなのだが、それが砦の者全員にとってありがたいかはまた別の問題。
日が暮れても灯りを存分に使えるということは、暗くなっても仕事ができるということであり、軍に限らず上司というものはいつの時代、どこの場所でも仕事ができるのに休ませてくれるほど優しくないのである。
巡回や訓練から戻ってきた兵士たちはそれぞれ武具の手入れや馬の世話をする。
これは別に強制されているわけではないのだが、いざという時に自分の命を預ける大切なものだ。疎かにできるわけがない。
小隊長以上の指揮官は分隊長から口頭で報告を受けて、上官への報告書を作成したり軍議に参加したりする。
屋内ではさすがに灯りのために篝火を焚くわけにいかないが、本人にとって甚だ不本意なことに、フォーディルトの指導で森林地帯で巡回と訓練を兼ねて狩りをするようになってから獣脂がたっぷりと備蓄されるようになったため、それがランプの油に利用されている。
ちなみに、獣脂は一度加熱して水分や余分な筋などを取り除いただけの物なので、火を点けるととても食欲をそそる香りが部屋に充満することになる。
なので、フォーディルトの行動は兵士たちの食事を充実させ、労働時間を延ばし、訓練の難度を上げ、兵士としての技量を向上させた、という兵士たちにとってなんとも評価に困る功績を積み重ねているのである。
閑話休題
ブランディス砦は周囲が平原になっていることもあり、他の兵団に比べて騎兵の割合がかなり多い。
日常任務で哨戒や巡回を行う兵士は全員が騎兵を兼ねていて、それだけに砦の中で飼育されている軍馬も多い。
そして当然、馬の世話は騎乗する各自が行うことになっていて、第24小隊の面々と、森の巡回に同行していた近衛騎士団の指揮官たちもそれぞれの乗馬に飼い葉を与え、鞍を外して蹄を手入れする。
フォーディルトの副官を勤めているカルーファも愛馬の世話を終え、道具を手に厩舎を出たところで名前を呼ばれて足を止めた。
「カルーファさん、だったかな」
「は、はい。フォルス分隊長、どうかされましたか?」
呼び止めたのがリスランテであることに気付くと、カルーファは緊張した表情で直立不動の姿勢を取る。
最初の挨拶でリスランテがフォルス公爵家の令嬢であることは聞いている。
辺境伯の縁者とはいえ、帝国貴族の最高位にして現宰相の娘である彼女とは立場に大きな開きがある。軍での階級は同格とはいえ礼を失するわけにはいかない。
「あはは、ごめんね、急に呼び止めて。今は僕もただの下級士官だからそんなにかしこまらないでもらいたいな」
「は、はぁ」
気さくな感じでリスランテが言うと、カルーファはどう応じていいのかわからないと言った表情で曖昧に頷く。
「ちょっと話がしてみたくてね。軍には女性士官って少ないし、兵団なら尚更でしょ? 騎士家以外の家の令嬢が近衛騎士に入ってきたって僕は結構変な目で見られてて、愚痴を言い合える人ってほとんど居ないんだよ」
「そう、でしょうね。はい、私で良ければ」
自分の苦労を思い出したのか、カルーファは苦笑を浮かべながらも頷いた。
「ありがとう!」
カルーファの返答にリスランテが笑みを浮かべる。
それは無骨な騎士服姿にもかかわらずまるで花が咲いたように見えて、同性であるカルーファが思わずドキリとするほどだった。
「それじゃあ、う~ん、砦で落ち着いて話ができる場所って、どこかにある?」
「……食堂だと落ち着いて話せそうにはありませんね」
当たり前だが砦にはカフェも公園もない。
唯一の憩いの場と呼べるのは食堂だが、任務を終えた兵士たちでごった返しているだろうし、むさ苦しい男ばかりの場にリスランテとカルーファが行けば目立ちすぎる。落ち着いて話どころではないだろう。
「その、私の部屋はいかがでしょうか。一般兵の兵舎横にある女性用の宿舎なんですが」
「それはありがたいね。僕の宿舎はふたり部屋だし、周囲は近衛騎士の部屋だから」
砦の中で働いているのは男性ばかりではなく、多くはないが女性も居る。
気の荒い者も少なくない兵士たちの中で、安心して寝泊まりできるようにしっかりとした造りの別棟が建てられていて、カルーファの部屋もそこにあるのだ。
カルーファの部屋は宿舎の2階、一番奥だった。
広さはベッドとデスクでほとんど占められていて、女性の部屋としては簡素だが乾燥させた花飾りと青色の貴石があしらわれたネックレスが壁に掛けられていて、そこだけが彼女の可愛らしさを主張しているようだ。
「狭くて申し訳ありません。椅子かベッドにでも掛けてください。今お茶を淹れます」
「気を使わせてごめんね。ありがとう」
リスランテがデスクの椅子に座り、少しして湯気の上がるカップをふたつ持ってカルーファがベッドに腰掛けた。
「砦での生活や任務はどんな感じ? 女性の下士官って大変じゃない?」
まずリスランテが口を開く。
「そうですね、私の場合はブルゲスト辺境伯の姪という立場なのでそれほど軽く扱われることはなく済んでいますが、それでもやはり最初の頃は足手まといに思われることが多かったですね。実際、新兵だった頃は剣技も体力も全然で、高くなっていた鼻をへし折られましたけど。学院での評価がまったく通じなかったのが衝撃でした」
