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誘蛾灯の女~そのくちびるを見た者はことごとく魅了され、そして死ぬ  作者: メガネを取るとイケメン
第四章

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34. あなたは殺さない

 チャールズ・コロンボは妙な物音に顔を上げた。壁の向こうから金属のきしむような音が響いてきたのだ。

 彼はいま地下室の丸テーブルに座って、エージェントのファイルをチェックしていたところだ。

 研究所から帰ってすぐにパソコンを立ち上げた。スケジュールの空いている者をリストアップして、一刻も早く本多瑠香の抹殺に駆り出すつもりだった。


(気のせいか……)

 コロンボは再びモニターに目をやった。

 現在“研究会”メンバーの連続暗殺が進行中である。この大規模な作戦があるためスケジュール調整が難しい。いま駆り出せるのは雑魚しかいない。


(まただ……)

 コロンボは再び顔を上げた。


 今度ははっきりと聞こえる。ギシギシと金属がこすれる耳ざわりな音だ。ちょうど本棚の裏から響いてくるようだ。

 彼は立ち上がって本棚に近付いた。この本棚は教会に着任したときから備えつけられていた。動かした事は一度もない。

 一定間隔で続いていたギギギ……という音は、ある瞬間からキュルルルというオクターブの高い音に変化した。

 その音もやがてとまり、一拍おいて、

 バン!

 と乱暴に扉を開けるような音がした。

 コロンボは思わず後ずさった。湿気とかび臭さが本棚から漂ってきた。

 しばらくすると本棚が手前にグラグラとゆれ始めた。


(まさか!)

 ここにきて彼はようやく事態を悟った。おそらく本棚の裏には隠し扉があるのだろう。だれかが地下室に侵入しようとしているのだ。


 彼はあわてて部屋の反対側に逃げた。壁のパネルを操作して地下室の入り口を開く。

 本棚のゆれはだんだん大きくなる。まもなく倒れるだろう。

 入り口は電動式なので、すばやく開ける事ができない。スライド式の天井がゆっくりずれていくのを、はしごに掴まりながらジリジリと待った。

 バタン!

 と大きな音を立てて本棚が倒れた。

 コロンボは反射的にそちらを見て愕然とした。

 本棚の背に瑠香が寝そべっているのだ。おそらく背中で押していて、本棚と一緒に倒れこんだのだろう。その瑠香はマスクをしていなかった。

 そしてコロンボはサングラスをしていなかった。瑠香がいない場所でつけるのは無意味だからだ。


「何をしている、おまえ!」

 思わず叫んだ。


 彼女が地下室に来ることなど想定外だった。研究所の出口はすでに固めてある。窓がなく出口が一ヶ所しかない建造物から脱出できるわけない。


「真一の部屋に行ってよかったわ。都市計画論の模解をもらえたから」

 瑠香はゆっくりと上体を持ち上げて本棚の上に座った。


 模解には大学に隣接していた軍用地が、戦後になってどのように払い下げられたかが詳しく書かれていた。

 だがコロンボには何のことやら分からなかった。キリスト教会と科学研究所が秘密の地下道で結ばれていたなんて、アメリカ人の常識を超えている。


(唇を見るな! 早く逃げるんだ!)

 コロンボは心の中で叫んだ。


 だが自分の意に反して足が勝手に近付いていく。唇から目を背けることができない。下腹部がじょじょにふくらんでいく。

 瑠香は喜悦の表情でこちらを見上げていた。

 この表情はまずい。彼女は危険だ。神父の頭にはずっと警報が鳴りひびいているのだが、どうする事もできないのだ。

 もう少しで手に届くという距離まで近付いたとき、いきなり彼女が鉄パイプでコロンボの足をなぎ払ってきた。

 彼が倒れると、その足に何度もパイプを打ち付けてくる。


「ああああ! やめろ! たのむ! やめてくれ!」

 コロンボの叫びは無視され、彼の両足はグシャヤグシャになった。


「あなたは殺さないわ」

 抑揚のない声で、恐ろしい事を言った。


 いちど唇を見てしまったものは増加する性衝動に苦しめられる。その状態が一生続くのだ。それを避ける方法は二つしかない。


「分かった、廃棄処分は取り消す。だからお願いだ。セックスさせてくれ」

「いやよ」

「それが駄目なら、ひと思いに殺してくれないか」

「それも、いや」


 その言葉に、コロンボは絶望感で満たされた。神父服姿で人目もはばからず自慰行為にふけるおのれの姿を想像して背筋が凍った。

 彼は床に倒れたまま身動きが取れない。その目の前で、瑠香はスウェットを上下とも脱いで全身をさらした。パンティ一枚だけの裸身である。


「くそっ、何てことを……」

 まるで飢えた人間の前に食い物をぶちまけるような行為だ。


 ボリュームといい形といい素晴らしいバストだが、右側の乳房の下にぱっくり割れた醜い傷があった。

 左の太ももには例の水鉄砲がゴムバンドでとめてある。

 彼女は洗面台の鏡で傷口を確認すると、くの字に曲がった鉄パイプを杖にして酒棚のほうに移動した。

 棚からアブサンをとりだし、中身を傷口にふりかけて消毒する。


「ううっ」

 アルコールが傷にしみてうめき声を上げた。

 さらにテーブルの上のペン入れをかきまわし、中からホッチキスを取り出した。そのホッチキスで傷口をとめる。


「くっ……」

 ふたたび痛みにうめき声を上げた。


「応急処置は完璧だが、あとで医者の治療が受けられなければ意味はない」

 コロンボはもつれる舌を必死にあやつった。


「わたしが治療を受けさせてやる。だからセックスさせてくれ」

 瑠香は無表情で彼に近付くと、パイプを振り上げてその右手を叩き潰した。


「あああっ! ひどい!」

 彼女はクローゼットに移動し、無地のTシャツとハーフパンツを取り出して着替えた。

 さらにコロンボの足から靴をもぎ取って履いた。クシャクシャに丸めた書類をかかとにつめて調節する。

 最後に口の周りにタオルを巻いて着替えが終了した。


「これでお別れよ、二度とあなたの前には姿を現さないわ」

「待ってくれ! 情報がある! おまえにとって重大な情報がな」

「さようなら」

「小田真一に関する情報だ」

 その名前を聞いて瑠香の目が驚愕に見開かれた。神父にとっては初めてみる表情だ。


「どうしてその名前を知ってるの」

「もちろん桃園から聞いたんだ」


 言ってからコロンボはしまったと思った。組織の秘密に関わる話題に入ろうとしているからだ。

 しかしどうしようもなかった。彼から、まともにものを考える能力は、すでに失われている。


「そう、桃園さんがバラしたの……上手く丸め込んだと思ったけど」

 すこし意外そうにまゆを上げた。いまや彼女は頻繁に表情を変えるようになっていた。


「それで真一に関する情報って何?」

「それを聞きたかったらセックスさせ」

 瑠香はパイプを振り上げてコロンボの左手を叩き潰した。


「ああああっ! あんまりだ!」

「情報を教えなさい」

「お、小田真一には消去命令が出てる。あいつは知りすぎてるから、組織としてはそうせざるを得んのだ。決行は……今夜の予定だ」

「計画の詳細は?」

「そこのパソコンに入ってる」

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