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誘蛾灯の女~そのくちびるを見た者はことごとく魅了され、そして死ぬ  作者: メガネを取るとイケメン
第三章

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28. 堂々巡り

 真一はとうとう前期試験をひとつも受けないまま夏休みに突入してしまった。河野からは山のように電話やメールが来たが、すべて無視した。

 バイトはとっくに辞めた。

 ここ半月は定食屋か弁当屋と部屋との往復で生活が完結していた。声を発したのは「なんとか弁当」や「なんとかラーメン」といったたぐいの言葉だけである。しだいに部屋は脱ぎ散らかした衣類と弁当の容器で埋められていった。

 今日も彼は部屋でぼんやりテレビを見ていた。時計代わりにつけっぱなしにしているので、何とか日付と曜日の感覚は保たれている。

 お盆まであと一週間だ。


(そろそろ実家に電話しなきゃ)

 と思うのだが、思うだけである。何回も読んだマンガをまた広げる。

 テレビでは連続爆弾魔のニュースが連日報道されていた。特に最後に起きたホテル爆破事件は、有名評論家の弟子が五人も犠牲になったことでセンセーションを巻き起こした。真壁京四郎は沈痛な顔を連日テレビにさらしていた。

 しかし警察の捜査は難航しており、事件は迷宮入りの様相をていしている。


(事件は迷宮入り、というのは喜ぶべき事なんだろうな……)

 エアコンの調子が悪いせいか部屋が蒸し暑い。もう寝てしまうか。

 真一はバタンと床に倒れて目を閉じた。電気を消すのもおっくうだ。手を伸ばしてきのう脱いだTシャツを掴むと、アイマスク代わりに顔の上に乗せた。

 携帯のバイブレーターが鳴りひびいた。メールの着信音である。

 また河野か……と思いながら一応送信者をチェックする。「安藤俊夫」とあった。


「――!」

 真一は飛び起きた。頭に血が上って体が熱くなった。来るべきものが来たという安堵感と、来てほしくなかったという絶望感がめまぐるしく入れ替わる。

 爆弾魔安藤俊夫からのメール。いずれにせよ、このどん詰まりの状況から彼を連れ出して、次の展開に導いていく招待状であるのは間違いないだろう。

 彼はかじりつくようにしてメールを開いた……


       〇


 一週間後、真一は熱海にいた。

 午前中は部屋を片付け、念入りに体を洗った。昼ごろ、彼は床屋に行ってさっぱりさせてから東海道本線で東京を発った。

 昼食は車内で取った。東京駅で買った菓子パンと牛乳である。そして実家のある藤沢は素道りして直接熱海の駅に来たのだった。

 駅前に出ると、目の前に指定されたレンタカーの店があった。駐車場にいる妙にほっそりした人影は俊夫のようだ。そしてその隣にいるのは……


(瑠香!)

 真一は夢中で走った。


「よく来たな、新入部員。見どころあるぞ」

 俊夫はこの期に及んでもまだ幹事長のポーズをくずさない。


「今後の予定は車の中で話そう」

 運転は瑠香が担当し、真一と俊夫は後部座席に並んだ。

 車は駅を南下して市役所方面に向かった。お盆休みの最中なので駅前は観光客でにぎわっている。


「いやあ、きみに逃げられて以来、先生はおかんむりでねえ。まいっちゃうよ」

 開口一番、俊夫はボヤいた。天を仰ぐジェスチャーまで披露する。


「かわいそうに先生はイザこれからって時に酔いが回られて寝てしまったらしい。爆発騒ぎで目を覚ましたらきみが部屋から消えてるじゃないか。先生の心配はいかばかりか。まあきみの無事はぼくがあとで知らせといたんだけど、それ以来毎日のように先生からメールが届いて、もう一度会わせろといって聞かないんだよ」

「弟子が五人も死んだというのに」

「それはそれ、これはこれさ」

 俊夫は涼しげな声で笑った。笑い声は意外なほど長く続いた。


「お詫びにクルーザーをチャーターして“研究会”の皆さんも一緒にバーベキュークルージングに招待することにした。もう財布はスッカラカンだよ。あーあ」

 おどけた悲鳴を上げる。それにしても豪勢である。彼はそんなに金持ちなのだろうか。


「おまけにもうひとつサプライズを用意した。それがきみだ。ぼくが一行を港に連れてきている間に、きみはあらかじめクルーザーに隠れておく。そして一行が船に乗り込もうとする直前、きみが劇的に現れるという趣向だ。するとあら不思議、先生は急に予定をキャンセルして別荘にUターンする。きみを連れてね」


 何のことはない、前回のホテル爆破でやった役回りをもう一度やらされるわけだ。前回は途中で逃げたが、今回は最後まで真壁に付き合わなければならないのだろう。なんとなく予感してた通りの展開だ。

 真一は夢中で計画を説明する俊夫の横顔をうかがった。

 それにしても、この美しい青年は何者なんだ? こうまで執拗に“研究会”メンバーを付けねらう理由はなんだろう。

 しかも師匠の真壁だけは巻き込まれないように気を使っている。どういう心理でそんな犯行をたくらむのか、真一には想像もつかなかった。


(瑠香はなぜこんな奴に協力しているのだろう)

