25. 不器用な二人
それから俊夫はいくつか電話をかけたあと、小滝橋交差点で二人と別れて大久保方面に歩いていった。
残された二人はそのあとも無言で落合をめざした。
真一はすっかりおびえた様子で、物音にビクッとしたり頻繁にうしろをふり返ったりしている。そんな彼に、瑠香はどう声をかけていいのか分からなかった。
二人が落合駅に到着したのは午後十時を回ったころだった。
(だんだん真一も落ち着いてきたみたいね)
瑠香はホッと胸をなでおろした。ショッキングな事態の連続ですっかり萎縮していた彼だが、ここまで歩いたことによって冷静さを取り戻したようだ。
真一は携帯を取り出して東西線のダイヤを調べ始めた。
「電車は動いてるの?」
「点検のため二十分ほどストップしてたけど、今は問題なく運行してるって」
まだ表情は硬いが、質問には明確に答えてくれた。
冷静さを取り戻したということは、さきほどの爆破騒ぎを追及してくるおそれがある。やはり彼とはここで別れるべきだろう。
「これからどうするんだ」
「幹事長に言われたとおり、朝までファミレスで粘るわ」
「始発まで六時間以上あるじゃないか。それまでずっと一人で座ってるつもりか」
「それくらいは平気だから」
「おれも朝まで付き合おうか?」
「真一は精神的に疲れてるようだから、帰ったほうがいいわ」
「そうか、幹事長もそう言ってたしな」
だが真一はその場を動かなった。黙ってじっと瑠香の顔を見つめ続けていた。
「真一?」
「……ひょっとして瑠香は幹事長と付き合ってるのか?」
「えっ?」
「だからあいつの言うことを聞いてるんだろ?」
「……」
本来ならこの勘違いは好都合のはずだった。彼との関係を絶ったのは任務のためだ。俊夫に乗り換えたと思ってあきらめてくれれば、すべて丸く収まる。
(でも……)
真一にそんな女だと思われるのは耐え難いことだった。
「どうも勘違いしてたみたいだ。一度寝ただけで彼氏ヅラするのは、きっと図々しい事なんだろうな。最近はそういう考えの女の子が増えてるっていうし。連絡を絶ったのは別れのサインだったんだろ? でもさ……ちょっと……これは……」
突然、真一はポロポロと涙を流した。
「あの幹事長は……爆弾魔なのか?……瑠香は……犯罪の片棒を……担いでるのか?……おれも共犯者に……なったのか?」
むせび泣きながら、とぎれとぎれに言葉を絞り出していた。
何事もなかったかのように振る舞っていたのは、内心の葛藤を無理やり押さえつけていたからだろう。
俊夫との関係を問いただしたのをきっかけに、押さえつけていたものが一気に崩れてしまったようだ。
「幹事長とは何でもないわ。あの人の態度を見ればわかるでしょ? むしろわたしを憎んでる」
「だったら……どうしてあいつの……言いなりになってるんだ!」
「お、落ち着いて」
「どう考えてもおかしな話だ……こんな途方もない美人が……おれなんかと付き合うのは……客観的に見ればあの幹事長のほうが……よっぽど釣り合ってる」
「やめて……」
ろくに説明できないのがもどかしかった。
単なる仕事上のパートナーだと言ったところで、仕事の内容が明かせない。もし明かしても、できの悪い嘘だと思われるのが関の山だ。
「本当にあの人とは何でもないの。信じて」
「あいつとどこで……知り合ったんだ?」
「言えない」
「それで信じられるわけないだろ」
「わたしが好きなのは真一だけなの。それは本当よ、証明するわ」
思わずそんなことを口走ってしまった。もちろん証明することなんて不可能だ。しかし言ってしまった以上あとには引けない。
「わたし、今から真一の部屋に行く」
〇
「あんまりきれいな部屋じゃないけど……」
真一の部屋は六畳の和室だった。手前に折りたたみ式の小さな座卓が置かれ、奥には布団が敷きっぱなしになっている。
「大丈夫よ、もっと汚ないと思ってたから」
ここに来るまでさんざん部屋が散らかってると言われたので覚悟していたが、意外と大したことがなくて拍子抜けした。
座卓の周りに本やノート類が散乱しているのは前期試験が近いからだろう。部屋自体はきれいに保たれている。
「あっ、これは何でもないんだ。気にしないで」
真一は散乱した本をあわてて片付けはじめた。本の間に挟まっていたグラビア雑誌は見なかったことにする。
「気を使わなくてもいいのに」
