26. 消える人々
梅雨が明けると大学は前期試験に突入する。
この時期の大学生は友達が三倍に増えるといわれている。友達の友達がみな友達になってしまうのだ。
学生たちはノートや模範解答を求めて右往左往していた。
こういうとき、サークルに入っている学生は有利だ。同じ学部の先輩から過去問をもらえるからだ。
ただし、できたばかりで歴史の浅いサークルはその限りではない。
経済同好会の場合は設立一ヶ月のわりにはマシなほうだった。真一も含めて部員は総勢十二名。そのなかに二年が二人、四年が一人いたからだ。
「せんぱ~い、経済学原論と一般教養科目の芸術論は取ってました?」
「経済学原論はAのほうなら取ってたけど」
「Aはたしかマルクス経済学じゃないですか。なんで今どきそんなの……」
「若気の至りよ。これからはマルクス経済学の時代と思ったんだけどなあ」
「あーもう! 何で文系なのに数学やんなきゃいけないのよ。サギだわ」
「経済学部の宿命よ……」
経済学部の一年生が同じ学部の二年生に取りすがっている。
真一はその様子を、居心地の悪い思いで見ていた。彼は経済学部じゃないからだ。そしてもうひとつ居心地の悪い理由があった。その場にいるのが彼以外全員女子だったからだ。
「うーん、困ったなあ」
「困りましたねえ」
隣で一緒に呆然と眺めていた女子があいづちを打つ。講演会の立て看板を外していた黒縁めがねの子で、彼女は法学部だった。名前を深田という。
経済同好会の規約には、月一回、学生会館の部屋を借りて勉強会を開くとある。それがメインの活動とされていた。
入部時に連絡係に指名された深田が部屋を取り、日時をSNSで回した。
そして第一回の勉強会が開かれたのだが、幹事長の俊夫と副幹事長の瑠香は来なかった。二人からは欠席の連絡すらない。
当然勉強会はうやむやになり、このような有様となった。
「でも仕方ないです。どうせみんな幹事長目当てで入った人たちですから」
深田の声は悲しそうだった。
「その幹事長がいなければ、こうなるのは当然です」
「深田さんはそうじゃないの?」
「わたしは本多さんからビラを受け取ったのです。幹事長がああいう人だと知ったのは入部してからです。イケメンすぎる人は苦手なのです」
「イケメンすぎたら駄目なんだ」
「小田くんぐらいがちょうどいいのです」
一ヶ月前の夕方ごろ、俊夫と瑠香は経済学部のあたりで小一時間ほど勧誘ビラをまいた。二人がおこなった勧誘活動はそれだけらしい。
そして入部希望者を九名まで受け付けると、さっさと締め切ってしまった。なぜ九名かというと、サークル登録できる最低人数が十名だからだろう。
勧誘した九名に瑠香を入れれば十名。おそらく俊夫は学生ではない。
もし学生課に提出された名簿を見ることができれば、代表は本多瑠香で学籍番号を持たない安藤俊夫の名前は載ってないはずだ。
結局、たまにぼそぼそ深田としゃべりながら、全体的には呆然と座ったまま、勉強会はなんとなくお開きとなった。真一は「やはり……」という思いで学生会館を後にした。
そのままの流れでなんとなく深田と駅に向かう。
「気を利かせて居酒屋の予約を取ろうと思いましたが、止めといて正解でした」
「居酒屋の予約?」
「このあと打ち上げがあると思ったのです」
「もし幹事長が来ていたとしても打ち上げには行かないと思うよ」
真一にはうすうす感付いていた。俊夫にとって経済同好会は真壁京四郎に近付くためのダミーサークルなのだ。
その目的を達成したら、後は野となれ山となれだろう。
「おーい! 真一!」
前方から野太い声がかけられた。見ると友人の河野が手を振っている。
「いやあ、よかったよかった。おれはホッとしたぞ」
駆け寄ってきた河野は開口一番そういった。
「何が?」
「だって、今週はずっと講義に顔を出してなかったじゃないか」
河野の言うとおりだった。ホテル爆破事件があってから一週間たつが、そのあいだ真一は大学に来てなかった。
はからずも爆弾魔の協力者となってしまった身だ。不安のあまり、ずっとアパートに閉じこもっていたのだ。
瑠香はだまって部屋を出て行ったきり音沙汰がない。俊夫からも何の連絡もない。こちらからの連絡はすべて無視された。
勉強会があると聞いて、わらにもすがる思いで出てきたのだ。
「本多に続いておまえまで消えて……てっきり、あいつの毒牙にかかったんじゃないかと心配してたんだよ。でも取り越し苦労だとわかって安心した」