「学院で習う武技は綺麗すぎるからね。僕は同じ学年にフォーディルトが居たから早々に認識を変えられたけど」
リスランテがそう返すと、カルーファは一瞬意外そうに目を見開いてからクスリと小さく笑みをこぼした。
「レスタール卿の戦いは常識の遙か上ですからね」
「正直に言って良いよ。常識とは別の世界にあるからね」
規格外の武力に価値観を壊された者同士、友人、そして上官を肴に笑い合う。
「近衛騎士団の仕事ってどういう感じなんですか?」
「もう退屈でしょうがないよ! 一日の大半が式典や儀式の所作の訓練だからね。帝城内の巡回当番と剣技訓練の時間が待ち遠しくて待ち遠しくて」
「あ~、やっぱりそういう感じですか。私も最初近衛騎士団への配属を打診されたんですが、断ってこっちに来ることになったんです。ブルゲスト辺境伯家は実戦重視なので」
しばらくの間、男性主体の軍での愚痴や任務の失敗談などを話して徐々に口調が砕けたものになっていく。
最初はリスランテに気を使っていたカルーファも、彼女の気さくで軽い調子に引っ張られるように腹の立ったことや恥ずかしい話などを自分から話題に出すくらい打ち解けていく。
「ところで、フォーってこっちではどんな感じなの?」
「どんなって、どういう意味で聞いてます?」
「いや、学院の頃からお嫁さん探しに必死だったからね。こっちに来てもそうなのかなって」
「そう、ですね。今は主にブルゲラの街で女性に声を掛けているようですが」
「へぇ~」
「っ!?」
カルーファの言葉に、一瞬リスランテの目が鋭くなったような気がして彼女は息を呑む。
「あの、リスランテさんは、その……」
「カルーファさんはフォーのことどう思う?」
カルーファの言葉に被せるように問われ、彼女は困惑した顔を見せる。
「その、私は、多分嫌われてますので」
「え?」
かろうじてそう返すと、リスランテは意外そうに目を丸くする。
「えっと、レスタール卿がここに来たばかりの頃、結構酷い態度で接していたので」
「酷い態度?」
「はい。その、学院での評判が、令嬢の尻ばかり追いかけていて不真面目だったと聞いていたので」
言い辛そうなカルーファ言葉に、一瞬リスランテは固まり、そして声を上げて笑った。
「あははは、た、確かにフォーはお嫁さんを探すんだって必死に駆け回ってたからね。実際、教師の中にもフォーの行動が気に入らない人が多かったよ。まぁ、それでも20人以上に振られ続けたんだけど」
「まぁ、気にする必要はないよ。フォーだってまったく気にしてないと思うし、むしろまだカルーファさんに嫌われてるんじゃないかってビクビクしてるんじゃないかな」
「それは……あの、レスタール卿はどうしてそこまで領外から結婚相手を? レスタール家が特殊な立場だとは聞いていますが」
カルーファが根本的な疑問を口にする。
「ああ、僕もレスタール領に行って初めて実感したんだけどね。あそこの女性、見た目はすごく整ってて素敵なんだけど、とにかく気が強いみたいなんだよね。夫婦喧嘩になると旦那を鉄鍋でぶん殴るくらい。フォーの母君も見た目は嫋やかな美人なのに、辺境伯でさえ頭が上がらないらしいよ。そういうのをずっと見てきたから、フォーはレスタール領の女性じゃない、普通の女の人と結婚したいんだってさ」
想像よりずっと大したことのない理由に、カルーファは表情を取り繕うのに苦労しているようだ。
「レスタール領の男性って、結構大雑把で適当なところがあるから女性がキツくあたるだけって思うけどね。フォーなら同じようにはならない気がするし、そもそも、フォー好みの女性はあそこで暮らすのは難しいんじゃないかなぁ。カルーファさんも、もしその気があるなら決める前に一度レスタール領に滞在することをお勧めするよ」
そう言って肩をすくめるリスランテに、カルーファは一度目を伏せてからもう一度顔を上げた。
「……リスランテさんは、レスタール卿が配偶者を探していることをどう思っているのでしょうか」
その問いに、リスランテの顔から表情が消える。
「…………」
「失礼をお詫びします。ですが、私に声を掛けてくださったのもレスタール卿との関係が気になったからでは?」
「う~ん、そう、だね。それがまったくなかったわけじゃないよ」
しばしの無言を挟んで、リスランテは小さく溜め息をついた。
「ただ、誤解しないでもらいたいんだけど、別に僕はキミがフォーと仲を深めるのを邪魔しようとは思ってないんだ」
「そうなのですか?」
「うん。これは本心だよ。僕はフォーディルトのことを男としてだけじゃなく人間として好ましく思ってるし、幸せになって欲しい」
リスランテの言葉が意外だったのか、真意を探るようにカルーファは目を細める。
「今のままじゃ僕がフォーと結婚するのは難しいよ。個人の感情で国を揺らすわけにはいかないからね。それに、そもそも、フォーの方が僕をそういう対象として見てないだろうし、ね」
そう言って笑うリスランテに、カルーファは言葉を返すことができなかった。