「そ、そういえば秋庭の都市計画論を取ってたよね。河野からレポートの模解が回ってきたんだけど、要る?」
「それは……」
秋庭は教授の名前である。都市計画論はたしかに取っていた。そういえば真一も同じ講義を受けてたのを思い出した。
「課題は戦後における旧軍用地の転用問題なんだけど、そのへんの講義は瑠香が休んでた時期とかぶるから、これは貰っといたほうがいいよ」
真一は座卓からコピー用紙の束を取り上げた。
「そうね……貰っとくわ、ありがとう」
レポートの模範解答なんか瑠香には必要ないものだった。しかし正直に休学中だと明かせば、理由を説明しなければならなくなる。
受け取ったコピーの束をパラパラとめくった。その背後で真一は冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出している。
「軍用地といえば、戦前の陸軍はナチスの向こうを張って、穴を掘りまくってたらしい。今でもその時の地下道が残ってるんだって。知ってた?」
「ええ、聞いたことがあるわ」
ナチスが建設したベルリン地下要塞は有名だが、それに匹敵するような地下壕が、いまも千代田区に残されているという。
一部は地下鉄のホームなどに転用されたが、大部分は封鎖されたままらしい。
「こんなものしかないけど……」
真一が麦茶の入ったコップを座卓においた。
「これだけは言わせて」
意を決して、瑠香は話し始めた。
「わたしは安藤俊夫にたいして、恋愛感情なんか一切もってない。あの人のやってる事には嫌悪感を持ってる。どうして協力してるのかは言えないけど……とにかく、わたしの中では、真一との交際は今でも継続中なの」
「明らかに幹事長は爆弾魔じゃないか。恋愛感情がないなら、自分の意志で犯罪を手伝ってるという事になる」
「好き好んで言いなりになってるわけじゃないわ。そうせざるを得ない事情があったのよ」
「でもその事情は教えてくれないんだろ?」
「だから体で分かってもらう」
瑠香は上着を抜いて下着姿になった。
「やめろよ。それじゃ体を使って口止めしてるみたいだ」
「だったらどうすればいいの?」
「もういいんだ。言いたくないことは言わなくていい。信じろというなら信じてやるとも。もうそれでいいだろ」
投げやりな言い方だった。これ以上何かを聞き出すことはあきらめたようだ。
瑠香は突き放されたように感じて何も言えなくなった。マスクを下にずらして麦茶をすすった。一口ごとに飲み口をハンカチで拭くのを忘れない。
「一か月だ」
「えっ?」
「おれは一か月もほっとかれた。そのあいだずっと瑠香を探してたんだ」
「ごめんね、真一」
「それで今日やっと会えたと思ったら、あんな目に会って……おれはもう何が何だか分からないよ」
「分かった、一か月分を取り戻すわ」
瑠香は抱き着くようにして真一を押し倒した。
われながら不器用だと思うが、人付き合いというものを一切してこなかった自分には、これが精一杯のやり方なのだ。
「なあ、やっぱりキスは……」
「駄目よ」
瑠香はマスクをかけなおすと、ズボンのベルトに手をかけた。
〇
アラームが鳴る前に目が覚めた。時計を確認すると5時5分前だった。そろそろ始発が動き始める時間だ。
マスクをつけっぱなしで寝たので耳がすこし痛む。
となりの真一はぐっすり眠っているようだ。瑠香はしばらく寝顔を眺めていたが、だんだん彼の唇が気になり始めた。
猛烈にキスしたくなってきた。この唇にむしゃぶりつきたくてたまらない。駄目だと思っても目が離せない。
(いけない、これではわたしが魅了にかかったみたいだ)
瑠香は歯を食いしばって目をそらした。まるで強力な磁石に抵抗するようだ。
二度目のセックスは素晴らしいものだった。
肌を重ねることで真一の気持ちが手に取るように分かった。彼の傷ついた心が、瑠香と交わることでじょじょに癒されていくのを感じた。
それが分かった瞬間、全身が幸福に包まれた。
好きな人とのセックスがこんなに気持ちいいとは思いもよらなかった。それだけに、好きな人とキスできないつらさが身に染みる。
(皮肉なものね、どうでもいい人とはさんざんキスしてきたのに……)
真一を起こさないようにそっと布団から出ると素早く服を着た。寝ぐせも直さず、そのまま黙って部屋を出た。