河野は肩に腕を回して深田から引き離した。
「やるじゃないか真一。あの子、一見地味だけど、おれの眼力によれば磨けば光る原石とみた」
「はあ?」
「とぼけるなよ、彼女ができたんだろ? 気持ちはわかるが、試験が近いんだ。ほどほどにしとかなきゃ単位が取れねーぞ」
どうも河野は大いなる勘違いをしているようだ。
「心配するな、分かってるよ。邪魔者は退散しますよ。河野恭平はクールに去るぜ」
ひとりでうんうん頷きながら、彼は走り去っていった。
「……行こうか」
真一はふたたび駅に向かって歩き出した。
「いまのはお友達ですか?」
「うん、語学クラスで一緒の」
真一は横で歩いてる薄顔の女子をじっと観察した。
おれには瑠香よりも、この深田さんみたいな子のほうがお似合いなんだろう。それは自分でも分かっている。
じっさい彼女には好感が持てるし一緒にいて安心感がある。瑠香がいなければ彼女を好きになっていたかもしれない。
(でも、どうしようもないんだ。ホテルオークで瑠香の唇を見てしまった瞬間から、おれは後戻りできない場所に踏み込んでしまったんだ)
オークで会ったときから思っていたが、瑠香はおそらく夜の仕事をしている。
真一に夜の仕事に対する偏見はなかった。というより、そんなことを気にさせない不思議なちからが彼女にはあった。
安藤俊夫とのつながりは、その仕事が関係してるのだろう。
男女の仲じゃないという主張を信じるなら、あとは弱みを握られて協力を強いられている、ぐらいの理由しか浮かばない。
黙って姿を消したのは、真一に心配かけたくなかったからかも知れない。それが一番ありそうに思えてきた。
八百屋の前に差し掛かった。日ごろの習慣から無意識のうちに健太の姿を探す。
店先にはやつれたような顔をした陰気な中年男性が座っていた。この店の主人だろう。暗い目でぼんやり宙を見ている。
真一はなぜか胸騒ぎがした。
「もしよかったら二人だけでも打ち上げをやりたいのです」
そんな深田の声も耳に入らなかった。
「悪いけど用事を思い出しちゃった。そういう事なんで、さよなら」
すでに深田は眼中になかった。
真一は八百屋に入り込むと主人の前に立った。
「あのう」
「ああ……いらっしゃい……」
主人の声には力が無かった。椅子から立ち上がることすらしない。
「客じゃなくて、健太くんの友人なんです」
「ああそう……」
「久しぶりに顔が見たくて。健太くんはどうされてます? 元気ですか?」
「健太はもう……いないよ」
「えっ?」
「養子に出したから」
「ちょ、それは、あの、どうして」
「関係ないでしょ……」
主人は終始うつむいたまま、ぼそぼそと喋っていた。異常な無気力状態である。いったいこの家に何があったのだろう。
「そ、それで健太はどこに」
「知らねえよ! てめえ、客じゃないんなら帰れよ! 商売の邪魔なんだよ!」
突然、主人は立ち上がって激高し始めた。急激な変貌である。
「お、おれは悪くないぞ! あの疫病神が悪いんだ! あいつが来てから、女房は心労で倒れるし息子はグレるし、家の中がメチャクチャになってしまったんだ。だ、だからおれは悪くない! 疫病神を追っ払いたかっただけなんだ。だから神父さんに……」
「神父さん?」
「帰れこのやろう! 二度とくるな!」
主人は手当たり次第に野菜を投げつけてきた。何が何だかまったく分からない。真一は茄子や胡瓜を背中に受けながら、這々の体で店を出た。
通りにはすでに深田の姿はなかった。しかしそんな事はどうでもいい。
問題は健太だ。あの主人の様子は尋常じゃない。あきらかに精神状態がおかしい。健太はほんとうに主人の言うとおり養子に出されたのか。
警察に相談する、という選択肢が頭に浮かんだ。しかしすぐに不可能だと悟った。なぜなら真一は爆弾魔の協力者だからだ。
(ああ、おれは何をやっても駄目だ。健太には何もしてやれない。犯罪には巻き込まれる。瑠香からは何も聞き出せない。やることなすこと全部裏目に出てしまう。駄目なやつなんだ……)
真一は次第に無力感にとらわれていった。
いつもならここで瑠香が登場するところだが、今日はいつまで待っても彼女は現れない。そのうち全身が猛烈なけだるさにおそわれた。
何もする気がおきない。一刻も早くアパートに帰って横になりたい。真一は重い足を引きずりながら、とぼとぼと駅に向かって歩き出した。