 結局はこの疑問にもどってしまう。まったくの堂々巡りだ。弱みを握られて協力を強いられている、というのもあくまで推論でしかない。

 男女の関係を疑ったこともあったが、目の前の二人を見てるとやはり違うようだ。二人のあいだには寒々しい空気がただよっている。


       〇


 チャーターしたクルーザーは全長十メートルほどで、一階がホール、二階が操縦席になっている。よく見かけるタイプの外見だった。

 ただしホール内は豪華で、アンティーク調の内装に三人がけのソファが八つ。前方にはカップルシートもある。

 バーべキューは操縦席後方の二階デッキに炭火グリルを持ち込んでおこなう。真一と瑠香はその二階デッキに食材を運び込んでいた。

 食材は下ごしらえしたものを熱海で手配した。肉と魚介、野菜が入ったクーラーボックスが三つ、業務用のたれと紙皿。ビールケースは四つ注文した。

 桟橋に積み上げられたそれらの荷物を真一が後部デッキまで運び、瑠香が二階デッキから受け取る。

 炎天下の作業に二人とも汗だくだった。とくに瑠香はマスクが暑そうだ。


「今のうちに逃げる、って選択肢はないのか?」

 最後のビールケースを持ち上げながら、真一が言った。


「ないわ」

 瑠香はにべもなく答える。

 俊夫は熱海港で二人を下ろすと、すぐに真壁の別荘に向かった。あれから一時間ほどたっているので、もうすぐ“研究会”の一行をつれて戻ってくるだろう。


「あいかわらず理由は教えてくれないのか?」

「……ごめんなさい」

 瑠香のまゆが苦しそうにゆがんだ。


「やつに脅迫されてるんじゃないか?」

「真一こそ何でここに来たの?」

「えっ?」

「あなたは来なくてもよかったのに」

 その突き放した言い方に、真一はカッとなった。


「だって、放っとけないじゃないか! 瑠香が犯罪に巻き込まれ」

「シッ!」

 瑠香は操縦室のほうを指差した。

 そこではチャーター会社所属の船長が計器類をチェックしているのだ。


「この話はこれでおしまい」

 瑠香はポケットから小型の水鉄砲を取り出した。正確な射撃で、真一の口に水しぶきを命中させる。マスク越しに笑い声が漏れた。


「お、おい、今はそんなことしてる場合じゃないだろ」

「だって、わたしたち恋人らしいこと全然してないんだもの」

 その言葉に、真一の動きが止まった。


「恋人というのはこういう事をするものでしょ?」

「へえ……まだそう思ってくれるんだ」


 真一の胸に泣き笑いのような感情が広がった。

 考えてみれば、約束した遊園地にも行けてないどころか、彼女とまともに顔を合わせたことすら数えるほどしかない。

 そのくせ二回もベッドを共にしてしまった。いくら順番にこだわらないといっても限度があると思った。

 これではまるで風俗嬢と変わらないじゃないか。


(いや、これは瑠香が夜の仕事をしているからだろう。一種の職業病だ。そういう付き合い方しか知らないんだ。辛抱強く彼女に合わせていけばいい)


 それに関係を断とうとしたのは、おそらく爆弾魔のせいだ。あいつに近づくことで、解決の糸口が見つかるかもしれない……

 考え込んできつく結ばれた口元に、また水鉄砲の一撃が飛ぶ。


「ぶはっ! なんで口ばっかりねらうんだよ!」

 と大きく開けたのどの奥にもう一発。


「ゲホッ! ゴホッ! よーし分かった、水鉄砲を貸せ。反撃してやる」

「わたしはマスクで防御してるから」

「卑怯だぞ!」


 怒ったふりをしながら、真一は幸福感がわいてくるのを感じた。

 初めての恋人らしい戯れに胸が熱くなった。一方で、これがつかの間の幸福であることも予感していた。

 水鉄砲が瑠香の手を離れ、真一の足元に転がり落ちてきた。

 見上げると彼女は苦しそうに頭をおさえている。次の瞬間、いきなり瑠香の体があおむけに倒れて見えなくなった。


「ちょ、ちょっと」

 真一はあわてて二階デッキに上った。

 上手い具合に、荷物わきの空いているスペースに倒れたようだ。

 横たわる瑠香の心臓あたりに耳を近づける。鼓動は正確なリズムを刻み、胸も力強く上下していた。


「大丈夫よ……」

 瑠香の声とともに、耳を当てる真一に手が伸びてきた。優しく髪をなでる。


「大丈夫なわけないだろ。いきなり倒れて」

「どうしました? 日射病ですか?」

 操縦室から船長が出てきた。


「下のホールはクーラーがきいてますから、そっちで休んでください。それから日射病の場合は水分をたくさん補給しないといけませんよ」

「ほら、船長の言うとおりにしようぜ」

 真一は恋人の腕を肩に回して抱え起こそうとした。


「立ちくらみがしただけです。日射病じゃありません」

 瑠香はその肩をはねのけてパッと立ち上がる。


「お騒がせしました」

 船長にぺこりと頭を下げ、さっさと下のデッキに降りていった。


「おい、瑠香」

 真一は手すりに駆け寄って心配そうに恋人を見下ろす。

 後部デッキの瑠香は落とした水鉄砲を拾うと、北東の方角に向けて構えた。


「来たわ」

 その銃口の先には、俊夫が運転するレンタカーがあった。

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